▲‘ソウル市公務員スパイ事件’控訴審が進行中です。 ユ・ウソン(前ソウル市公務員)氏の妹ユ・カリョ市が今年初め‘国家情報院で拷問を受けて、兄がスパイだと虚偽の自白をした’と主張した事件です。 非公開で裁判が進行されたので、拷問の内容は具体的に知らされていません。 <ハンギョレ>が中国に行ってユ氏の証言を直接聞いてきました。 現地取材を通じて検察主張の不審な点なども新たに発見してきました。 証拠ねつ造論議が再び起きています。
検察がユ・ウソン(33・前ソウル市公務員)氏のスパイ疑惑を立証するとして、控訴審裁判所に提出した証拠が偽造されたものという論難と関連して(<ハンギョレ> 7日付11面参照) <ハンギョレ>による取材の結果、ねつ造の可能性を裏付ける情況が追加で明らかになっている。
韓国検察はユ・ウソン氏の出入境記録を入手して先月裁判所に提出した。 その記録には、2006年6月以後、兄が北韓に一回訪問したように記録されている。 検察が出した証拠を見れば、ユ氏は北韓に出入りし続けたように見える。 反面、ユ・ウソン氏は2004年3月に脱北し韓国に定着した後、母親の葬儀を行うために3日間北韓に留まった2006年5月を除いては、再び北韓に行ったことはないとし対抗している。
ソウル中央地検公安1部(部長チェ・ソンナム)はまた、去る5日ソウル高裁刑事7部(裁判長ユン・ソンウォン)に中国和龍市(ファリョンシ)公安局が先月送ってきた公文書を提出した。 ‘和龍市公安局がユ氏の北韓出入境記録(出入国記録)を発行したことを確認する’という内容だった。 弁護団がユ氏の出入境記録が偽造されたと主張したことに対する反論資料であった。
偽造の疑いにも "事実だ" とばかり言う検察
先ず、なぜ検察が和龍市公安局から出入境記録の発給を受けたのかが疑問だ。 ユ・ウソン氏の中国での所在地は中国吉林省延吉市(ヨンギルシ)(延吉市・朝鮮族自治州)になっている。 北韓に出入りする時に利用したと検察が主張する三合税関(出入国事務所)は吉林省龍井市(ヨンジョンシ)の管理区域だ。
和龍市が北韓国境と相対しているのは事実だが、ユ・ウソン氏事件のために瀋陽領事館が和龍市公安局に接触した理由が明らかでない。 ソウル江南区(カンナムグ)居住者の刑事事件調査のために、中国政府が松坡(ソンパ)警察署に要請して江南区居住者の記録発給を受けて、松坡がこれを証明する公文書まで出したようなものだ。
検察は‘和龍市公安局確認公文書’と共に11月1日に提出したユ氏の出入境記録も改めて裁判所に提出した。 ところが11月1日に検察が裁判所に提出したユ氏の中国‐北韓出入境記録と12月5日に改めて提出した出入境記録に微細な差異が発見された。 2つの記録には共に書類の左側上段に和龍市公安局の印鑑を象徴する‘星印鑑’が捺されている。 しかし11月1日に提出された書類には書類左側の上の中国という字に重なるように星ぼ絵が捺されている反面、12月5日に提出された書類には星の絵が中国の字の上部分に捺されている。
ユ・ウソン氏スパイ疑惑の証拠として
検察が提示した出入国記録と
和龍市公安局の発行確認書
検察が提出した中国文誓の
追加偽造情況があらわれた
兄がスパイだと国家情報院に
虚偽の自白をしたと明らかにしたユ・カリョ氏は
中国で反論資料を探し歩いた
"検察にスパイではないと言ったが
陳述を翻意してはならないと言いました"
弁護団は検察が和龍市公安局の印鑑まで偽造して、同じく偽造が疑われる出入境記録に印鑑を捺して裁判所に提出したのではないかと疑っている。
出入境記録だけでなく‘ユ・ウソン氏の出入境記録を発行したのが事実’と明らかにした和龍市公安局の公文書も偽造の疑いをかけられている。 検察は5日・13日の2度にわたってこの公文書を繰り返し裁判所に提出したが、公文書の上に印刷されたファックス番号がそれぞれ違って印字されていることが確認された。
