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【ユレカ】パク・クァンヒョン法/ペク・キチョル

登録:2013-04-25 21:34 修正:2013-04-26 01:10
パク・クァンヒョン烈士の像

 「抗争の街を抜け出した恥ずかしさを胸にしまってきた私が市民たちと共に審判するでしょう。」 1982年10月、40日間の獄中ハンストの末に亡くなったパク・クァンヒョン烈士の最終陳述の一部である。 光州(クァンジュ)抗争真相究明と良心犯処遇改善を要求してハンスト中だったパク・クァンヒョンは1審の最終陳述で「生き残った者」の恥ずかしさを切々と吐露した。 「民主主義を叫び戦っていた街にいることができず、光州から抜け出して自分一人生き延びようとしたという事実を恥ずかしく思い・・・」(『パク・クァンヒョン評伝』、四季、2012)

 全南(チョンナム)大総学生会長パク・クァンヒョンは1980年5月18日、抗争の勃発直後に周りの勧めで光州を抜け出し、1982年4月に逮捕された。 逮捕当時ソウルで労働者として働いていたパク・クァンヒョンは、光州で亡くなった人たちを思っては多くの不眠の夜を送った。 三回にわたって40日間続いたすさまじい獄中ハンストは、彼らに対する連帯と負債意識の発露であった。 パク・クァンヒョンがユン・サンウォン烈士とともに光州の象徴として記憶されるのは、<野火夜学>の労働運動をし80年春の光州の民主化デモを主導したということだけでなく、彼の情に篤く純粋な人間的容貌のためであろう。

 最近光州地方裁判所は、控訴審裁判中に亡くなり1審有罪判決が公訴棄却で効力を失ったとして、パク・クァンヒョン烈士の遺族の出した再審請求を棄却した。 関連者の多くは再審で無罪になったが、裁判途中に亡くなったパク・クァンヒョンは現行法に遮られて名誉を回復できないでいるのだ。

 キム・スンナム民主統合党議員は最近、下級審で有罪判決を受けて控訴審または上告審で被告人が死亡した場合、遺族が再審を請求できるようにする刑事訴訟法改正案を発議した。 同じ党のキム・ドンチョル議員はパク・クァンヒョン烈士の特別再審を可能にする「5・18法」改正案を発議した。 どちらにせよ「パク・クァンヒョン法」が現実化されて彼の名誉がそっくり回復されることを期待したい。

ペク・キチョル論説委員 kcbaek@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/583818.html 韓国語原文入力:2013/04/21 19:02
訳A.K(1012字)

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