原文入力:2009-09-13午後09:52:14
イ・ボム教育評論家
我が国は中学校までの9年間を義務教育期間に定めている。‘義務’とやんわり翻訳しておいたものの英語では‘compulsory’すなわち‘強制’教育に該当する。義務教育期間に特別な理由なく子供を学校に行かせなければ両親は処罰を受けることがある。子供を学校に行かせずホームスクーリングで教育させる父母たちの話を聞いてみれば、我が国の場合は現実に両親が刑事処罰を受けた例はないという。だが、家に警告状が飛び込んで来て、教育庁と町役場が実態調査を行うことはあるようだ。
暫しの間、大事な子供を学校に送るように‘強制’したのなら、その代わりに何かをすべきというのが当然ではないだろうか? ひとまずは学校に通ってお金がかからないようにしてくれなければならないだろう。憲法31条3項には当初から‘義務教育は無償で行う’となっている。ところでどこまでが無償で保障されなければならないのか? いくつか説があるが、授業料だけでなく給食,教科書,学用品などまで無償で保障されるべきだというのが多数説だ。考えてみれば当然のことだ。兵役義務を履行している兵士たちから食事代などを集めてはならないのと同じ論理だ。我が国と同等の経済力を備えた国で、義務教育期間中に給食費を父母に負担させる国がどのくらいあるだろうか。
子供を‘強制’的に学校に行かせるなら国家が責任を負わなければならないことがもう一つある。最低学力を保障しなければならない。‘学力’と言うと一斉試験点数を思い出させるかも知れないが、はっきり言って学力というものが客観式・単答式問題に答える能力に還元されるという概念は決してない。例えば英語を数年間も習ったのに英語で自己紹介をできないならば、これは明確に学力に問題があるということだ。我が国は今までこういう問題の原因を生徒のせいにしたり(‘頭が回らないから’)両親のせいにしてきた(‘塾にやらなかったから’)。ところで‘強制’教育をさせておいた結果について生徒や両親に責任を負えと言うとはこれが話になるだろうか。これは当然学校が、国家が責任を負わなければならない。ヨーロッパの教育先進国らでは義務教育期間を終える時点に一定水準の学力に達するよう最初から法律で保障している。
基礎学力の責任を負おうとすれば制度の整備と学校文化の革新も必要だが、学級当たりの生徒数のような基本的な条件も好転しなければならない。ところで学級当たりの生徒数統計によれば我が国は経済協力開発機構(OECD)平均に比べて途方もなく過密学級だ。小学校は平均21.5人だが我が国は32.6人、中学校は平均24.1人だが我が国は35.7人だ。(2005年基準で)首都圏一帯には学級当たり45人に肉迫する地域が並んでいる。こういう条件では生徒たち一人一人の具体的な達成度を几帳面にチェックし一定水準以下の生徒たちに日常的な補習教育をさせるということは難しい。
10月から国会が国政監査に入る。キム・サンゴン京畿道教育長を不満に思う人々が京畿道教育庁監査を強く意気込んでいるだろう。キム・サンゴン教育長が推進し道議会の反対勢力により遮られた‘無償給食’と‘革新学校’という二大事業が再び俎上に上がるだろう。だが無償給食は当然に国家の義務なのに中央政界でこれを法律化させなかったためにこの騒動になったものであり、革新学校は学級当たりの生徒数を減らし彼らがともすると強調する‘基礎学力’にきちんと責任を負う模範的な学校モデルを作るためのものではないのか? キム・サンゴン教育長よ、正面から真っ向対立しなさい。他でもない‘憲法’があなたを支持する。
イ・ボム教育評論家
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/376544.html 訳J.S