13日に提出された公文書には、小さい文字で‘04334223692’とファックス番号が印字されているが、5日の公文書には‘96802000’となっている。 13日の文書に印字されたファックス番号は和龍市の地域番号と合うが、5日の文書のファックス番号は瀋陽地域の番号と推定される。 同じ公文書に2つの異なるファックス番号が印字されているのも変だが、吉林省所在の和龍市公安局が飛行機で一時間の距離である遼寧省瀋陽市にまで来て瀋陽にある韓国領事館のファックスで公文書を送ったというのは常識的でない。
検察は中国駐在瀋陽領事館を通じて和龍市公安局から公文書を受け取り、裁判所に提出した。 瀋陽領事館は公文書で‘中国吉林省に対して2006年以後のユ・ウソン氏の出入境記録を送ってほしい’と要請していたことが確認された。 しかし裁判所に提出された和龍市公安局発行のユ・ウソン氏出入境記録は、2001~2006年までの記録だ。 瀋陽領事館の要求事項とは正反対の出入境記録を和龍市公安局が送ったということなので、この点もやはり疑問だ。
出入境記録の裏面に書かれた‘和龍市公安局出入国管理課’の名義もおかしい。 <ハンギョレ>が16日、直接和龍市公安局を訪問したが、こちらの名称は‘出入国管理大隊’であることが確認された。 公安局出入国管理課が公式名称を間違って書いて瀋陽領事館に記録を発行したとのこともやはり常識的には納得できない。 和龍市公安局関係者は<ハンギョレ>に「我々が発行したことのない書類だ。 偽造のようだ」と説明した。
検察は「和龍市公安局の発行公文書であることは事実だ」という説明以外には特別な説明をしていない。 20日午後、ソウル高等法院で開かれた裁判では、この部分が浮上した。 裁判所(裁判長ユン・ソンウォン)は、弁護団の要請を受け入れて検察に来年1月17日までに‘和龍市公安局と文書をやりとりした韓国職員などに対して証人尋問できるよう準備しなさい’と指示した。
"電気拷問室に引っ張っていこうとしました"
<ハンギョレ>は12~17日、延吉市を訪問してユ・ウソン氏の妹ユ・カリョ(26)氏に会った。 彼女は韓国検察に対する反論資料を探すため、中国現地で東奔西走している。 ユ氏は7月3日に中国に追放され、延吉で父親とともに過ごしている。 ユ・カリョ氏は国家情報院で拷問を受けた後‘兄がスパイだと国家情報院で虚偽の自白をした’と暴露した人だ。
国家情報院は去る1月にユ・ウソン氏を逮捕したが、7ヶ月後にソウル中央地裁刑事21部(イ・ポムギュン裁判長)は無罪判決した。 妹のユ氏が国家情報院で行った陳述を裁判途中で覆したことが大きく作用した。
この事件は華僑兄妹スパイ事件、またはソウル市公務員スパイ事件と呼ばれる。 国家情報院が参考人を苛酷に扱い虚偽の自白を強要したという暴露で世の中は騒々しかったが(<ハンギョレ> 9月7日付14面参照)国家情報院でユ氏が拷問を受けた詳細な内容は、裁判が非公開で進行されたため外部には良く知られなかった。 原審裁判所は拷問の事実を認定しなかった。 ユ・カリョ氏はより詳しい内容を暴露した。 ユ氏が中国に追放された後、韓国言論によるインタビューは今回が初めてだ。
"国家情報院職員が私の目にとまれば殺したいと思います。 どうしたら人として生まれて、こういうことができますか?" ユ・カリョ氏は国家情報院の捜査官を今も憎んでいる。 記者に会って怒りの感情を隠さなかった。
これら兄妹は正確には中国国籍の華僑だった。 祖祖父が日帝強制占領期間に北韓地域で独立運動をした中国人であったし、日帝が崩壊した後に家族は北韓の地に定着した。 ユ・ウソン兄妹は共に北韓で生まれて育った。 華僑だが朝鮮人のアイデンティティを持っている。 独裁国家である北韓も嫌いだったが、中国で暮らすことも難しかった。 ユ・カリョ氏は兄さんのように華僑身分でなく北韓国籍者を偽装して昨秋韓国に来た。 名前はユ・グァンオクと新たに付けた。
