「こんなに一気に値上がりしたのは初めてだと思います。月給はそのままなのに、かなりの負担です」
東京で事務職として働くナカムラスミレさん(35)は最近、物価上昇を肌で感じている。毎日の朝食のメニューにしても次々と値上がりしている。彼女は朝、食パン、コーヒー、ソーセージ、サラダなどを食べて出勤する。昨年から小麦の価格が上がり、スーパーで安く買える食パンが値上がりした。山崎製パンが7.3%、フジパンが8%値上げした。
パンにつけるジャムの値段も上がった。食品会社のアオハタは9年ぶりに家庭用ジャムなど35品目の価格を3~7%上げた。消費者に人気の「アオハタ55イチゴ」(150g)ジャムは、今年2月に251円から262円となり、11円上がった。サラダに添えるマヨネーズとケチャップの価格も上がった。韓国でも有名なキューピーマヨネーズが402円から436円へと34円上がった。カゴメも4月から家庭用トマトケチャップなど調味料125品目の価格を3~9%上げた。トマトケチャップの値上げは7年ぶり。コーヒー(ネスレ日本 10~20%)、ソーセージ(ニッポンハム 5~12%)、チーズ(雪印メグミルクのスライスチーズ 22円値上げ)なども、値上げに加わった。「失われた30年」の間インフレなく暮らしてきた平凡な日本人の目には、最近の変化は青天の霹靂にほかならない。
ナカムラさんは「品目一つひとつを見れば値上げ額は少ないかもしれないが、食品価格が全般的に値上がりし、よく食べるものなので生活に負担になる」と話した。ナカムラさんは独身だが、子どもがいる3~4人世帯の場合、かなりの打撃となる。総務省の「家計調査」(2人以上世帯)によると、昨年の消費支出では食料品の割合が28%で最も高かった。
調査会社「帝国データバンク」は、4月現在で105社の企業がラーメン、食用油、飲料など4081品目を値上げしたと集計した。食品メーカーも値上げしたくて上げているわけではない。値上げなしには事業を続けることができないという危機意識が広がっている。食品メーカーのある幹部は日本経済新聞に、値上げしなければ近いうちに商品の安定供給が難しくなる可能性があると話した。
値上げの流れはまさに全方位的だ。日本の庶民の代表的な食べ物であるカップラーメン、缶ビールの価格も値上がりした。日本のラーメン市場で1位の「日清食品」は6月からカップラーメン、袋ラーメンをはじめ180製品の価格を5~12%引き上げる。全販売製品の70%程度に当たる。カップラーメンの価格を引き上げるのは3年ぶりだ。他のラーメン会社である明朝食品、東洋水産、サンヨー食品も6月からラーメン価格を6~12%引き上げる。
アサヒビールは今年10月から缶ビールの価格を6~10%引き上げることにした。缶ビールの値上げは14年7カ月ぶりだ。コンビニで217円程度で売っている「スーパードライ」(350ミリ)が10~20円ほど上がる。ビールメーカーはシェア競争が激しく、これまで値上げに慎重だったが、これ以上は持ちこたえられない状況に至ったのだ。キリン、サントリー、サッポロなど他のビールメーカーにも影響を与えるものとみられる。
値上げすれば製品の販売減少につながることを恐れて容量を減らす企業も出てきた。これを「ステルス値上げ」という。レーダー探知が難しいステルス戦闘機のように、消費者に気づかれにくい値上げをいう。このような方法は主に菓子や冷凍食品で行われる。カルビーは85グラム入りポテトチップスを5グラム減らし、若者層に人気の高い菓子の「じゃがりこサラダ」も60グラムから57グラムへと内容量を減らした。
食品価格だけではない。外食費用や電気・ガス、交通費も上がるなど、給料を除いてすべて値上がりしているという話は空言ではない。代表的なファーストフードのマクドナルドは3月からチーズバーガー、ビッグマックなど一部のハンバーガーの価格を10~20円引き上げた。スターバックスも16年ぶりに値上げに踏み切った。4月からコーヒー豆は90~300円上がるなど価格が急騰し、ドリップ、ラテ、カプチーノなどコーヒー類は10~55円上がった。ミスタードーナツも10円から最大50円まで値上げに乗り出した。
