[クォン・ヒョクテのもう一つの日本] 日本の単一民族国家の神話を崩す「アイヌ民族党」と「琉球独立党」
差別と同化圧力の中で暮らしてきたアイヌ達のカミングアウトのきっかけとなるか(4490字)
「アメリカは多民族国家なので教育が簡単ではなく、黒人、プエルトリコ人、メキシコ人などの知的水準が高くない。日本は単一民族国家なので教育が忠実に行われている。」1986年9月、当時の日本の総理中曾根康弘が自民党の研修会で語った言葉だ。アメリカ国内で激しい反発が起きると中曾根は自らの発言を撤回したが、「日本=単一民族国家」という等式まで撤回したわけではなかった。それ以降、機会あるごとに有力政治家の「日本=単一民族国家」発言が繰り返された。例を挙げると、2005年に麻生太郎総理は「今、世界の各地で人種、地域、宗教などの問題で紛争が起きているが、日本ほどの単一文化、単一文明、単一民族、単一言語の国はない。」と語って物議を醸したことがあった。
アイヌ人、沖縄人の滅亡民族化
日本社会にはアイヌ民族と沖縄民族がおり、多数の在日朝鮮人が住んでいるのでこの発言は明らかに事実と異なる。日本は明らかに多民族国家だ。それにもかかわらず、日本政府はこの厳正たる事実を認めようとしない。なぜだろうか?彼らが沖縄人やアイヌ人の存在を知らないわけがない。北海道選出の衆議院議員、鈴木宗男が2001年に「(日本は)単一国家、単一言語、単一民族だ。北海道にはアイヌ民族がいるが今では完全に同化した。」と語ったように、彼らにとってアイヌ人や沖縄人は日本社会に同化し滅びた民族だ。いや、滅びた民族であることを望んでいる。
しかし、日本は明らかに多民族社会だ。沖縄には依然として日本からの分離独立を主張する人々がいる。1970年に結成された琉球独立党は今現在も活動中で、政党の形ではないが沖縄独立運動は依然としてその根が深い。沖縄自治論を主張する人々もいる。日本に服属するまでは琉球王国という別の国であって、またヤマト(日本)による差別と冷遇を受けてきた地域であるため、独立論や自治論が現れるのは自然なことだ。アイヌ人の地が北海道と名を変えて日本の地として強制的に編入されたのは明治維新が起こった翌年の1869年。それ以降、アイヌは日本社会の差別と冷遇、同化圧力の中で暮らして来た。アイヌ独立論、アイヌ解放論、北海道共和国構想などが登場したりもした。アイヌ言語学者の山本多助は日本の敗戦直後の1946年4月「アイヌ新聞」に「搾取と侵略を天職とする悪党どもはついに祖国を滅亡の道に追いやった。今、彼らは『戦犯』として身を滅ぼそうとしている。自業自得だ。日本の平和と民主主義はアイヌも望むところだ。アイヌウタリ(同胞)よ!目覚めて立ち上がろう。立ち上がらなければ我々は滅びる。北海道はアイヌの国だ。我々の矜持を守るためアイヌは今こそ力を出すべきだ。」と書いた。日本の敗戦はアイヌ独立の好機と見たのだ。1989年1月13日の朝日新聞の夕刊によると、1947年にアメリカはアイヌの代表に独立の意思を尋ねたとのことだ。実際にアメリカがアイヌ独立共和国の建国にどれほど真剣だったかは疑問だが、ともかく日本の敗戦がアイヌ独立のきっかけにつながるという自覚があったことは明らかだ。それ以降、アイヌ問題はアイヌ解放論のような急進的な運動を除くと、主に日本という国家体制内で人権問題としてのみ扱われてきた。しかし、最近北海道で新しい政治的な動きが起きている。去る1月21日、「アイヌ民族党」が設立された。
エビの形に似た土人と呼ばれる
現在は日本の領土に属しているが、北海道の本来の名前は「アイヌモシリ(Ainu mosir)だ。アイヌモシリとはアイヌ語で「アイヌの大地」という意味だ。アイヌが「人間」という意味なので、「人間の大地」という意味になる。アイヌは北海道のみならず、サハリンや千島列島にも住んでいた日本人の「先住民族」だ。アイヌの人々は日本人を「隣人」という意味の「シサモ」または「シャモ」と呼んでいた。しかし、そのシサモはアイヌを「蝦夷」と呼んだ。文字通り「エビの形に似た土人」という意味だろう。その他にも日本人はアイヌを毛人、俘囚、夷俘と呼んでいたのだが、それぞれ毛の人、罪人、土人の罪人という意味が込められている。このような否定的な呼び方がアイヌを表す単語だったのだ。
アイヌの人種、民族の起源を巡っては様々な説が存在する。「日本人」を起源とする説もあれば、身体的特徴からヨーロッパのコーカソイドに近いとする主張もある。現在のロシア領と日本領に点々と存在していたのだから、アイヌの「運命」はこれら近代国家群の国境拡張と国民国家の建設の過程で少なからず影響を受けたのだ。(詳しくは拙著「日本の不安を読む」を参照のこと。)
「カントオロワ ヤクサクノ アランケプ シネプカ イサム。」去る1月21日、日本列島の北端、北海道にある人工10万あまりの街、江別市で開かれたアイヌ民族党の結党大会では日本語でも英語でもない「正体不明」の言葉で始まった。「すべての命は神の国から来て、それぞれ与えられた役割がある」というアイヌ語の一節だ。アイヌ語は「危機に瀕する言語 (Endangered Languages)」の一つだ。1996年の調査では、約1万5千人のアイヌのうち、アイヌ語を流暢に使えるのはわずか15人に過ぎないという推測がなされている。この消滅の危機に瀕したアイヌ語の現在のあり方が、北海道などに住んでいる日本列島の先住民、アイヌの現状を表している。
