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関東大震災時に殺害された朝鮮人名簿、駐日大使館で発見

登録:2013-11-17 22:01 修正:2013-11-20 14:34
関東大震災当時、日本人らに虐殺されたと推定される朝鮮人の写真。 写真上部分には関東大震災が起きた日である1923年9月1日である'大正十二年九月一日と日付がはっきりと記されている。 写真の中には数十体の死体が並んでいて死体の下衣がはがされている。 死体のそばには男性たちが竹槍または鉄串と見えるきわめて長い棒を持って立っている。

 去る6月、駐日韓国大使館の新築・移転過程で1950年代に韓国政府が作成した日帝強制占領期間被害者名簿が発見された事実が17日確認された。 この中には1919年3・1運動と1923年9月関東大震災当時 朝鮮人‘被殺者’名簿なども含まれていることが分かり、今後遺族確認と関連研究に少なからぬ影響を及ぼすものと展望される。

 駐日大使館当局者は17日 「今年6月東京四谷の韓国大使館を現在の麻布十番庁舎に移転する過程で、書庫に保管されていた大量の日帝強制占領期間被害者名簿が確認され、これを関連政府部署に移管した」と明らかにした。 これら文書は鉄筆・手書きで作成されたもので、檀紀4386年(1953年)という道知事職印などが捺されている事実に照らして李承晩政権時期である1950年代中盤に作成されたものと推定される。 また別の大使館関係者は「1950年代韓-日国交正常化会談過程を見れば、日本政府は植民支配による被害の立証責任を韓国政府に押し付けていたことがわかる」として「そのために韓国政府が各道別に実態調査を行った後にこの資料を根拠に協議にはいったようだ」と話した。 政府関係者は「今回発見された文書は大きく三種類で、最も規模が大きいものが65冊分の強制動員者名簿で、その他に各一冊ずつの3・1運動と関東大地震‘被殺者名簿’がある」として「分析作業が終わらなくて具体的な被害規模と内容はまだ分からない」と伝えた。

 特に注目に値する点は、今回発見された被害者名簿の中に関東大震災以後に日本軍警と自警団により殺害された朝鮮人名簿が含まれている事実だ。 強制動員者名簿などは1958年に韓国政府が完成した‘倭政時 被徴用者名簿’と、日本が韓国に譲り渡した幽囚名簿などの色々な資料を通じて概略的な被害規模と名簿が用意されている。 3・1運動犠牲者も同じだ。 しかし関東大震災は事故直後に上海臨時政府の機関紙である<独立新聞>社長キム・スンハクの指示を受けたハン・セボクらが現地留学生らと現場調査を行って被害者数が6000人余りに達するという推定値を出したことがあるが、正確な被害規模は集計されていない。 そのために遺族確認も容易ではなく、日本政府に謝罪と真相究明を要求する運動に大きな困難を経験してきた。 ただしこの名簿は虐殺以後30余年が過ぎた1950年代中盤に在日本大韓民国民団(民団)を中心になされた調査である可能性が高く、朝鮮人虐殺の全貌をどれほど具体的に知らせているかは未知数だ。

 一方、外交部はこのような文書が公開されれば、韓-日関係に影響を与えかねないという理由で、文書を移管された国家記録院などは南北首脳会談対話録波紋の余波で今まで文書公開を避けて来たと伝えられた。 東京/キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/611578.html 韓国語原文入力:2013/11/17 20:45
訳J.S(1350字)

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