ユ・カリョ氏は済州(チェジュ)空港で国家情報院にすぐに脱北者として申告した後、京畿道(キョンギド)の合同尋問センターに送られた。 ユ・カリョ氏が合同尋問センターに入った後、一週間目のことだった。 氏名不詳の‘おばさん捜査官’(国家情報院で知らせた名前)がユ氏を調査室に呼び出した。書類の束をユ氏に投げつけて怒った。 「お前、本当にグァンオクなのか? お前がグァンオクではないことを知っている人たちがいる。"
その時から暴行が始まった。 「ハゲ頭捜査官とおばさん捜査官が私を主に調査しました。 交代で私を殴りました。 おばさんが私をひどく殴って手が赤くなると、ハゲ頭捜査官が代わって殴りました。」 華僑身分を偽ったので国家情報院の追及も最初は理解できもした。 ユ・カリョ氏は結局11月5日頃‘兄と共に韓国国籍を得て暮らしたくて華僑だと嘘をついた’と自白した。 実際、韓国には在北華僑が北韓を出た後に韓国国籍を得て暮らしている事例がままある。
ところが国家情報院は華僑だという自白を受け取った後、ユ・カリョ氏と兄のユ・ウソン氏は二人とも北韓保衛部が送ったスパイだと主張し始めた。
「私が華僑だと自白してから数日後でした。 おばさん捜査官が呼んで‘お前の兄さんが脱北者情報のような機密を渡したのではないか’と尋ねました。 私はびっくりして‘それは絶対にない’と話しました。 ところが、兄さんが自らスパイだということをすでに認めたというのです。 とても驚きました。」 ユ・カリョ氏は兄に会わせて欲しいと言った。 国家情報院の説明は信じられなかった。 国家情報院は‘兄さんが調査を受けているので会うことはできない’と言った。 嘘だった。 兄さんは国家情報院に2013年1月10日に連行された。 ユ氏は中国にいる父親に連絡してほしいと頼んだ。 拒絶された。
捜査官の暴行強度はますます激しくなった。 ユ氏は調査室の構造と捜査官が座っていた位置などを紙に詳細に描きながら、自身が体験した暴行の瞬間を証言した。
「調査室に入れば机が2つあります。 一つは私が座り、一つはハゲ頭捜査官とおばさん捜査官が座ります。 調査中に私が‘スパイではない’と言えば、近づいて立たせます。 拳で殴ったり頬を殴ります。 座ったり立ったりを繰り返させたりもします。おばさん捜査官は頬を殴ったり私の後ろ髪をつかんで揺さぶったりしました。 ひどく殴られて床に倒れ、壁をつかんでようやく起き上がる時が多かったです。 目に見える全てのものを私に投げつけます。 恐怖感で全身が‘ブルブル’と震えます。」
「調査室にはカメラのある部屋とない部屋があるが、ある時はカメラのない部屋に連れて行かれ罵りながら殴りました。 全て4階にあって、カメラ部屋は端にあって(カメラのない)調査室は数メートル離れています。 ほとんど殴られない日はありません。 望む(陳述)文章一つを作るために幾日かそのようにして過ごします。」 ユ・カリョ氏は電気拷問室と呼ばれる部屋に引きずられて行った日を生々しく記憶している。 比較的淡々とインタビューを継続したユ・カリョ氏はこの部分で涙を流し始めた。 ユ氏が苦しそうなので質問を止めて休憩を繰り返さなければならなかった。
「ある日、私を電気拷問室に引っ張っていこうとしました。 おばさん捜査官とハゲ頭捜査官が電気拷問室だと言いました。 私はとても恐ろしくて行かないとがんばりました。 捜査官らは私を床を引きずりながら無理に引っ張っていきました。 結局、あるドアの前に連れて行かれ、私はそのドアの前で座って全力で踏ん張りました。 しばらくそんな風にもめごとをしたあげく、そちらに入らずに終わったことがありました。」
「電気拷問の代わりに捜査官らは私の胸と背中に‘華僑ユ・カリョ’と書いた大きな紙を貼り付けました。 ‘話を聞かないから恥さらしさせる’と言いました。 私を合同尋問センター庁舎前に立たせました。 他の脱北者がみんな降りてきて私を見物しました。 捜査官らは私を‘悪い女’と言いながら顔をよく見ろと言いました。 とても恥ずかしくて私は頭を深く下げました。」
