今年で韓国戦争が停戦になって60年が過ぎた。 韓半島は戦争でも平和でもない、世界で先例を探すことのできない非正常的状況が60年間続いている。 韓半島の停戦体制はなぜ解消されないのか? これを抜け出す方法は何だろうか? 東アジアと韓半島問題に大きな影響を及ぼしている韓国・米国・中国・日本を代表する知識人が集まって韓半島停戦体制の意味と実践的課題について意見を交わした。 座談は8月28日ハンギョレ新聞社8階会議室で行われた。
座談者紹介
ブルース・カミングス
米国シカゴ大客員教授。 韓半島近現代史の専門家で韓国戦争に関する記念碑的な著作である<韓国戦争の起源>(1981~1990)を残した。
和田春樹
日本 東京大名誉教授。 主専攻であるロシア史を始め北韓現代史、南北関係、韓半島問題などに多くの研究成果を残した。 軍事独裁時期、韓国の民主化運動を後援した日本の代表的な実践的知識人に挙げられる。
ワン・フイ(汪暉)
中国 精華大教授。 魯迅文学研究から出発して中国新左派を代表する思想家として研究領域を広げてきた。 主な著書に<脱政治化の政治><死んだ火再び生き返る>などがある。
パク・ミョンニム(朴明林)
延世(ヨンセ)大教授。 韓国戦争、韓-米関係、解放前後の韓国政治などで粘り強い研究成果を上げた韓国の政治学者。 <韓国戦争の勃発と起源>(1996)は韓国戦争に対する主要研究成果に選ばれる。
■ 停戦体制が60年も持続する理由
パク・ミョンニム(以下 パク) 今年は韓国戦争が停戦になって60周年になる年だ。 停戦体制が60年も続いた要因から話を始めてみよう。
ブルース・カミングス(以下 カミングス) 私は韓国戦争に参加した誰もが今のような不安定状況がこれほど長期化するとは予想できなかったと見る。 最も根本的な原因は、戦争に参加したいかなる陣営も戦争の結果である休戦ラインを認めず妥協しなかったことだ。 停戦の1年後の1954年、停戦協定によりジュネーブで平和交渉が開かれた。 停戦協定により軍事対決が終わったものの葛藤は終息させられなかった。 戦争ではなく、平和でもない非常に特異な戦争中断方式であったため、1953年に形成された体制が60年過ぎた今でも強固に維持されているということだ。
和田春樹(以下 和田) 韓国戦争は大2次世界大戦後に冷戦が始まり、以来東アジアで発生した2番目の新たなアジア戦争だった。 最初の戦争は中国内戦だった。 帝国主義が解体された後、東アジアでは共産主義勢力によって国民国家を形成しようとする巨大な流れがあった。 中国内戦の時は米国の介入がなかった。 しかし韓国戦争では米国と中国の介入があった。 韓国戦争は終わったが、米国は戦争が終了したこととして受け入れなかった。 3回目の戦争はベトナム戦争だった。 1975年ベトナム戦争の終息直前に米国と中国が会ってデ・タントを成し遂げた。 この出会いで米国と中国は互いを認めることになった。 それがある意味では韓国戦争の終結と見ることもできる。 この流れは連続的なこととして韓国戦争は東アジアの他の舞台で続いた。 1953年の停戦は平和ではなかったのだ。
カミングス その通りだ。 米国は1954年ジュネーブで交渉しようとしなかった。 東アジアの他の地域で共産主義と戦争が続いていたためだ。 それは単純に北韓、中国、ベトナムに対することではなく、それら全てを相手にしたことだった。 これは1954年にディエンビエンフーでフランスがホーチミンの導くベトナム独立同盟軍に敗北した後に明らかになった。 米国はフランスに代わって戦争に介入した。
