「12年前も今も何も変わっていません」
韓国女子バスケットボール連盟(WKBL)のパク・チャンスク競技運営本部長(60)は、最近起こったスポーツ界での性暴力波紋について語る前に、長いため息をついた。
15日午後、ソウル市内のある喫茶店でインタビューに応じた彼女は、2007年、女子プロバスケットボールチーム「ウリィ銀行」のP監督の性暴力事件当時、「男性指導者による女性選手への性暴力をこのまま放置してはならない」と立ち上がった人物だ。P監督が同年4月、春季米国キャンプ期間中に19歳の新人選手を自分のホテルの部屋に呼び、性的暴行を加えようとした事件だ。当時、被害選手は不安で助けを求めていた仲間が監督の部屋を訪ねたことで、辛うじて性的暴行を免れた。パク本部長は「今考えても、あまりにも恐ろしい事件だった」と振り返った。
パク本部長は、男性指導者と女性選手の間の誤った主従関係が、自分が現役の選手だった1970~80年代と変わりがないと指摘した。また「私は良い指導者に恵まれて、そのようなことはなかったが、他のチームでは女性選手にマッサージをさせることが多かった。男性コーチや監督が選手の体を触ることも一度や二度ではなかった」と振り返った。さらに「私が引退した後も、あるチームでは女性選手が監督室のドアを叩くと、男性監督が憚ることなく下着姿でドアを開ける場合もあり、アパートで宿所生活をするチームでは様々な事件も起きたと聞いている」と話した。
パク本部長は「12年前のP監督事件後にもあらゆる対策が示されたが、何が変わったのか」と声を荒げた。実際、当時の文化体育観光部などは、性暴力加害者の永久除名▽選手の接触および面談ガイドラインの提示▽性暴力通報センターの設置などを対策として打ち出した。彼女は「今回の対策を見ると、ほとんどが二番煎じ、三番煎じだ。政策だけを出してもなにも始まらない。強力な意志を持って、革命的に変えていかなければならない」と指摘した。
パク本部長は性暴力の波紋で退いたP監督の後任監督に応募したが、脱落した。彼女は偶然知り合った民主労働党のシム・サンジョン議員と開かれたウリ党のユ・スンヒ議員の支援を受けて、ウリィ銀行の監督選任過程で雇用差別を受けたという内容の陳情書を国家人権委員会に提出した。彼は当時「最終候補2人に入ったが、結局、男性候補が選ばれた。以前にもいつも明確な理由もなく脱落した。そのため、後輩たちのため活動しようと思った」と説明した。
韓国女子バスケットボールの“象徴”のような存在だが、プロチーム監督の敷居は高かった。20年の歴史を持つ韓国女子プロバスケットボールで、女性監督はこれまで1人だけで、それも1シーズン後にクビになった。
パク本部長は政策的にもスポーツ界の女性指導者を増やすべきだと主張する。「選手を教える過程で、柔道などをはじめ、大半の種目で身体接触が起きる。それだけ、性暴力の危険も高いため、発生し得る問題に警戒心を持って管理監督できる女性指導者がいなければならない。ところが、小学校から大学を経て、より多くの年俸と権力を手にする実業団やプロチームになるほど、女性指導者数は少なくなる」と指摘した。彼女は「12年前の事件後も、女性指導者20%クォーター制が対策として打ち出されたが、守られていない」とし、「女性指導者50%クォーター制まで導入するなど、強力な対策が必要だ」と主張した。