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[単独:死角地帯 軍の司法体系 ] 首をくくったキム一等兵を発見した先任兵 「中隊長が虚偽陳述を圧迫した」

登録:2014-03-03 10:56 修正:2014-09-05 17:00

 2011年12月、苛酷行為に遭い自ら命を絶ったキム・某(当時20才)一等兵の弔意金290万ウォン余りを旅団長のト・某大佐が横領したことが明らかになった。 この事実だけでも公憤を買っているが、キム一等兵の自殺とそれに対する軍の捜査過程を覗いて見れば、苛酷行為の隠蔽、記録の歪曲、虚偽陳述の強要など、一層深刻な疑惑が浮かび上がっている。 最初の発見時、キム一等兵は "息があり脈拍があった" と多くの同僚が伝えている。 だが、応急輸送など軍の対処が遅れたという証言が出ている。

 1万3000人余り。 建軍以来 死亡した軍人の内、軍の捜査当局が自殺と結論を出した兵士の数はこれほど多い。 だが、遺族たちは軍の捜査結果を信じられない。 軍隊疑問死が多いからだ。 2009年に活動を終えた軍疑問死真相究明委員会が、軍が自殺・事故死と捜査結論を出した579件の内、‘真相究明不能’で処理した事件は48件、部隊幹部主導で隠蔽・ねつ造したと結論を出した事例は11件に及ぶ。 しかし国防部は、1万3000人の死の中でただの1件も捜査結果を翻意したことはない。

 このように軍内部で起きる事件・事故が透明に真実を表わせない理由は、閉鎖的な軍の司法体系にある。 部隊の鉄条網の向こう側における司法体系の最高峰に位置する指揮官は聖域だった。 拘束有無を決裁し、捜査報告を受け、裁判長を任命し、法定刑未満に刑量を減じる権限が師団長級以上の指揮官に与えられている。 <ハンギョレ>は‘制服を着た60万市民に対して司法の正義はなされているか’という問いに答えるために、司法監視の死角地帯である軍の司法体系を深く覗いて見た。

2012年3月3日、全ての兵士が眠りに就いた深い夜だった。当時一等兵だったキム・ジュンス(23・写真)氏は、小さい懐中電灯の灯りで内務班で日記を書いていた。

 ‘いつのまにかその若者が亡くなって3ケ月が過ぎた。2011年12月3日。 私は下士官筆記試験を終えて部隊に復帰した。 その若者は私に、忠誠クラブ(売店)に行こうと言って近づいて来た。 その時は分からなかった。 その若者の最後の要請であり、救助の要請であったことを。 その翌日のことだった。 その若者の首には緑の太いロープが巻かれていた。 幹部たちは数人の兵士に互いに被害を受ける必要はないとして口封じを頼み、真実の歪曲を圧迫した。 私は憲兵隊調査で事実を歪曲した。 残った軍生活が恐ろしかった。 私は殺人者だ…。’2012年11月に転役したキム氏は、あるインターネット掲示板にこの‘日記’を上げ、亡くなったキム・某(当時20才)一等兵の父親に全てを打ち明けた。 キム一等兵が苛酷行為に遭い、普段からうつ病薬を飲んでいるにも関わらず、部隊では相談・管理がきちんとなされていなかったという内容だった。 去る28日、大田(テジョン)駅で<ハンギョレ>記者と会ったキム氏は「キム一等兵に対する申し訳ない思いを一生心にしまって生きなければならないのかと思った。 それで文をインターネットに載せた」と話した。

 憲兵隊は、キム一等兵が衝動的に自殺したことを前提にして捜査に入ったと見られる。 キム氏は「憲兵が‘(亡くなった)兵士が薬を大量に飲んで自殺衝動を感じたことがありましたか?’という風に尋ねたので‘はい’と答えた」と話した。

 憲兵隊は目撃者の陳述内容を歪曲したという疑惑も受けている。 キム氏は「当時、憲兵調査の時に実際に述べた内容と除隊してから遺族が見せてくれた捜査記録は異なっていた。 憲兵は調査当時の陳述記録をすべて見せもせずに拇印を捺させた」と主張した。 また別の目撃者キム・某一等兵が事故現場を発見した時点も軍の捜査記録には虚偽記録されたと見られる。 権益委関係者は「軍の捜査記録には(また別の)キム一等兵が午後2時に勤務を終えて行政館に行ったが、その5分後に(自殺した)キム一等兵を発見したと記録されているが、実際に現場調査を行った結果、勤務地からトイレまでは歩いて10分以上かかる程遠い」と話した。

