北韓と米国がクリントン行政府時期である2000年10月に合意した北韓-米国共同コミュニケに、北韓の高濃縮ウラニウム プログラム問題を扱う根拠となる文面が含まれていて、北韓側もそれを知っていたという主張が提起された。
米国の代表的な韓半島専門家であるロバート・カーリン スタンフォード大国際安保協力センター客員研究員は19日<ハンギョレ>とのインタビューで "共同コミュニケで金倉里(クムチャンリ)地下施設に言及した内容は、いつかの時点で高濃縮ウラニウム問題を議論する機会を提供するために考案されたものだった」と明らかにした。 彼は当時米国国務部情報調査局東北アジア責任者として交渉に参加し、合意の具体的な内容をよく知っている。
これは米国が北韓の高濃縮ウラニウム プログラム問題に本格的に火が点いた2002年10月よりはるか以前にこの懸案を認知していたことはもちろん、すでにクリントン行政府時期にこれを解決する準備をしていたという点を示している。 米国は1999年頃に北韓が(ウラニウム濃縮のための)遠心分離機資材を国外から購入するという諜報を韓国政府から渡されたと伝えられている。
カーリン研究員は具体的に「共同コミュニケは当時‘両者は(1994年10月)ジュネーブ合意に従う義務履行の透明性を向上することが望ましいということに同意した。 これと関連して金倉里(クムチャンリ)地下施設に対する接近が米国の憂慮を解消するのに有益だということに注目した’と指摘した」として「‘接近が有益だ’という表現は、非常に意図的に使われたもの」と説明した。 ここで米国の‘憂慮’は当時クリントン行政府が持っていた北韓の高濃縮ウラニウム プログラムを指すものであり、北韓核疑惑施設に対する‘接近’を通じて、この問題を解決していくという意が含まれているということだ。 特にジュネーブ合意の履行透明性と関連付けることによって金倉里の他に他施設に対する接近可能性を開けておいたという説明だ。
カーリン研究員は米国のこのような意図を北韓側も認知したことが把握されると主張した。 彼は「この文書の草案を2000年1月に北韓側に送ったという点にも注目する価値がある」として「私たちはその年、北韓側と継続的に会合する時にこれに言及した」と話した。 特に彼は 「(2000年5月北韓-米国ミサイル交渉関連)ローマ会合で、私たちは追加的な接近の必要性に対して全般的に暗示した」として「当時私たちが特定懸案を念頭に置いているということを北韓側が理解したという印象を受けた」と話した。
2000年1月に米国が共同コミュニケ草案を北韓に送ったのも、2000年6・15南北首脳会談以前から米国がこれを念頭に置いていたことを語る新しい証言だ。 カーリン研究員は 「2000年1月に私たちは北韓高位級代表団の訪米が何を生産するのかを見せようとしたのであり、当時この草案に対する北韓-米国間の議論はなかった」と話した。
カーリン研究員はしたがって北韓-米国が共同コミュニケの履行を通じて、北韓の高濃縮ウラニウム問題を交渉で解くことができたと考えられると明らかにした。 彼は先月発刊した著書<二つのコリア>(The Two Koreas)増補版でも、これと関連してクリントン行政府末期に「国務部中間層の官吏たちは、北韓とこの問題(高濃縮ウラニウム)を扱う戦略をすでに考案していた」と明らかにした。 しかし彼は、2001年初めブッシュ行政府がスタートしてこのような計画をまともに実行することができないままに失敗に終わったと指摘した。 彼は「ディック・チェイニー副大統領をはじめとするネオコンは、初めからジュネーブ合意をひっくり返そうとする意図を持っていた」と話した。
ソ・ジェジョン ジョーンズホプキンス大教授は 「カーリンの証言は、交渉の重要性を再び悟らせる」として「ジュネーブ合意の履行が進行している間に北韓の5MW原子炉稼動が中断され、100MW原子炉建設が中断されただけでなく、追加的な交渉が可能だったという証言のため」と話した。
ワシントン/パク・ヒョン特派員 hyun21@hani.co.kr