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「イランの友だち」を抱擁した15歳の友情…「難民認定おめでとう!」

登録:2018-10-19 22:18 修正:2018-10-20 06:02
改宗による迫害の可能性を憂慮し難民申請をしたイラン出身の生徒(帽子をかぶった人)が19日午後、法務部から難民の地位を認められ、ソウル市松坡区の自分の通う学校で友人らと会い「難民認証書」を見て喜んでいる=カン・チャングァン記者//ハンギョレ新聞社

 「わあ、おめでとう!」「本当にすごいよ、がんばったね!」

 19日午後2時ごろ、ソウル松波区(ソンパグ)のある中学校の運動場で「イランの友だち」のA君(15)の難民地位審査結果を祈る気持ちで待っていた15、6人の友人が歓声を上げた。たったいま法務部から送られてきた“できたての”難民認定書類を持っているA君に向かって、友人らが歓声を上げて集まった。彼らは難民認定書類の中のA君の写真をしげしげと眺め、「でも鼻の穴が大きすぎじゃないか」と言ってひとしきり笑った。

 この日午前、学校の体育大会を終えて帰宅した友人らは、難民認定のニュースに慌てて学校に駆けつけた。「前に難民の地位が認められなかったときは、紙1枚が送られてきたんです。でも今回は書類の綴りを出したので『ああ、認められたんだ』と思いました」。A君が笑いながら言った。ただ、A君のお父さんの難民申請はまだ審査が進行中だ。

 2003年にイランのテヘランで生まれたA君は、2010年に事業家の父親について韓国に来た。韓国で小学校に通い、2年生の時にカトリック教に改宗したが、イランに住む伯母に何気なくこの話をしたところイランに帰ることが難しくなった。敬虔なムスリムの伯母が激しく怒り、連絡を絶ったのだ。ムスリム律法の「シャリア」が厳格なイランで、改宗は死刑まで処しうる重罪だ。伯母がイラン安全部に告発したのではないかと心配したA君は、2016年に韓国政府に難民申請をした。しかし同年、法務部はこれを受け入れず、A君父子は行政訴訟を起こした。1審では難民の地位を認められたが、2審と最高裁では難民の地位を認めなかった。A君が約2年後に難民認定を受けられることになったのは、再審査を請求した時、積極的に取り組んでくれた学校の友人たちの助けが大きかった。友人たちは7月、大統領府の国民請願掲示板に「友だちが公正な難民審査を受けられるようにしてほしい」という請願書を上げた。7月19日、ソウル出入国外国人庁に難民地位認定再申請書を提出する現場でも、友人たちは「偏見に隠された真実を見てほしい」と書かれたプラカードを掲げた。5日には大統領府の噴水前でリレー1人デモを行った。

 A君と小学1年生のときから“親友”だったというパク・チミン君(15)は「難民認定の知らせを聞いて『がんばったね』という意味を込めて抱きしめた」と言い、「これまで一緒に闘ったのは全然つらくはなかったし、ただ感激するばかり」だと言ってにっこり笑った。キム・ジユさん(15)も「記事のコメントで『先生が生徒を扇動している』という言葉を聞いて悔しかったが、良い結果が出てうれしい」と話した。

 A君の難民地位認定を求めたソウル市のチョ・ヒヨン教育監は立場文を発表し、「大人でも実践しづらい人類愛を行動で示した生徒たちがありがたく誇らしい」とし、「外国人学生が社会の構成員として堂々と立てるよう体系的な支援システムをつくる」と明らかにした。

 「難民認定を受けて涙を2粒くらいこぼした」というA君は、「以前はビザ問題で高校に行けなかったが、これからは友だちと一緒に学校に通えることになってうれしい」と語った。「モデル教室に通いながら、これまでファッションショーを3、4回やったんです。これから200回、300回と重ねてやりたい」。A君は明るく笑った。

シン・ミンジョン、ファン・チュンファ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/866606.html韓国語原文入力:2018-10-1921:45
訳M.C

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