 憲兵隊が死亡事故の調査を始める前、当時チョン・某中隊長はキム一等兵を初めて発見したキム氏を個別に呼んだ。 チョン中隊長は彼に 「陸軍下士官を志願する予定だと聞いたが、死亡事件に関われば記録に残り、とても大きい汚点になる。 君も私も進級が難しくなるじゃないか」として「私が(亡くなったキム一等兵が飲んだ抗うつ剤の)プロザックを直接管理していて,毎日相談していたと(憲兵隊に)述べろ」と要求したという。

 だが、チョン中隊長はいわゆる関心兵士に対して毎日面談しなければならない責任をきちんと履行していなかったというのが兵士たちの証言だ。 その代わりに行政補給官、小隊長、兵長らが作成した観察日誌などをつぎはぎした相談日誌を連隊行政統合業務システムに記録した。 副作用で自殺衝動が憂慮される薬品である‘プロザック’の管理もパク・某上司に任せていた。 キム一等兵は自殺する40余日前の2011年10月21日、プロザックを大量に服用し胃洗滌を受けたこともあった。 パク上士は、国民権益委員会の調査で「兵士が配給された薬を毎日服用しているかは確認しなかった」と話した。

 チョン中隊長は、キム一等兵の弔意金290万ウォン余り(訳注:27万円相当)を横領した旅団長ト・某大佐とは官舎でしばしば酒を飲み遅刻出勤したと複数の転役兵士たちは述べた。 国民権益委員会の資料を見れば、キム・某 元士(訳注:下士官階級の一、準尉の下)がチョン中隊長の頻繁な遅刻などの勤務怠慢をト大佐に報告しもした。 キム・ジュンス氏は「旅団長官舎に清掃に行くたびに酒ビンが転がっていたし、冷蔵庫には酒が大量にあった」と伝えた。

 ト大佐が旅団長として赴任した2011年以来、該当部隊の自殺・事故死亡者は3人であることが分かった。 事故が続くとト大佐は、2012年春にキム一等兵が首をくくった状態で発見されたトイレに軍法師(僧侶)を呼んで、水脈が流れているかを点検させた。 ト大佐は今年、将軍進級審査対象者だ。

大田(テジョン)/文 パク・ユリ記者 nopimuli@hani.co.kr 写真 リュ・ウジョン記者 wjryu@hani.co.kr

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キム一等兵 自殺事件とは

陸軍首都機械化歩兵師団26旅団本部中隊所属のキム・某(当時20才)一等兵は、2011年12月4日部隊内のトイレで首をくくった状態で発見された。 キム一等兵は軍入隊直後に服務不適応(自殺兆候)等で判定を受けた いわゆる‘関心兵士’に分類され、特別管理を受けなければならなかった。 しかし先任であるチョン・某一等兵は、キム一等兵に対して眠らせず悪口と人格冒とくを加えた。 部隊幹部はその事実を知っていながらキム一等兵とチョン一等兵の内務班だけを隔離した。 兵士数が60人余りの小さな部隊で、キム一等兵はその後もチョン一等兵からいじめにあった。

 キム一等兵はうつ病の治療を受ける中で自殺した。 軍捜査機関はうつ病の悪化により自殺したと結論を下し、キム一等兵の両親もこれを受け入れ解剖検査もせずに葬儀を終えた。 しかしキム一等兵の先任だったキム・ジュンス氏が2012年11月‘殺人を傍観していた’と告白したことにより問題提起がなされた。

 遺族たちの嘆願提起によりこの事件を調査した国民権益委員会は、先月24日キム一等兵を殉職処理するよう国防部に勧告した。

 権益委の調査では、ト・某旅団長がキム一等兵の弔意金290万ウォン余(約27万円相当)を横領して憲兵隊など部隊幹部に会食費として渡していた事実も明らかになった。

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/626516.html 韓国語原文入力:2014/03/03 09:06
訳J.S(3424字)

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