本文に移動

学歴よりも能力重視・製造業発展が日本の基礎科学の底力を育む

登録:2015-10-08 03:59 修正:2015-10-08 05:10
今年のノーベル物理学賞受賞者である梶田隆章・東京大学宇宙船研究所長が6日、東京大学で開かれた記者会見で、笑顔で質問に答えている=東京/ AFP聯合ニュース

5日と6日に連続でノーベル賞受賞者を輩出した日本の科学界の驚くべき成果は、日本の基礎科学の伝統と底辺がいかに広く強いのかを如実に示している。

 日本は6日、梶田隆章・東京大学宇宙線研究所長(56、物理学賞)を含めて、これまで24人のノーベル賞受賞者を輩出した。 2000年以来、科学の分野で日本が排出した受賞者は12人で、米国に次ぐ2位。

 梶田教授の事例をみると、日本の基礎科学がなぜこんなに強いのか手掛かりを得ることができる。日本はこれまで、物理学、特に素粒子物理学で世界的な研究者を多く排出してきた。原子核を構成する量子を束ねた中性子の存在を予測した湯川秀樹(1949年)をはじめ、朝永振一郎(1965年)、南部陽一郎(2008年)などの研究者が挙げられる。 24人の日本人ノーベル賞受賞者のうち、半分程度の11人が物理学賞を手にした。

 中でも今年の梶田教授に受賞の栄光をもたらしたニュートリノの研究は、世界で日本が最も進んだ分野として挙げられる。梶田教授が受賞できたのは、師匠である小柴昌俊・東京大学特別名誉教授(89)の先行研究があったからだ。小柴教授は、1983年に岐阜県高山市神岡鉱山の廃鉱に「カミオカンデ」という巨大な観測機具を設置した。この機具を通じて1987年、16万光年離れたところで大爆発した超新星から飛んできたニュートリノを世界で初めて観測するのに成功し、2002年のノーベル物理学賞を受賞した。

 受賞者24人中11人が物理学賞
 ニュートリノの分野の世界で独歩
 100年以上前の明治時代に投資
 今輝かしい成果として花開く

 小柴教授の研究では、同大学の戸塚洋二教授(1942〜2008)につながった。彼は1995年にカミオカンデを20倍大きくした「スーパーカミオカンデ」を設置し、翌年から観測を開始した。これを通じて戸塚教授と梶田教授は1998年に世界初の「ニュートリノ振動」と呼ばれる現象の観察に成功した。ニュートリノ振動とはニュートリノが移動をしながら「ミュー(μ)型」から「タウ(τ)型」に姿を変える現象を意味する。これと関連し先立ち、もう一人の日本人物理学者である坂田昌一(1911〜1970)は、もしニュートリノに質量があれば、振動現象が起こることを理論的に証明した。彼らがニュートリノ波動を確認したため、「ニュートリノには質量がない」という既存の理論物理学界の定説が崩れ、実際には質量を持っていることが証明されたのだ。

 このような研究を支えたのは、日本のしっかりした製造業だった。スーパーカミオカンデは、直径29メートル、高さ42メートルの巨大な水槽の壁面に合わせて1万2000個の光電子増倍管が接続された巨大観測機具だ。この装置の中核的な光センサーを開発したのは、浜松フォトニクスという日本のメーカーだった。このメーカーが、1980年に光センサーを開発していなかったら、ニュートリノの観測研究は不可能だったかもしれない。

 学歴ではなく、能力を重視する日本特有の研究風土、昨年日本を揺るがした小保方晴子研究員のSTAP細胞論文ねつ造スキャンダルを自らの力で解明する健全な自浄能力なども、日本の科学界の強みだ。興味深いのは、梶田教授はもちろん、昨年の受賞者である中村修二教授(61)も、科学に初めて関心を持つようになったきっかけとしてアニメ『鉄腕アトム』の科学者である「お茶の水博士」を挙げているという点だ。

 もちろん影もある。ノーベル賞受賞者を輩出した日本の科学的な成果はほとんど今から20〜30年前の1980〜90年代に行われたものだ。 19世紀末の明治時代から着実に行われた基礎科学への投資が、日本経済が最高潮に達してきた時代に輝かしい科学的成果として実を結び、今その果実を収穫しているのだ。日本経済新聞は 「21世紀に入ってから日本人の(ノーベル賞)受賞が続くのは喜ばしいことだが、現在、日本では生産論文の数が減少など、研究開発能力が低下している兆候も見られる」と指摘した。

東京/キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015-10-07 19:40

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/711865.html訳H.J

関連記事