原文入力:2010-03-15午前08:26:55(1090字)
午後5時正刻、道行く市民たちが凍りついたように一斉に足を止め不動の姿勢を取る。通りのスピーカーから荘厳な音楽と共に朗読文が鳴り響く。 「…からだと心を捧げ忠誠を尽くすことを堅く誓います。」まさに国旗に対する盟誓だ。ところでこういう過去の軍事文化残滓を懐かしがる教育官僚たちがいる。
釜山市教育庁は最近、管内小・中学校に公文書を送り「朝、朝礼の時に生徒たちが国旗に対する敬礼と盟誓文を朗読をするように協力しなさい」と指示した。 「歩行中に愛国歌が聞こえてくれば、歩みを止め愛国歌が聞こえてくる側に向かいまっすぐ立って聞く」などの具体的な教育内容まで例示したという。21世紀の育つ新芽たちに過去の軍事独裁時期の全体主義文化を強要しようとするとは真に情けない。
国旗に対する盟誓は発想からしてナンセンスに近い。盟誓文を呪文のように覚え繰り返せば愛国心が鼓吹されると考えること自体が滑稽だ。たとえ2007年に行政自治部が盟誓文の字句の一部を修正したとは言え本質は変わっていない。国旗に対する盟誓が、この頃はまばらになり政府公式行事などだけで制限的に実施されているのもこういう認識が広がったためだ。
釜山市教育庁官僚らに訊ねたい。本人たちは過去の国旗に対する盟誓を強要され、胸中に愛国心がもくもくと広まり始めたのか。それで今の生徒たちに急き立てれば愛国心が育成されると本当に信じているということなのか。むしろ教育庁の今回の措置では、教育官僚らの典型的な‘一件主義’の臭いが色濃く漂う。李明博政府になり社会の随所に現れる過去回帰主義の流れに便乗し、自分たちも何かをしていることを示そうとする強迫観念が感じられる。
ワールドカップの時に通りをいっぱいに埋めた‘赤い波’でも確認されたように、今育つ世代たちの国家観は過去の世代とは違う。画一的で剥製化した愛国心ではなく自発的で生命力あふれる愛国心がこれらに似合う。釜山市教育庁は「生徒たちに国を愛する心がなく、国家アイデンティティが確立されていない」と言ったが、こういう診断事態が思い違いだ。忠誠誓約書などで青少年をしばろうとする古い方式はもう通じることもない。その上、教育界は今教育界の不正問題で沸きかえっている。愛国心に関して気づかなければならない人は生徒たちではなく、まさに教育官僚たちだ。
原文: 訳J.S