国家情報院の苛酷な捜査過程に苦しんだユ氏は自殺を企てもした
検察の起訴状を見れば、ユ・カリョ氏が国家情報院で証言した兄と自身のスパイ行為の内容は非常に具体的だ。 実際に経験した人でなければとうてい分からないように見える陳述で満たされている。 彼女は100枚余りの自筆陳述書を書いた。 検察は‘本人が直接知っていなければ、このように詳細な内容を書くことはできないと言い、ユ氏が裁判途中で自身の主張を翻意したとしても国家情報院で行った陳述の信憑性を弾劾してはならない’と裁判所に主張している。
ユ・カリョ氏は国家情報院で行った陳述が、捜査官らが書かなければならない文章を何日もかけて一つ一つ覚えて書かせたものと主張した。
「例えば捜査官が、兄が北韓に入ってきた日などを黒板に書きます。 2006月6月とか2007年8月と書いて‘この時とこの時に君の兄さんが北韓に入って出てきた可能性が高い’と私を説得します。 私は認めません。 していないことを認めることはできないですね。 事実でないのに。 すると捜査官らは自分たちが望む返事を私がするまで質問を続けます。」
「毎日宿題を出すように百枚ずつ覚えたことを書かせたりもしました。 陳述書を実際に書く時は先に問答紙を整理して作った台本をプリントして、横に置いてそれを書き写させました。」
「私が脱北者名簿を書類で渡したと述べると、ハゲ頭捜査官はUSBファイルではないかと言います。 そのような形で陳述が完成されて行きました。 また、保衛部との秘密連絡方法、挨拶の言葉、連絡先、仮名などもどのようにして作ることになったのか、こういうことを全部国家情報院が教えたのです。」
ユ・カリョ氏は‘北韓保衛部で工作員教育を受けた時、初日は反探副部長から思想武装教育を受け、翌日は革命課題を遂行する工作員に対する映像物を見せられ感想文を提出し、最終日には金日成・金正日・金正淑の肖像画の前で忠誠の誓いをした’と具体的に述べた。
「ハゲ頭捜査官が教えたと記憶しています。 私が後から話をいくつか追加したのもあるが、全体的な枠組みはそこで作ります。」
弁護士の面会申請を阻んだ国家情報院
ユ・カリョ氏は国家情報院で‘兄さんが2006年5月末、保衛部に説得されて南派スパイになった後、中国に出て行った時’と関連して「兄さんが豆満江(トゥマンガン)を渡って北韓に来て帰り、2006年6月初めに三合税関から通行証を持って中国に出て行った」と述べた。これはユ・ウソン氏の出入境記録と論理的に一致する陳述だ。 検察はこれを‘国家情報院で行ったユ氏の陳述は事実だ’という証拠として説明している。 ユ・カリョ氏はこの陳述も作られたものだと主張した。
「ハゲ頭捜査官がこの時、この時、お前の兄さんが中国に入ったと黒板に説明して、この時はこのようにして入ったようだと言いました。 初めはハゲ頭捜査官もちょっと一進一退していたと記憶しています。 全て通行証を持って税関を通じて北韓を往来したと言いましたが、後で北韓に入る時は豆満江を渡って入ったと整理しました。」
調査を受けながら、常に暴行を受けたとすれば身体に痣がある筈で、ユ氏が病院診療を受ける時に暴行はすぐに明らかになっただろう。 ユ氏は調査途中に体調が悪くなり国家情報院捜査官が病院に連れて行き診療を受けたことがある。 検察は控訴理由書に‘ユ・カリョの診療記録を見ても暴行にあったことを認識できる傷や痣を発見した事実はなく、ユ・カリョの暴行・脅迫主張は事実無根だ’と主張した。 ユ氏はこのように説明した。
和龍公安局出入境管理隊長は
検察が出した発行確認書を見て
"正式公文書とは様式も異なり
このような公文書を発行したことは無い
文書を偽造したようだ" と明らかにした
検察が裁判所に提出した資料には
2006年6月10日午後3時17分
ユ・ウソン氏が三合税関を通じて
来たから中国に来たとなっているが
