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[寄稿]「私たち」という垣根を越えて/道上尚史

登録:2012-09-26 13:28

原文入力:2012/09/24 19:25(1531字)

←道上尚史 在韓日本大使館公使

8月以後の日韓両国間の波風の中で、アメリカ知識人の批判が思い浮かんだ。1986年、日本経済の最好況期に「日本と言う垣根の中で日本人同士が話をしても、波紋が外部へ滲むことがあり得ることを早く悟らなければならない」と言った。アメリカが日本の成功秘訣を研究した時で、「以前の日本はアメリカにもっとひどいことを言っていた。ただ日本に特に見るべき事のなかった時には、気にしなかっただけだ」とも言った。

これにいささか不快さを感じた私は、国際関係の現実とはこのようなものだと思った。一つ、少なくとも初めの指摘は当たっている。国内では「みんな、そう思う」というのは外国には通じず、むしろ反発をもたらすこともあり得る。外部にも通じる合理的説明が必要だ。これは譲歩ではなく進歩だ。同じ年、筆者が留学中だったソウル大の講義の時間に聞いたある老教授の話も思い浮かぶ。「私たちは日本をよく知っていると思いがちだが、そうではない。他国の人々が日本をもっとよく知っている場合もある。私たちは日本をよく知らないというところから始めよう」と。

12年前、韓国青年から手紙をもらった事がある。「韓国人は韓日関係を『善と悪』の関係として見る。かなり合理的な周囲の大人も、日本相手には非合理的でもいいと言う。独島が韓国領土なのは数学公理のように自明で、検証という発想さえ不純だと言う。これが大韓民国の現実だ」

久しぶりにまた訪れた韓国は、国際社会での活躍が眩しいのに、日本に対する姿勢には、新しい発想が芽生えたようでもあり、大きな進展はないようでもある。「中国に対しては外交儀礼を重視して、日本には思い通りにふるまうのか。中国が韓国を見くびるわけだ」、「どの国も日本の底力を評価しているのに、韓国だけが日本を過小評価している」と言う知識人もいる。

島(独島)の問題を韓国の立場で扱いながらも、「サンフランシスコ講和條約、李承晩ラインなど、簡単な争点ではない」と言う論文を見た。立場の違いはあろうとも、日本が韓国に望むことは、客観的に掘り下げるこのような冷静な姿勢だ。

一方、上の老教授や青年が指摘した傾向も相変らずだ。日本政府は歴史を無視して、反省せず、慰安婦問題に対して何の対応もしていないという人もいる。しかし、事実をありのままに見てほしい。「植民地支配と侵略で…多大な損害と苦痛を与えた」、「痛切な反省の意… 心よりお詫びの心」。1995年のこの総理談話が、日本政府の一貫した立場だ。慰安婦だった方々にも、歴代総理がお詫びと反省を表明した。

島の問題について韓国と異なる立場を主張すること自体が帝国主義的侵略性であり歴史への反省の欠如であると責めることは、良心的な日本人にもメッセージとはなり得ないだろう。素朴な「韓流ファン」や韓国を非常に重視する多くの日本人が、驚いたり落胆したりしている。

国家間の立場の対立はあるものと相場が決まっており、合理的・建設的・平和的な論議が切実に必要であり、これには勇気と自己批判力が必要だ。社会通念や「国民情緒」に反してでも事実を直視するのが真の愛国であり、これは相手を動かす力になりもする。「開かれた心、事実をありのままに」、「敬意と礼儀」は国際理解と友好交流の基本だ。

日本も多くの対立と苦痛を乗り越えて上のような歴史認識に至った。もちろん、日本にも課題は残っている。「私たち」という狭い垣根を越えた所により大きな成長の道があることは、日本も韓国も同じだ。日韓両国の皆が謙虚に事実を直視して、感情的な言動を慎み、合理的論議を大幅にふやして連帯協力を強化していけたらと思う。

道上尚史 在韓日本大使館公使
原文:https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/553130.html 訳 M.S