もちろん、約200人が参加したこの結党大会に注目した日本のメディアはほとんどなかった。新聞に短い記事が掲載されたに過ぎない。メディアの視線を引き付けるには大会の規模が小さすぎたからだろうか?メディアの注目をほとんど受けなった結党大会をこの紙面で紹介するのには訳がある。それは史上初のアイヌ政党だからだ。この党が掲げた理念は明確だ。アイヌ民族党は結党宣言で人間を含む全ての命、植物や細菌にも神から与えられたそれぞれの役割があるので、今も続くアイヌに対する差別をなくし先住民族としての権利を回復すべき役割がアイヌには与えられていることを、そして幸せな暮らしを奪われて140年、権利回復のためにこの場に集まったと謳っている。また、アイヌ民族党はアイヌ民族だけの党ではなくアイヌの権利回復と多民族共生社会の実現という目的に賛同する18歳以上なら日本人でも在日外国人でも入党できるとしている。そして原発に反対し、このために2013年の参議院選挙にアイヌ民族党の公認候補を立てる計画を明らかにしている。
何人いるかもわからないアイヌの人口
僅か19歳で夭折したアイヌ女性、知里幸恵(1903~22)が書いた「アイヌ神謡集」の一節も創立宣言文に含まれている。「其の昔此の廣い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、何と云う幸福な人たちであったでしょう。」アイヌの幸せを奪ったのは他ならぬ大和(日本)であったという点、そして明治維新後にアイヌの不幸が始まったことを隠すことなく明らかにした。
アイヌ民族党の将来はアイヌの歴史がそうであったように順調には行かないだろう。日本社会の無関心と差別は昨日今日のことではないので、アイヌ民族党の候補が出馬したとしても当選可能性は今のところ薄い。まず、アイヌ民族党の支持基盤であるアイヌの人々が全国的にどれぐらいいるのか知りようがない。国連人種差別撤廃委員会は日本政府に全国的にアイヌの人口調査を行うことを要求しているが日本政府はこれを無視しているためだ。調査が行われたのは北海道と東京だけだ。2006年の調査によると、北海道に住んでいるアイヌは23782人、東京に住んでいるアイヌは1998年の調査によると2700人に過ぎない。これらを合わせても3万人に満たない。1971年の調査結果では北海道には7万人以上のアイヌが住んでいた。また、日本全国には20万人以上のアイヌがいるという推測もあるが正確なものではない。
また、アイヌ民族党は在日外国人の入党も可能であるが、在日外国人には選挙権も被選挙権もない。国政選挙のみならず、地方選挙も同様だ。さらに政治資金法で外国人は政党に寄附行為をできないので、アイヌ民族党が在日外国人に門戸を開放しても金銭の寄付はできない。従って、門戸開放は象徴的な意味が大きい。
アイヌの人々の政界進出の試みは今回が初めてではない。1994年から98年まで参議院議員を務めた萱野茂氏はアイヌ初の国会議員だった。彼は「日本にもヤマト民族以外の民族がいることを知らせるため」社会党の比例代表として国会に進出して史上初めてアイヌ語で質問を行った。また、成田(秋辺)徳平という35歳の青年が「アイヌ青年参政協議会」という団体から1977年に参議院全国区に立候補したが落選したことがあった。これ以外にも昨年4月の北海道の浦幌町議会選挙で差間正樹氏が共産党から立候補して当選した。彼は町議会でアイヌの民族衣装を着て質問し話題を集めた。しかし、これらすべてはアイヌ独自の政党からの立候補ではなかった。
アメリカ先住民の人口統計が増えたように
当選可能性は薄いが、異なる予想もある。アイヌであることを隠して暮らす人々が今後カミングアウトする可能性もあるためだ。例えば、アメリカでは1970年に約83万人だった先住民(アメリカインディアン)が先住民族の権利向上とともに1980年には142万人、1990年には196万人に増えた。従って、アイヌ民族党が国会進出に失敗したとしても全国区な知名度を得て政治的基盤の拡大に成功すれば、アイヌの人々のカミングアウトが増えるという政治的効果を得ることもありうる。アイヌの人々は明治維新後、日本人として共生編入させられる過程で戸籍法にのっとって「アイヌ戸籍」なるものを与えられた。従って、アイヌの人々とその子孫はすべて「アイヌ戸籍」を持っているはずだ。だから北海道にあるアイヌの団体「北海道ウタリ(同胞)協会」は会員たちに戸籍を確認することを勧めている。アイヌ民族党の出現はこのような流れを加速化させるかもしれない。29歳で夭折した違星北斗というアイヌの活動家が1920年代に詠んだ詩にこのようなものがある。「アイヌと云ふ 新しくよい概念を 内地の人に与へたく思ふ」。アイヌ民族党の出現がそのきっかけとなるか結果が注目される。
聖公会大学日本学科教授
原文: http://h21.hani.co.kr/arti/world/world_general/32338.html 訳Y.U