税関は土曜日の午後には門を閉める
「病院に行っても診療を受けただけで、私のからだを医師が調べたことはありません。 国家情報院の捜査官がそばで見て立っているので、私が殴られて痣ができたとも言えません。 医師は‘私が胸が痛い’と言えば、‘ここに来る脱北者は皆胸が苦しいと言って訪ねて来るが、薬を飲めば良い。 若い人が何で病気がこんなに多いのか’と言いながら軽くあしらいました。」
捜査官らは殴って駄目なら懐柔・圧迫をしたりもしたという。 兄さんがスパイだと言わなければ、兄さんを長期間刑務所に送ってしまうと言って、スパイだと言えば韓国でキム・ヒョンヒのように気楽に暮らせるようにしてやると言ったという。 ユ・カリョ氏は‘1年ほど監獄で苦労すれば、韓国で兄さんと一緒に暮らせる’と考えた。
「私はキム・ヒョンヒ(大韓航空858機爆破犯)が誰かも知らなかった。捜査官らがキム・ヒョンヒの話をしながら、南韓に浸透した人で、選挙前日だったか飛行機の下に爆弾装置を置き、人々がみんな死んだと言ったのです。 ところが自分が誤りを反省すると教化(監獄)にも行かずに(韓国政府が)ここで豊かな暮らしをするように全てを措置したということです。」
‘兄さんがスパイだと言えば、ソウル市公務員の仕事も切られると考えなかったのか’と尋ねると、ユ氏はこのように答えた。
「どうせ兄さんが(脱北者ではなく)華僑であることが明らかになったので、ソウル市ではこれ以上勤務できないと言いました。 また、2年を過ぎていれば契約職から正規職になるが‘君の兄さんを我々がそのままにしておくと思うか。何としてでもそうはさせない’と言いました。 それで、兄さんをひとまず監獄に行くことだけは防がなければならないと考えて、スパイだと述べました。」
またおかしな点は、国家情報院の‘虚偽自白強要’と‘拷問捜査’の事実が、なぜ検察の補強捜査段階で明らかにならなかったのかという点だ。 ユ氏はこれに対してこのように話した。
「検察の調査室で私は兄さんがスパイではないと陳述を翻意したことがあります。 すると、検事が私の話をさえぎって私を他の部屋に連れて行きました。 私に‘そんなことを言えば、大失敗することになる。 陳述を翻意することはスパイ罪よりさらに重い罪だ’と言いながら、国家情報院で話した方向で陳述を続けるように言いました。」
国家情報院はユ氏が民主社会のための弁護士会(民弁)所属弁護士らと接触出来ないように止めたという。民主弁護士会の弁護士は国家情報院合同尋問センターに留まっていたユ氏に面会申請したが会えなかった。
「私は弁護士が何をする人なのか知りませんでした。 ところで民主弁護士会の弁護士が度々訪ねて来ると、最初は国家情報院が話もしなかったが、後からは大叔父捜査官が‘民主弁護士会の弁護士はお金だけ取って逃げる。韓国では検事が弁護士の役割をする。 弁護士を選任する必要はない’と説明しました。」
ユ・カリョ氏のこのような証言が皆事実ならば大問題だ。 ユ氏の調査を担当した大叔父捜査官(50代後半),おばさん捜査官(50代初め),ハゲ頭捜査官(40代後半)は全て刑事処罰対象になりうる。
刑法124条と特定犯罪加重処罰法などに関する法律4条の2の内容を総合すれば‘検察・警察 人身拘束に関する職務を行う者またはこれを補助する者が、その職権を乱用して人を傷害に至らせた場合には1年以上の有期懲役に処するよう’規定されている。
ファン・ピルギュ弁護士(大韓弁護士協会人権委員)は「拷問疑惑当事者である国家情報院捜査官に対しては、捜査機関の捜査が必要であり、国会次元で合同尋問センターに対する真相調査をしなければならない」と指摘した。
和龍市公安局・三合税関を訪れたユ・カリョ氏
国家情報院はユ氏のこのような主張に対して全て事実ではないと明らかにした。 国家情報院は18日<ハンギョレ>に送った書面答弁書で 「原審裁判所も‘ユ氏が苛酷行為にあったり懐柔を受けていない状態で自由に陳述した事実が充分に認められる’と判示した。 国家情報院捜査官も直接法廷に出席して懐柔・脅迫・暴行がなかったと証言した」と明らかにした。
