朴正熙維新政権が緊急措置1号を発令した後、これを適用して初めて拘束した故チャン・ジュナ先生が39年ぶりに再審で無罪を宣告された。 検察は緊急措置1号が違憲・無効という点を挙げ無罪を求刑し、裁判所は司法府の誤りを反省して遺族たちに謝った。
ソウル中央地裁刑事26部(裁判長 ウ・サンジェ)は24日チャン・ジュナ先生の息子チャン・ホグォン(64)氏が請求した再審事件で「緊急措置1号が国民の基本権を侵害し、維新憲法にも反しており、現行憲法に照らしてみても違憲だ。この事件の公訴事実は適用した法令が違憲・無効であるため無罪を宣告する」と明らかにした。
裁判所は「故人が激変と混沌で汚された韓国現代史で、国の根本と民主的価値を正しく立て直すために生涯献身された我が民族の大人であり師匠という歴史的評価に裁判所も異見がない。 生涯祖国のために献身した故人に有罪を宣告した誤った過去の歴史から得ることになった痛恨の教訓を基に基本権保障の最後の砦として国民の権益を保護し、普遍的正義を実現する国民の司法府になることを改めて誓い、再審(無罪)判決が亡くなった故人に少なくとも平安な安息と慰労になるよう祈る」と話した。
この日の裁判は去る10日、再審請求3年ぶりに再審開始が決定され、初めて開かれた裁判だった。 通常、刑事裁判は宣告まで少なくとも2度の公判を経るが、裁判所は初公判で宣告まで行う‘即日宣告’を選んだ。 検察が「2010年に緊急措置1号が違憲・無効と宣言した最高裁の判断を尊重する」として無罪を求刑したためだ。
父親の代わりに被告人席に立ったチャン・ホグォン氏は、裁判所に繰り返し感謝の挨拶をした。 チャン氏は「遅れたとはいえ正義は生きていることを示してくれてうれしい。 裁判所の判決が国民が渇望する大統合の出発点になるように政治家たちがどんな方法で国政を運営するかを考える機会になって欲しい」と話した。 また、彼は「今後、父親の疑問死真相究明に専念する。 公権力によって犠牲になった歴史を整理し、正しく立て直し、これ以上不幸な事態が起きないよう願う。 父親も無罪判決を当然の結果として考えると思う」として笑った。
チャン・ジュナ先生は日帝時に光復軍と臨時政府で活動し、1953年に月刊<思想界>を創刊した。 1973年維新憲法改正請願運動を行い、ペク・キワン(81)統一問題研究所長と共に緊急措置1号違反の疑いで1974年に拘束された。 緊急措置1号は維新憲法に反対・誹謗する行為を禁止したもので、令状なしに拘束できるよう規定した。 チャン先生は裁判を受けて6ヶ月後に懲役15年、資格停止15年の確定判決を受けた。 以来、狭心症など健康上の理由で刑の執行停止を受け解放されたが、翌年の1975年に京畿道(キョンギド)抱川(ポチョン)薬師峰で疑問の死を遂げた。 政権による他殺の疑いは未だ解けていない。
パク・テウ記者 ehot@hani.co.kr