ワン・フイ(以下 ワン) 事実、東アジアで冷戦は終わっていない。 ここで言う冷戦とは、冷戦時代にあった特定の秩序を意味する。 例えば核威嚇を見よう。 韓半島で核威嚇は非常にありふれているのである。 これは韓半島だけでなく台湾との両岸関係にもそのまま適用される。 米国の介入は韓半島にもあって、台湾にもあって、東アジアのあちこちにある。 米国はこの地域で後退したくなく、兵器を売りたい。 そのような米国の政策が今の状況を維持している。 私は今でも冷戦状態が大きく変わっていない半分戦争の状態だと考える。
ブルース・カミングス
6・25の起源は植民時代の対立
米・ソ介入で国際戦 拡散
両陣営 休戦ライン認めず不妥協
米‘懲罰的外交’自己破滅的
和田春樹
6・25, 東アジアの他所で継続
米、ベトナム敗戦で教訓を得られず
米-日と関係を正常化できない北漢
南韓-中・ソ修交に威嚇感
■北韓-米国関係、そしてG2時代
パク 国際関係を見れば、米国は戦争終了以後、または全ての敵対国家と一世代以内に関係を正常化してきた。 さらに戦犯国家とも直ちに講和条約を結んだり国交を正常化してきた。 ソ連、西ドイツ、日本、東ドイツ、中国、ベトナムなどが皆そうした。 ところが米国は、ただ北韓だけとは60年が過ぎても講和条約を結ぶことも、関係を正常化することもしなかった。 これは世界的例外事例として韓半島停戦体制と東アジア冷戦が持続する核心理由だ。 すなわち平和体制構築失敗の一番の要因ではないかと思う。
カミングス 韓国戦争が終わった後、少なくとも30年間は米国が南韓を支援しなければならなかった。 それで北韓との関係を改善するのは北韓と競争関係にあった南韓を危険に陥れることだと考えた。 しかし冷戦が終わってソ連が崩壊するや状況が変わった。 北韓はまもなく崩壊するのに、あえて関係を改善する必要があるかという側に考えが変わった。 しかし、今や関係正常化をしないことに対する特別な弁解の種がない。 韓国戦争からこれほど長い時間が経過したのに、米国はそちらに大使館もなく影響力もない。 私は米国が北韓とはやく関係正常化に乗り出さなければならないと考えるが、今バラク・オバマ行政府は北韓に特別な関心を注いでいない。 米国は今はすべて中東問題で余裕がない。 外交とは、親しくなく見慣れない相手とすることだ。 しかし不幸にも1945年以後、米国は外交を懲罰として使ってきた。 我々はお前が気に入らないので外交関係を持てないということだが、私はこれが自己破滅的な政策だと考える。
和田 私が言う新しいアジア戦争は1975年のベトナム戦争終了で終わった。 米国が敗北したのだ。 もちろん韓国戦争とベトナム戦争の性格は違う。 しかし、米国がベトナム戦争を反省する気があるならば、韓国戦争でも態度を変えて北韓との関係を変えることができるだろうと考える。 しかし米国はベトナムでの敗北を予想して、米国が敗北したという不名誉な印象を消すために1972年ニクソンの中国訪問による北京との和解という行動に進んだ。 北韓は米国が中国と和解したとすれば、自分たちとも和解するのではないかと期待した。 金日成が「ニクソンが白旗を揚げて北京に行った」と話したことはそのような考えの表現だった。 しかしニクソンは北韓と和解をするつもりは全くなかった。 米国はベトナム戦争で敗北したが、それから何も学べなかったのだ。
ワン もし北韓と平和交渉をするならば、米軍は韓国駐留を正当化することは難しいだろう。 米国がこの地域で軍事的な地位を維持しようとすることは、少なくとも韓半島情勢が解決できない一つの重要な原因だ。 多くの人々が米国の韓半島政策とドイツ政策を比較する。 しかしドイツが統一できたのは、米国でないソ連の政策変化があったおかげだ。 東アジアで米国は今中国が根本的に変わることを願っている。 彼らはまた、北韓が屈服することを願っている。 中国は巨大な変化期にあるが、米国が願うそのような方式では変化しないだろう。 北韓も同じだ。 それですべての構造がここで固く行き詰まっている。 そして多くの人々が韓半島問題で中国の役割が重要になったと話すが、それは事実でないことが確認された。
