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韓国首相、涙で始まり涙で終わった69日間

登録:2015-04-27 22:29 修正:2015-04-28 06:36
李完九首相が27日午後、ソウル世宗路の政府ソウル庁舎別館で離任式を終えた後、泣きそうな表情で乗用車に乗り込んでいる キム・ボンギュ記者//ハンギョレ新聞社

 

 「申し上げたいことは沢山ありますが、真実は必ず明らかになると信じて、今日は余白を残してこの場を去りたいと思います」

 就任69日目の27日、辞任した李完九(イ・ワング)首相はこの日、政府ソウル庁舎で開かれた離任式で再度自分の潔白を主張した。庁舎を後にし、最後の退勤車両に乗り込みながら、首相室の職員たちに手を振った時には、すぐにでも涙が零れ落ちそうな様子で、目が赤く充血していた。

 彼が今年1月23日、朴槿恵(パク・クネ)大統領からチョン・ホンウォン前首相の後任首相候補者として指名を受け、「大統領に苦言を呈する首相になる」と語ってから100日も経たないうちに、満身創痍で退くことになると予測した人は誰もいなかった。任命当時は朴槿恵政権の「局面転換用カード」と呼ばれ、与野党からも歓迎される雰囲気だった。李首相は「忠清の盟主」として急浮上している様子だった。聴聞会の通過も問題なく終わると予想され、彼も疑惑が提起される度に40年前のX線写真まで取り出すなど、即座に反論証拠を提出し「自販機候補」とまで呼ばれた。しかし、京畿道城南(ソンナム)市大庄(デジャン)洞にある土地投機疑惑をはじめ、不動産投機、本人と息子の兵役疑惑などが相次いで提起された状況で、特に記者団に、放送局パネルの選定と報道機関の人事に介入したという趣旨の発言をしたことが伝えられ、急速に世論が悪化した。

 しかし、これらに対する首相の対応は、多分に「感情的」なものが多かった。次男の兵役免除疑惑については、公開検証を進んで行いながら、「まだ結婚もしていない子供の体の部分を公開してまで、公職に就こうとする非情な父になったのかと思うと、胸が痛む」と涙を浮かべ、不適切な対応と批判されたこともあった。

 傷だらけで首相職に就いてから、彼はすぐに“失地回復”に向けた強い意志を表した。自分が主宰する会議に次官と次長を代わりに出席させたユン・ビョンセ外交部長官とカン・シンミョン警察庁長を狙って「出席チェック」を行い、内閣掌握に向けての硬い意志を示した。

 3月12日発表した「不正腐敗との全面戦争」談話は、“官僚首相”ではなく“政治家首相”として、自らの役割を果たすという宣言として解釈された。しかし、結局、このスローガンが京南企業に対する検察捜査に繋がり、ソン・ワンジョン前京南企業会長との縁は、悪縁となって自分に跳ね返ってきた。李首相は国会本会議で自分の疑惑を厳しく追及する野党議員の質問に「一銭も受け取っていない。お金を貰った事実が判明すれば、命まで差し出す」という爆弾宣言までしたが、すでに大勢は傾いていた。

 一方、首相官邸を後にした李完九首相はこの日、すぐに病院に入院した。李首相の側近は「李首相がずっと健康が良くなかったが、病院に行けなかった」とし「(完治された)血液がんも引き続き管理しなければならず、診療も受けるために入院した」と伝えた。

キム・ウェヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力 :2015-04-27 21:30

https://www.hani.co.kr/arti/politics/bluehouse/688741.html  訳H.J

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