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“皇龍寺”の古を語る遺物600点

登録:2018-08-21 23:49 修正:2018-08-22 10:38
皇龍寺址から出土した宝相華龍模様石板。寺の象徴である龍を側面に浮き彫りして表現した。新羅の龍彫刻の屈指の傑作と言われる作品だ=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 粉々に割れたこの石板一つが歴史を揺るがした。古代と中世の朝鮮半島最大の建築物だった慶州(キョンジュ)皇龍寺(ファンリョンサ)址の九層木塔の心礎石(核心礎石)下の舎利装置の舎利外盒と石蓋だ。

 1964年12月17日夜、盗掘犯は民家が撤去されたばかりの慶州九黄洞(クフヮンドン)の寺の跡地に侵入した。木塔心礎石を持ち出し、石蓋を破壊し、舎利装置をまるごと盗み出した。2年後、犯人は仏国寺(プルグクサ)でも釈迦塔を破壊し舎利装置を盗もうとしたが見つかり、余罪を追及されると皇龍寺木塔の舎利装置遺物もある収集家に贓物(ぞうぶつ)として渡したと告白した。

 舎利が入った外盒、内盒などの容器と、銘文板、金盒、銀盒、八角塔、金銅製円筒などの遺物はすぐに押収され、国立博物館に渡された。分析したところ驚くべき事実が明らかになった。872年に景文王が塔を建てなおし、柱を立てる時に入れた銘板である「刹柱本記」が出てきたが、そこには645年善徳女王の時に初めて塔を建てた経緯とその後の重修の経緯が書かれていた。

 禍転じて福となすであろうか。保存世論が高まり、文化財管理局は1976年~83年に皇龍寺址で当代最大規模の発掘調査を行い、4万点余りの遺物を発掘した。その後、跡地を整備して今は慶州を代表する文化遺産になった。

皇龍寺九層木塔址の心礎石の穴にあった舎利外盒の石蓋。今回の特別展で初めて公開された。1964年盗掘当時に破壊された跡が生々しく残っている=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

木塔址の東側土砂から出た仏像。右手に宝珠を持ち、天に向かって深い正心の視線を投じる姿だ=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 5月から国立慶州博物館企画展示館で3カ月ごとに開かれている特別展「皇龍寺」は、出品遺物である舎利の石蓋から始まった悲劇的エピソードを抱いて、この巨刹にまつわる歴史をひも解いていく。553年、真興王が宮廷を作ろうとしたが、皇龍が現れるや龍宮を意識して寺刹に変え建設したいきさつから、6回崩れ6回再建した九層木塔にまつわる数々の秘話、新羅の三大宝物の一つである丈六尊像、寺の日常生活まで多くの歴史的事実が語られる。

 沼地に建てられた皇龍寺の創建実話と水を治める龍王を崇めた新羅人の意識世界を、龍に関連した遺物を通して見せることから始まる展示は密度が高い。半分以上の遺物が事実上初公開で、教科書などで画一的に習った皇龍寺の歴史の裏面に敷かれている新羅仏教文化の新たな真実を生き生きと教える。盗掘犯が壊した舎利具の石蓋破片を開幕の一週間前に博物館の収蔵庫から捜し出し、一つ一つ並べて復元させたことは重要な成果だ。砕けた舎利外盒の破片と刹柱本記の実物を実見できる感動も大きい。54年前の衝撃的な盗掘事件の顛末と後禍をそっくり見ることができる構成だ。

皇龍寺址から出た仏頭。国立慶州文化財研究所の所蔵品だ=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

皇龍寺址から出た土製龍頭装飾瓦。龍の表情が滑稽だ=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 塑造仏の破片と仏頭、飛天像が彫刻された金細工装飾を通じて、その時期の新羅人の宗教的情熱を垣間見て、立体映像を通じて寺の金堂に置かれた本尊仏や多くの神像の当時の配置状況も生き生きと見ることができる。明快に指し示してはいないが、百済職人の影響力が新羅文化に及ぼした影響がきわめて大きかったということも展示は物語る。湖南(ホナム)、忠清(チュンチョン)地方の寺の址から出るものと酷似している塑造仏破片、百済職人の印章が捺された瓦などがこれを証言する遺物だ。壊れたまま収蔵庫に使わずにおいてあった遺物を一堂に取り出して、発掘から約30年ぶりに初めて皇龍寺の総体的叙事を解きほぐしたという意味は軽くない。ただ、600坪未満の狭い展示空間に、それぞれに多様な秘話を含む600点余りの遺物を集めた結果、その多くのいきさつを一筋ごとに解きほぐすことが出来なかったという寂しさも残る。9月2日まで。(054)740-7500

慶州/ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/music/858585.html韓国語原文入力:2018-08-21 21:20
訳J.S

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