死亡したまま見つかった3歳のシリア難民、アイラン君の写真で全世界が騒めく中、様々な言葉が飛び交っている。もはや一国主義ではなく、世界主義で解決すべき問題があふれ出てきているのだ。インターネット検索中に、偶然、テレビで難民をインタビューしたのを見て誰かが書いた文章に出会った。シリア難民が韓国に受け入れもらって感謝していると語る場面に対して「こんな狂ったやつらが。ここで善良ぶっている人たちがどうのこうの、騒いでいますよね。あの人たちがまき散らす塩酸でも浴びなければ、愛の告白を聞いてもらえなかったという理由で、連れ去られて手斧で切られたりしない限り、黙らないでしょうね。本当にこの国、嫌になりますね」と書かれていた。
全世界が難民を拒否する陣営か、受け入れる陣営かに分かれている。失業状況と福祉、高齢化と公論の場のレベルが主な要因として作用しているようだ。デンマークでは、移民を制限するという公約で保守政権の首相が当選したが、市民の世論に押されてその原則を変更したという。保護主義的な右派政権が難民を追い出したのに対し、市民が自分の家を提供して(難民を)招待したのだ。社会が国民一人ひとりの生存を基本的に保証する福祉システムが整っている場合、国民は簡単に敵対的になったりしない。一方、そのような基盤がなく、押し寄せる難民を収容しきれない東欧諸国では、国境を越える難民たちに対する敵対指数が高まっている。ハンガリーの国境地帯に隣接した小都市の若い市長は、難民を脅迫するファシスト的な動画を投稿し、難民の子供に蹴りかかったハンガリーの女性記者の動画は世界市民の怒りを買った。
ハンガリーの与党が最近浮き彫りになり始めた腐敗問題を隠すために、国民の関心を難民問題に誘導しているという疑惑が持ち上がっているが、このような場合は、例外なくポピュリスト的な動きを見せながら、嫌悪と敵対を量産する統治方法を使われることになる。彼らは、大義を語る「左派」を無能か偽善的な人に仕立て上げる一方、腐敗したが、強力な政権党に対して大衆が安定感を感じるように見せかける、優れた才能を持っている。不安と恐怖が激しい社会ほど、この戦略は成功を収める。実際にハンガリーでは、難民を守る国民も多いが、彼らはあまり目立たない。一方、今回の事態で、ドイツ国民はあまり例を見ない歓待の場を広げている。有権者の88%が難民を受け入れるべきだと回答しており、メルケル首相はこれを全幅的に収容したが、その決断の裏には、世界大戦を起こしたことに対する痛切な反省と、東西ドイツ統一を成し遂げた自信が横たわっているものと見られる。メルケル首相は、この決定が実利的な決定でもあるとして、人口が減少する状況ではリスクよりもチャンスになる可能性が高いと述べた。この自信はどこから来るのだろうか?おそらく統一を成し遂げた経験と、福島原発事故以降、国民的な合意の下で脱原子力を実現したことから来る自信ではなかろうか?国民的な合意を導き出せるしっかりとした公論の場を備えたドイツは、一国を超えてグローバルなレベルで公論の場を作り出せるだろうか?これがドイツの挑戦になるだろう。
急速な高齢化と共に、戦争の危険性と隣り合わせの韓国はどうなのか?自国民の子供たちもしっかり守れないくせに、誰を招待するのかとして、言い出すことすら憚れるような雰囲気だ。いつ難民になってもおかしくないことが分かっているからこそ、難民に対してさらに敵対的なのかも知れない。国民と難民の違いが急激に消えている今だからこそ、国民国家の中に編入されない生活を想像して、国家の外側に立ってみる練習が必要な時ではないのか?嫌悪と敵対を超えた公論の場を自分の中に開ける時、実利を取る余裕が生まれるものであり、貪欲で偽善的な政権が主導する立ち遅れた政党政治を超えて、欧米が偏狭な覇権主義を超えられるように助けられるようになる。韓国国民が難民を歓待すべきなのは、まさにこのためではないだろうか? 今朝の孫と一緒に立ち寄った近所のカフェの前の黒板には、このような一節が書かれていた。「万人が万人を不信し、各々が自分の真実が真実だと主張するが、それぞれの真実より悪い嘘はない。- フレデリック・パジャック」
韓国語原文入力:2015-09-22 18:41