パク 世界的に主要2大国(G2)は現実ではないか? また、米国と中国は東アジアと韓半島問題解決でも基軸国家だ。 中国の責任大国論もこれを意識したものと見られる。 駐韓米軍の撤収問題も中国、日本、ロシアの長年の対韓政策と領域内相互競争、南北敵対状況に照らして決して容易な問題でない。 冷戦時代の駐韓米軍は、北韓の対南攻撃防御と韓国の対北攻撃阻止という二重の役割を遂行した。 駐韓米軍は日本の独自軍備強化を牽制する口実とも関連している。
ワン しばしば中国の浮上が全てを変えてゆくだろうと言う人々に会う。 しかし中国は軍事的にG2にはなれない。 それどころか中国は主要8ヶ国(G8)に含まれることもできない国だ。 中国領土外に配置された中国兵士がたったの1人でもいるか。 韓国に中国の軍事的な威嚇があるか。 中国は中国外にただ一つの軍事基地もなく、小さな軍事的な威嚇もない。
カミングス 米国はこの間一度もアジアを離れたことがない。 グアム、韓国、日本沖縄などに軍事基地を維持している。 去る10年間、アフガニスタン、キルギススタンなどにあった旧ソ連軍基地を接収した。 パキスタンに秘密基地がある。 永く敵対してきたビルマとも関係改善を果たした。 多くの米国人は米国が外国に軍事基地を持つことを当然だと考えている。 私は我が国のそのような姿に対して別に弁解しない。
ワン・フイ
韓国戦争1段階は解放直後の状況
6・25 外部の直接的介入 前例なく
米国の介入政策のために冷戦が継続
中国、軍事的にはG2になりえない
パク・ミョンニム
米国、唯一北韓とだけ関係改善せず
米・中、韓半島問題 解決 基軸国家
北韓-米国関係の正常化と平和体制への
転換なしでは北核開発は防ぎ難い
■ 南北関係と韓半島内部
パク 中国が大国に浮上した後、私たちは両岸関係、韓国戦争参戦、チベット問題、中国-インド国境紛争、中-ソ国境紛争、中国-ベトナム戦争など、その間中国が繰り広げてきた辺境政策を深く省察してみる必要がある。 核心はやはり米国と中国であるためだ。 韓半島の内部を見よう。 今春も世界の言論は第2の韓国戦争がさく烈する危険性を報道するのに忙しかった。 韓国問題によって東アジアと世界に戦争の脅威と葛藤が悪化すれば、世界の人々に恥ずかしくて仕方がない。 対北韓政策を巡って、一貫性を失い、保守と進歩が激烈に争う韓国の姿も同じことだ。
カミングス 金大中-盧武鉉政府の時、韓国内部で持続的な関係強化の動きがあった。 開城(ケソン)工業団地、金剛山(クムガンサン)観光のような建設的な事業があった。 私は個人的にそのような流れが覆ることはないと思った。 しかし米国でブッシュ行政府が執権し、韓国で李明博政権になるや北韓にとって非常に当惑する状況が発生することになった。 北韓としては突然に米国と南韓が門戸を閉ざしたわけだ。 そこに天安(チョナン)艦沈没のような事件が発生した。 しかし事実は、米国と南韓が政治的な理由で和解の過程を閉ざしたのだ。 米国と南韓の政策が問題を起こし、北韓の反応がこれを再び増幅させたのだ。 しかしこれは根本的には、これ以上は前に進みたくないソウルとワシントンの政治的な決定によったものだ。 和解より圧迫で北韓の崩壊を狙ったのだ。