しかし、国家情報院合同尋問センターで苛酷行為にあったという主張は、ユ・カリョ氏以外の脱北者からも聞くことができる。 匿名を要求したある脱北者は「国家情報院の説明は嘘だ。 合同尋問センターで殴られて脊椎をケガし下半身がまともに使えなくなった人もいる」と話した。 脱北者を支援するある人権団体関係者は「望む言葉を言わなければ国家情報院捜査官が罵りながら侮辱し、服を脱がせたり、一日中壁を見ながら立たせるなどの拷問をしたという話を私が世話した脱北者から今年春に伝え聞いた。 覚えた通りに陳述書を書かなければ眠らせないとも言った」と証言した。
ユ・カリョ氏は14日(土曜日)午後、記者を豆満江(トゥマンガン)が流れる中国龍井市の三合税関(中国側出入国管理所)近隣に案内した。 延吉市から一時間半ほど車に乗って走れば、すぐに豆満江が見えた。 豆満江のあちこちに鉄条網があって、川岸に降りてみることはできなかった。
三合税関は土曜日午後には門を閉ざしていた。 正面前に行くと、すぐに公安が立ちふさがった。 月曜日から金曜日までは午前8時30分から午後5時30分まで、土曜日には午前11時30分まで運営していると公安は説明した。 検察が裁判所に提出した出入境記録には‘ユ・ウソン氏が三合税関を利用して2006年6月10日(土曜日)午後3時17分に北韓から中国に入ってきた’とされている。 検察の誤りが新たに確認された。
豆満江が広々と見下ろせる三合地域のある山の頂上に登った。 北韓側出入国管理所である会寧(フェリョン)橋頭建物と中国に連結された橋が見えた。 幅400mほどの豆満江はガチガチに凍りついていた。 ユ・カリョ氏が豆満江を渡る時に通過したという北韓側‘ペムゴル哨所’も見えた。
「全部作られた陳述です。あちらの豆満江ペムゴル哨所側(河の上流)を見てください。 川の水が深いでしょ? だけど、反対側(河の下流)を見てください。 ところどころ足を踏み入れられる所(三角地などの堆積層)があって水も浅いでしょ? 背丈が私くらい(約160㎝)の人が河を渡るならどちら側を利用するでしょうか。 私は国家情報院がペムゴル哨所を教えたので、そちらで河を渡ったと言ったんです。」
16日午後、和龍市公安局を再び訪れた。 チルロンポン出入境管理大隊長に検察が裁判所に13日に提出した和龍市公安局の公文書を見せた。 公文書には‘和龍市公安局は出入境記録照会結果を発行したことを確認するものである。(2013年11月27日)’と記されていて、和龍市公安局の印鑑も捺されていた。
チルロンポン隊長はこの公文書を見て驚きの表情を浮かべ 「和龍市公安局の正式公文書とは様式も違うし、我々はこのような公文書を発行したこともない。 (韓国検察が)文書を偽造したようだ」と話した。 チルロンポン隊長は、検察が和龍市公安局から受け取ったと説明するユ・ウソン氏出入境記録に捺された‘和龍市公安局出入国管理課’名義の印鑑もおかしいと説明した。 チルロンポン隊長は「正式名称は‘出入国管理大隊’だ。 ‘出入国管理課’と刻まれているこの印鑑は私たちのものではない」と明らかにした。
ユ・カリョ氏は和龍市公安局の立場、三合税関に立ち寄って確認した出入境記録の誤りの事実などを弁護団に知らせた。 ユ・ウソン氏の父親ユ・ジンリョン氏は記者に会って怒った。 「国家情報院は一度も私を訪ねてきたことがありません。私たちの息子がスパイだと確信しているならば、私のところには一回ぐらいは来て確認しなければならないじゃないですか。 韓国国民は国家情報院の話は無条件に信じるのですか? そこには法もないのですか?」 父親のそばに座っていたユ・カリョ氏はしばらく頭を抱えて苦しげな表情をした。
延吉(中国)/文・写真 ホ・ジェヒョン記者 catalunia@hani.co.kr