電気やガスなどの公共料金も上がり続けている。大手電力会社10社のうち、東京電力、北海道電力など5社は4月現在、電気料金を8カ月連続で引き上げている。5~6月にも値上げすると予告している。ガスも東京ガス、大阪ガスなど4大会社が10カ月連続で値上げしている。公共料金の引き上げは家庭だけでなく、クリーニング店、銭湯など自営業者には打撃が大きい。東京都品川区でクリーニング店を経営するタナカさん(仮名)は「3月の電気・ガス料金は合計約11万円。昨年同月より2万円ほど上がった。プラスチックのハンガー、洗濯用剤などの必須の品物も相次いで値上がりしている」と話した。彼は「ドライクリーニングなどの料金を引き上げるか真剣に悩んでいる」とため息をついた。
交通費も上昇の流れだ。航空機(日本航空運賃8%)、鉄道(京都線など8路線)、高速道路(上限制630円)はすでに値上げしており、東京の会社員が多く利用するJR山手線などの電車料金も来年3月に値上げを予告している。
日本の物価が全方位的に上がる理由は複合的だ。新型コロナで供給がまだ円滑でない中、米国や欧州などの経済活動が再開され、原油をはじめ原材料価格が急騰しているためだ。さらに2月末のロシアによるウクライナ侵攻で原油、天然ガス、穀物などの価格が急騰している。これに加え、円相場が20年ぶりの最低水準に下落し、原材料などの輸入費用がさらに増え、企業をいっそう圧迫している。
日本の3月の企業物価指数は前年同月に比べ9.5%上昇し、オイルショックの影響があった1980年12月(10.4%)以来40年ぶりに最も高い水準となった。同月の消費者物価指数(生鮮食品を除く)も100.9で前年同月に比べ0.8%上昇した。数値はまだ小さいが、上げ幅は2月(0.6%)から次第に大きくなり、2020年1月以来2年2カ月ぶりの最高水準となった。政府の強い要求で、昨年春から携帯電話料金が引き下げられた影響を除けば、上昇率は2%を超えるという観測だ。
日本では「悪いインフレ」という言葉が連日登場している。賃金が上がって消費が回復し、日本経済をむしばむ慢性的な「低物価」から脱する好循環を期待したが、原材料価格の上昇で家計と企業の負担ばかりが重なっているからだ。
賃金はなかなか上がらない中、物価上昇は短期間で終わらないだろうという空気が広がり、消費者は支出を控えはじめている。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では、専門家や消費者が自分の経験談から「節約方法」を紹介する書き込みが相次いでいる。概ねこのような内容だ。大型スーパーの曜日ごとの品目割引を利用したり、「プライベートブランド(PB)」商品を購入しようというものだ。PB商品は普段から価格が安いが、流通大手の「イオン」はPB製品の価格を6月末まで据え置くと発表した。
買い物の方法などについてのアドバイスもある。トイレットペーパーや食用油など消費期限の長い製品は値上がり前に買い置き、毎日スーパーに行くとつい買ってしまうことが多いため、「3日に1回」に減らそうというアドバイスもある。食材が無駄にならないよう冷蔵庫に領収書を貼っておき、食べきったら消そう、という書き込みもあった。主婦のニシハラミナミさん(49)は「最近物価が高いから、SNSの節約情報や安く買えるスーパーの特売日をこまめにチェックしている。消費を急に減らすのは難しいが、無駄にお金を使わないようにしようという考えが強くなった」と話した。
日本政府も対策に乗り出している。岸田文雄首相は先月26日の記者会見で、物価高騰に伴う緊急対策を発表した。ガソリン価格抑制のための補助金支給を継続し、低所得の子育て世帯に対し子ども1人あたり5万円の給付金を支給するというのが核心の内容だ。物価対策には国費6兆2000億円を投入するとした。岸田首相は「今回の対策は第1段階だ。7月の参院選後、総合的な対応策を具体化する」と明らかにした。