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ユン一等兵死亡事件の公判記録を単独入手

登録:2014-08-11 19:44 修正:2014-08-12 07:24
 10日午後、ソウル駅構内にある「旅行中の将兵用ラウンジ」のガラスに「国防ヘルプコール1303」のポスターが貼られている。シン・ソヨン記者 viator@hani.co.kr

 陸軍28師団普通軍事裁判所(裁判長イ・ミョンジュ大佐)が担当したユン一等兵(21)死亡事件の裁判は、一言で言って「何の緊張感もなく」 分かりきった結論に向かって淡々と進められた。

 事件の真相が暴露された後、一般市民と取材陣が押しかけた5日の公判(訳注:この日の第4回公判直前に「軍人権センター」が市民法廷監視団を募集し、応募した約80人の市民が公判を直接参観した)までに、28師団普通軍事裁判所は3回の公判を開いた。10日に『ハンギョレ』が単独入手した1~3回の公判調書を見ると、5月23日の1回目の公判では、イ兵長など起訴された加害兵士らの身元などを確認する人定尋問と証人申請などが行なわれた。軍検察はユン一等兵を死に至らせた4月6日の暴行現場に居合わせたキム一等兵など目撃者2人を証人に申請した。一方、加害者のチ上等兵の弁護人は暴行事実を初めて幹部に知らせたキム上等兵など2人を申請、証人名簿に上げた。裁判長は軍検察側の証人を先ず2回目の公判に呼ぶことにして、弁護人側の証人尋問は「追って期日を指定する」とした。

 しかし、1か月後の6月27日に開かれた2回目の公判には最も重要な目撃者であるキム一等兵は出席しなかった。その代わりに死亡事件と関連のない暴行目撃者1人だけが証人として出てきた。4月6日の暴行当時、医務班に入院していたキム一等兵は、暴行事実を最も近くから見守った目撃者だ。軍検察や裁判部の‘努力’によって単純傷害致死ではなく、「未必の故意」による殺人の可能性などを追及できる重要な証人であるわけだ。しかし、軍検察はキム一等兵に対する追加証人申請をせず、裁判部も欠席理由や出席可能かどうかなどについて特に関心を示さなかった。代わりに軍検察は、ユン一等兵の解剖医を証人として申請するに止まった。チ上等兵の弁護人は4月6日午前の暴行場面を目撃したイ上等兵を3回目の公判の証人に申請した。

 7月10日に開かれた3回目の公判には解剖医だけが証人として出た。裁判長は証人尋問だけを行なって同日の公判を終え、8月5日をすべての審理を終結する‘結審公判’の日と決めた。この日を最後に、追加審理なしに宣告を行なうということだった。 核心的証人であるキム一等兵に対する尋問も、「追って期日を指定する」とした証人に対する尋問も行うことなく裁判を終らせようとしたわけだ。キム一等兵は「喘息と親の反対で裁判に出席せず」、その後、裁判が行なわれている間に‘早期除隊’したといわれる。

 このような状況で、むしろ加害兵士側の弁護士が主犯であるイ兵長に対する殺人罪の適用を主張する状況まで発生した。この弁護士は第1回、第3回公判当時、「ユン一等兵がイ兵長の父親が組織暴力団だという話をした後に暴行の様相が変わった」と主張した。彼は「それ以前はイ兵長が生命に支障のない大腿部などを暴行していたが、それ以後には胸や腹部に暴行が集中した状況が捜査記録に出ている。イ兵長に殺人に対する未必の故意があったと考えられる」と発言した。第3回公判で最も‘鋭い’指摘が、軍検察や裁判部ではなく、まったく意外にも弁護人側から出たのだ。

ソ・ヨンジ記者yj@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/650618.html 韓国語原文入力:2014/08/11 08:32
訳A.K(1618字)

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