韓国系米国人作家のステフ・チャ(35)の小説『おまえの家が代償を払う』(原題『Your House Will Pay』、日本語題『復讐の家』) は、トゥ・スンジャ事件(ラターシャ・ハーリンズ事件)とロス暴動を題材にした。昨年「ロサンゼルス・タイムズ」図書賞のミステリー・スリラー部門で受賞したこの作品は、トゥ・スンジャ事件をモチーフにし、韓国系米国人と黒人の二つの家族の構成員を登場させる。小説は、27歳の韓国系米国人女性グレイス・パクと41歳の黒人男性ショーン・マシューに焦点を当てた章が入れ替わる形で、28年前の黒人少女エイバの死が招いた喪失と復讐、愛と葛藤、謝罪と許しのドラマを繰り広げる。
小説は2019年6月15日から同年9月15日までの3カ月間を背景とし、1991年3月のエイバの死と翌年4月のロドニー・キング事件に続くロス暴動が短く描かれている。2019年現在の時点で、エイバの実の弟であるショーンは収監中の従兄のレイの家で暮らし、従兄の家族の面倒を見る。レイとショーンは少年時代から大小の犯罪に巻き込まれ刑務所を出入りしていたが、ショーン自身はいまは引越しセンターの職員として真面目に家長の役割を果たしているの対し、44歳のレイは10年間の獄中生活の末に出所する。家に帰ってきた彼が家族と一緒に座った食卓で「この家を守ってくれたまえ、主よ。なにものも私たちを散り散りにさせぬよう」と祈る場面は、小説のタイトルと結びつき、小説後半のどんでん返しを予告する伏線となる。
小説のもう一人の主人公であるグレイス・パクは、薬学部を卒業した後、両親のポールとイボンヌの薬局を手伝って働いている。姉のミリアムは2年前、はっきりしない理由で母親と仲違いした後、両親と絶縁して別々に暮らしている。プロローグにあたる1991年のシーンに続く第1章で、グレイスとミリアム姉妹は、警察の銃に撃たれて死亡した黒人少年を追悼する集会に参加する。小説の最後の場面も黒人人権デモの現場という点で、この作品は「首尾双関」の構造ということになる。レイの十代の娘であるダーシャが、白人記者が家族を招待した食事の席に「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)」と書かれたTシャツを着て出席したりもするが、小説の導入部と終結部が同じく黒人人権デモの場面という事実は、米国社会で黒人の権益が依然として尊重されていない現実を示すものでもある。
「彼らは娘たちを米国で育てるために大きな犠牲を払った。ポールとイボンヌが米国に移住した80年代、韓国はまだ貧しい国だったが、そこで暮らし続けていたらもっと楽だっただろう。ポールはソウル大学を卒業し、現代という良い職に就いていた。(…)日々少しずつ貯めたお金で、彼らは異国の地に新しい暮らしを築き、そのおかげでグレイスとミリアムは不自由のない米国人として育った」
小説に描かれるポールとイボンヌは、韓国移民の両親の典型を示している。子どもたちのための犠牲と献身、見返りを望まない無条件の愛を注ぐことが彼らの役目だ。両親と絶縁した娘ミリアムの誕生日に、主役がいないのにワカメスープを作り食卓にのせる母を見て、グレイスは「自己虐待にしか見えない(…)恥ずかしいほどの愛情」とうんざりしてみせるが、母の行為にグレイス自身が知らない別の意味があるという事実を後になって知ることになる。
「きれいに整って静かだった家は、幽霊に取り付かれた家、誰も知らない暴力が起こる家のように感じられた」
小説の中盤部で、全体を揺るがす大きな事件が起こり、ついに決定的な秘密を知ったグレイスの目に映った変貌した家の描写だ。ヒップホップ歌手トディ・Tの歌の歌詞から引用した小説のタイトルに直接つながる文章でもある。
グレイスとショーンの話は、初めは互いに無関係に進むが、中盤部の決定的な事件をきっかけに衝突と習合が避けられなくなる。1991年と2019年の二つの事件もまた、月日を超えて一つに入り乱れる。ショーンの家族のうち、シーラおばさんはラターシャ・ハーリンズの叔母であるデニス・ハーリンズからインスピレーションを受けた人物だと著者は述べている。シーラおばさんはある意味「大地母神」のようなキャラクターで、崩壊の危機にある家族を救うだけでなく、善良な影響力を外の社会にまで及ぼす。「シーラおばさんは多くの苦しみを経験したが、自分の痛みの根っこを引き抜いて、知らない人の傷を治癒する薬を作った」というショーンの供述は、シーラの人柄の核心を示している。
韓国系米国人と黒人の家庭を併せ、1991年と2019年を描く小説の叙事は、加害と被害が絡まり、暴力と愛が一緒くたに煮立つ溶鉱炉のような大爆発につながる。ロス警察庁前の州旗が燃える場面が象徴するように、小説の最後は避けられない暴力と混乱が再び起こるが、それが「再生」のための「破壊の約束」である、というのが著者のオプティミズムだ。しかし、そのオプティミズムが決して容易なことではないという事実もまた、著者はよくわかっている。小説はこのように問いかける。「しかし、新しい都市はどこにあるのだろうか。そして誰が善良な人々なのだろうか」。その問いは、本を閉じる読者にそのまま返ってくる。