和田 多くの韓国の人々は、金大中・盧武鉉政府を経て韓国ではもはや戦争はないだろうと考えた。 多くの人々が北韓を訪問し、もはや北韓を恐れる必要はないと考えた。 しかし、北韓は韓国に吸収されることを恐れている。 北韓は米・日と関係を正常化できなかったが、韓国はすでに旧ソ連および中国との関係を正常化した。 このような安保脅威に対処するため北韓は核を開発した。 しかし李明博政府は非常に賢くない政策を展開した。 南韓は強く、北韓は弱い。 どのように均衡を合わせて彼らが未来のために進めるようにすべきか? これが大変重要な問題だ。
ワン 2週間前、私が平壌(ピョンヤン)を初めて訪問した時に、一般の北韓の人々は金大中大統領と盧武鉉大統領に対して非常に肯定的な考えを持っていた。 2人が北韓との関係を改善するため努力したということだ。 北韓には指導者だけでなく一般の人々がいて、彼らの世論がある。 これは台湾と大きく異なる点だ。 台湾は分離独立を望んでいるが、北韓は統一に対して強い熱望を持っている。 そのため韓国がどんな政策を行うかにより大きな変化がありえる。 去る数十年間、関係を改善しようとする良い機会があった。 しかし周辺国が北韓と関係改善を試みる瞬間、いつも逆風が吹いた。 2002年には日本にその機会があったが、当時金正日国防委員長が北韓の日本人拉致問題を認め日本との関係改善をしようとした。 しかし小泉純一郎日本総理が平壌(ピョンヤン)訪問を終えて帰ってきた直後、言論を中心に猛烈な反対世論が起きた。 米国を見れば、クリントン行政府時期、北核問題を解決するため北韓に軽水炉を提供する代価として北韓は寧辺(ヨンビョン)核施設を凍結するジュネーブ合意をした。 しかしジョージWブッシュ大統領が執権した後、これがひっくり返った。 なぜ私たちはこのような機会を失ったのだろうか? 私たちは単純にすべてのことに対して北韓を非難するだけではすまない。
パク 約束の遵守と政策の一貫性の問題は、相互違反の事例が重なっていてそんなに簡単な問題ではない。 独裁体制と民主主義の差も重要だ。
カミングス 北韓は独裁という非常に連続的なリーダーシップを持っている。 そのために一貫した政策を展開できる。 しかし米国と韓国は民主主義体制だ。 選挙が終わって政府が変われば、以前の政策が変わる。 ブッシュ行政府はクリントン行政府の対北政策を変えたし、李明博政府は盧武鉉政府の政策を変えた。 私は北韓の落胆を理解できる。 いったい自分たちは誰と交渉しているのかと考えただろう。
和田 小泉総理が2004年に北韓を2回目に訪問した時、金正日国防委員長が彼に話した。 「我々はとても失望した。民主主義でも政治指導者には何らかの力があると考えていた」ということだ。 金正日委員長は1次訪問以後、日本と1年以内に関係正常化がなされうると考えた。しかし小泉総理が帰った後、拉致問題を巡り種々難しい問題が発生した。 小泉総理は公開的に「我々は北韓との異常な関係を変える。 そして対立から友情へ、また協力に進む」と話した。 彼は平壌(ピョンヤン)に発つ前に羽田空港で話したし、平壌で金正日委員長と会った後にも話したし、日本に戻ってからもまた話した。 3回そのように言ったのだ。 しかし何も起きなかった。 北韓は強く失望しただろう。
"北韓、分離を望む台湾とは違う…韓国の政策によって大きな変化が可能"
■北韓内部-先軍主義
パク 今度は北韓内部の要因を語ってみよう。 改革開放に成功した中国とベトナム、下からの変革に成功した東ドイツと比較してみる時、北韓は依然として閉鎖的独裁体制であり先軍主義を持続している。 特に先軍主義は韓半島問題と密接な関係を持っている。
和田 先軍主義という北韓の政策は非常体制だ。 主に外から来る威嚇に対処しようとするものだ。 これは軍が全てを統制する体制だ。 北韓は実際にこれを通じてこれまでの危機を克服してきた。 現在はすでに権力が軍から再び党に戻ったと見られる。
カミングス その意見に同意する。
