規制装置の集大成といえる法令が集まっている韓国法制処ホームページの‘法令検索’コーナーで‘規制’を入力してみた。‘規制’という単語を含む法律は計15個であった。
先頭の席は‘公教育正常化促進および先行教育規制に関する特別法’が占めていたし、‘犯罪収益隠匿の規制および処罰等に関する法律’、‘射幸行為等規制および処罰特例法’なども共に入っていた。 重量感があるように見えて規制の代表格といえるのは断然‘独占規制および公正取引に関する法’だ。 よく公正取引法と呼ばれる法の名称もその前に付いている‘独占規制’という表現に新たに注目が行く。
公正取引法は1980年末に制定され、翌年4月から施行されたと‘公取委30年史’は伝えている。 法制定の時期は全斗煥軍事独裁が始まった年であった。 全斗煥政権のスローガン‘正義の実現’と同じくらい‘公正取引’という単語も当時の政府の性格とはとてもかけ離れていて、ちぐはぐに見えさえする。
答は時代状況の中にある。 全斗煥政権以前の16年にわたる‘朴正熙式開発独裁’の弊害と、それにともなう破裂音が公正取引法の制定を呼び起こした端緒であった。 開発独裁は韓国経済を量的に成長させる代わりに、不均衡の拡大、市場機能の歪曲を産んだし、何より寡占構造の深化という弊害につながったと公正取引法制定当時の状況を新聞は報道している。
公正取引法の国際的モデルに該当するのは‘競争体制の憲法’と呼ばれる米国の独占禁止法だ。 1890年に制定されたので、韓国で公正取引法が制定される90年前だった。 米国の独占禁止法は法案提案者の名前を取ってシャーマン反トラスト法(Sherman Act)として多くに知られている。 約1世紀に近い時差と、太平洋という空間的格差を置いて離れているが、法制定の背景は非常によく似ていた。 シャーマン反トラスト法の制定直前である19世紀の米国では、石油・鉄道のような主要産業で少数の大資本が主導する寡占が深刻だった。 石油王ロックフェラーが米国石油市場を勝手気ままにしている時期の話だ。 シャーマン反トラスト法の提案者であるオハイオ州の上院議員ジョン シャーマンは、石油王の‘スタンダード オイル’を狙い "政治体制として‘君主’を望まないように、経済体制として‘独占’を願わない" と主張したと記録されている。
韓国と米国、両国の規制装置として代表選手格に該当する法規での積集合単語は‘独占’だ。 アメリカでシャーマン反トラスト法を制定するより114年前の1776年、アダム・スミスの<国富論>から始まったいわゆる‘見えざる手’に完全に任せた‘自由放任’が独占を産み、それにより耐えがたいほど熾烈になった葛藤が規制装置を呼び入れたのだ。 規制は資本主義の資本を固く締めつけるのではなく、資本主義システムを温存させようとする苦闘の産物だった。
資本主義体制の作動原理である自由放任は独占を産み、独占は上・下流の格差を拡げ葛藤を招き、その葛藤を縫い合わせようとする苦しい努力の結実が規制であったわけだ。 規制装置とは概してそのような性格だった。 時代により規制は強化されたり、逆に緩和されたりしてきたが、2008年グローバル金融危機後の国際的な大勢は規制強化の側だ。 その本質もまた葛藤だった。 朴槿恵(パク・クネ)政府が突然時代の話題として持ち出した規制緩和は、少なくとも‘グローバルスタンダード’(国際標準)の現在の流れには合わないと言うことができる。 処方の地点も誤っていると言わざるをえないのは、根(葛藤)を放置して葉(規制)に触れているからだ。 本当に、一度、振り返って見よう。 規制がどうして生じたのか? 葛藤を放置したり育てたりする規制緩和は、必ずや規制種類の数を更に増やす側に帰結されるのが常だ。
キム・ヨンベ経済部長 kimyb@hani.co.kr