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‘遺書代筆’ 23年間 汚名を着せた検事らは常勝疾走

登録:2014-02-13 20:08 修正:2014-02-14 08:19
23年ぶりに無罪判決を受けたカン・ギフン氏が13日午後、ソウル瑞草区(ソチョグ)瑞草洞(ソチョドン)のソウル高裁から出て来ている。(右写真) 1991年、西江(ソガン)大屋上で焼身自殺したキム・ギソル氏の遺書を代筆した疑いで拘束起訴されたカン氏が、初めての裁判を受けるため法廷に入っている。(左写真)カン・チャングァン記者 chang@hani.co.kr, <ハンギョレ>資料写真

 自殺ほう助の疑いで起訴されて以来、23年ぶりに再審無罪判決を受けたカン・ギフン(50)氏を1991年当時に捜査し起訴した検事らは出世街道を走り続けた。

 1991年7月、ソウル地検強力部はカン氏が全国民族民主運動連合(全民連)社会部長キム・ギソル氏の遺書を代筆し自殺をほう助したとし拘束起訴した。 当時この事件の主任検事はシン・サンギュ(65)弁護士であった。 カン氏は先月16日、再審結審公判の最終弁論で 「シン弁護士が夜も眠らせず反復質問と罵りを継続した」として、強圧的な捜査が行われたと主張した。 シン弁護士はソウル中央地検3次長などを務め、2009年光州高検長を最後に検察を退職し弁護士として活動している。 昨年7月、無罪確定事件の中で検事の誤りがあったかを見回す最高検察庁事件評定委員会の委員長を務めもした。 <ハンギョレ>はシン弁護士と電話通話を試みたが連絡がつかなかった。

 遺書代筆事件の捜査責任者としてシン弁護士など後輩検事たちを指揮したソウル地検強力部長はカン・シンウク(70)元最高裁判事だ。彼は1993年ソウル地検2次長、1999年ソウル高検長を務め、2000~2006年に最高裁判事を歴任した。

写真左がカン・ギフン氏遺書代筆事件の捜査責任者であったカン・シンウク元最高裁判事(当時、ソウル地検強力部長),右は事件の主任検事であったシン・サンギュ弁護士/ハンギョレ資料写真

 当時カン氏事件に関与したソウル地検強力部検事たちの中には、朴槿恵(パク・クネ)政府と縁が深い人々が多い。 ソウル西部地検長を務めたナム・ギチュン(54)弁護士は2012年にセヌリ党政治刷新特別委員会クリーン検証制度小委委員長として活動し、クァク・サンド(55)前大統領府民政首席も当時強力部検事であった。 キム・ギチュン(75)大統領府秘書室長は当時の法務部長官だった。

 司法府はカン氏が裁判に付されて1年後の1992年7月に有罪を確定した。 1審裁判長だったノ・ウォンウク(78)弁護士はソウル刑事地方裁判所部長判事、控訴審裁判長だったイム・デファ(72)弁護士は特許法院長を務めた。 キム・サンウォン(81)パク・ウドン(80)ユン・ヨンチョル(77)パク・マンホ(78)元最高裁判事は、カン氏の有罪判決を確定した。 ユン元最高裁判事は、2000~2006年憲法裁判所長を務めた。

イ・ジョンヨン記者 xingxing@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/624001.html 韓国語原文入力:2014/02/13 16:47
訳J.S(1369字)

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