ワン その反面、北韓では社会主義的議題が依然として重要だ。 私たちは北韓人民が成し遂げたことなどを評価しなければならない。 彼らは貧しいが品位を守ってきた。 平壌で多くの工事現場と高いビルディングなどを見ることができた。 今は電力事情もそれほど悪くない。 住宅、教育、道路、健康保険などはアフリカや東南アジア国家の体制も北韓より良くはない。 北韓は完全孤立した最悪の状況でもそんなことを維持してきた。 驚くべきことだった。 もちろん平壌以外のすべての所で全てそうではなかったが、彼らは自らを誇らしいと考えている。 多くの西欧の報道機関で北韓は非常に否定的に描かれる。 そうしたことが人と人の間の日常的なコミュニケーションを遮る。 もし外部言論が論調をもう少しやわらかくして、北韓に少しでも信頼を見せるならば北韓との関係を解決するのに役立てるはずだ。
カミングス たった今の話は30年前の1981年に私が受けた感じと非常に似ているように聞こえる。 私も北韓で見たことをまともに説明することは難しいと見る。 北韓の一般の人々は普通の平凡な生活水準を営んでいて、一部の北韓の人の中には洗脳されていない人々もいるように見えたので、北韓で見たことをそのまま北韓の外に出てきて説明することは難しい。
和田 現在の北韓はこれまでの危機を克服することに成功した。 そして非常に強い集団指導体制によって国家システムが作動している。
ブルース・カミングス
ブッシュ・李明博 門戸を突然閉ざし
北韓が激しく反応して問題増幅
米国に最も重要なことは相互理解
戦争勃発の可能性を最小化すべき
和田春樹
北、先軍主義で危機を越したが
権力は再び党に戻ったようだ
安保憂慮で核開発を継続
オバマ主導で6者会談を行う必要
■韓国戦争の性格
パク 韓国戦争停戦60周年対談なので、どうしても韓国戦争の性格について話さなければならない。
カミングス 韓国戦争は基本的に内戦だ。 根本的に私はこの戦争が1950年6月25日に始まったとは考えない。 韓国戦争の起源は植民時代の対立にまで遡る。 それは1945年の解放以後、韓国が左右に分かれて2つの分割政府が現れて本格展開し始めた。 内戦であるから、どちらか一方の侵略で始まったという考えは望ましくない。 もちろん韓国戦争は内戦として始まって、米国とソ連など強大国がそれぞれ南韓と北韓の肩を持って国際戦に拡大した。 韓国戦争の性格に対する私の考えは変わらない。
和田 1948年に韓半島に2つの国家が誕生した。 彼らは統一国家を作ることを願った。 その手段は軍事的なものしかなかった。 それで北韓がソ連と中国の支援を受けて戦争を起こした。 しかし米国の介入で失敗した。 その次は韓国が統一のためのドライブをかけた。 しかし中国の介入で失敗した。 そのような意味で、韓国戦争は植民時期や解放後ではなく、分割政府樹立以後に北韓主導で始まった2つの政府間の内戦だった。 一般的な内戦のように政府と革命軍の間の内戦ではなかった。 韓国戦争は冷戦によって非常に大きな影響を受けた内戦だが、以後には東アジア戦争に拡大した。
ワン 韓国戦争の1段階は植民地から解放された以後の現象だった。 私は1945年から1950年までにどんなことがあったのか、すべての状況を分からなければならないというカミングス教授の意見に同意する。 韓国戦争が内戦だということは中国の状況と同じだ。 1945年に中国と朝鮮、全部が日本の支配から抜け出した。 朝鮮のように中国にもすでに2つの政府があった。 そしてソ連と米国という背景がいた。 しかし、中国内戦ではこの2つの勢力の直接的介入はなかった。 しかし韓国戦争では冷戦の2本の軸が直接的かつ露骨に激突した。 韓国戦争のように外部の直接的介入があった戦争も珍しい。
パク 私は韓国戦争を内戦や国際戦とは見ない。 内戦から国際戦に発展したとも見ない。 また、植民時代や1945年以後よりは1948年の2つの分断国家の登場の方がはるかに重要だったと見る。 戦争の起源と原因、決定過程と主体、開始と勃発、展開、終結過程と戦後体制、影響のほとんどすべての面で韓国戦争は典型的な世界市民戦争だったと見る。 当時韓半島は世界陣営対決と理念対決が凝縮された小宇宙として、帝国対帝国、政府対政府、市民対市民、帝国対民族、政府対市民など色々な次元が凝縮された世界葛藤の前方哨所であった。 韓国人も当時、世界分断と世界理念と世界葛藤を最も深く内化した代表的な世界市民だった。
ワン・フイ
中国、東アジア問題の解決には限界がある
言論の論調、北との関係に影響を与え
金正日-小泉合意など覆る
北韓だけを非難することはできない
パク・ミョンニム
これまでの南・北・米 非核化合意過程で
北、駐韓米軍撤収主張など
一挙に引っこめたことがある
最後まで対話で説得していくべき
■北核問題
パク 最後の主題は核問題だ。 韓国戦争時期はもちろん停戦の60年間、韓半島はいつも核問題を抱いていた。 停戦体制に重なった最近の北核体制は韓半島問題の解決をより一層難しくしている。 私は北韓-米国関係の正常化と停戦体制の平和体制への転換なしには北核問題の解決は不可能だと見る。
カミングス 私は北韓がすべての核兵器を放棄するとは考えない。 彼らが本当にすべての核兵器を全て出したと言うとしても、後に1,2個隠しておくかもしれず誰にも分からない。 それで恐らく彼らがこれ以上は核兵器とミサイルを作れないよう制限するということと同時に、それに対する補償をすることが代案であろう。 米国と韓国が直ちにそうするとは言わないだろうが、米国が北韓との関係改善を企てるならば、北韓はこの提案に同意するだろう。 米国政府にとって今重要なことは、現在の状況を相互に理解し認定し戦争勃発の可能性を最小化することだと考える。 去年の春にほとんど戦争勃発直前まで行った危機状況は、決して起きてはならないことだった。
和田 北韓は在来式兵器では米国および韓国とは相手にならないので、核兵器を持とうとしている。 したがって安保問題が解決されなければ北韓の核開発を阻むことは難しい。 それで‘これ以上実験はするな、対話しよう’と言うには米国が門戸を開けて6者会談を始めなければならない。 これを決定できるのはバラク・オバマ米国大統領だ。
ワン 北韓に核を放棄させることは難しい。 もし米国が政策を変えなければ、より多くの核兵器を作るだろう。 リビアを考えてみよう。 彼らは核を放棄し、それで結局崩れてしまった。 このような戦争を体験した後に、どうして北韓に核プログラムを放棄しろと言えるだろうか。 北韓はブッシュ政府の不良国家名簿に載った。 これは北韓が敵だという宣言だった。 敵にどうして武器を捨てろと言えるか。 力の力学関係がこのようになっているのに、どうして相手を説得できるか。
パク 3人とも悲観的だ。 しかし私は韓半島非核化に対する希望をあきらめていない。 南韓-北韓-米国は、韓半島非核化に対する合意を2回も成し遂げたことがある。 6者会談でも2回も合意に到達した。 北韓は永く南北関係改善の‘3大先決要件’として主張してきた 駐韓米軍撤収、国家保安法廃止、国家安全企画部(現 国家情報院)撤廃を一挙に引っこめたことがある。 一連の会談に直接参加して北韓を最後まで説得してみた経験に照らして、私はまだ希望を捨てていない。 問題は私たちの切実な思いと歴史に対する責任意識、そして知恵と戦略ではないかと思う。 一日も早く韓半島に平和体制が樹立されるよう切実に願う。 <終わり>
整理 キル・ユンヒョン記者 charisma@hani.co.kr