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[朴露子ハンギョレブログより] 憎悪は己の力?

登録:2012-08-05 06:00

原文入力:2012/08/03 03:28(4758字)

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

小さい頃、ソ連時代の優れた民衆的な吟遊詩人ヴィソツキー(http://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%B8%94%EB%9D%BC%EB%94%94%EB%AF%B8%EB%A5%B4_%EB%B9%84%EC%86%8C%EC%B8%A0%ED%82%A4)の歌をよく聴いていましたが、その中の一曲はどうしても理解することができませんでした。「憎悪へのバラッド」という主題の歌でしたが、ファッショ侵略時代のソ連人たちのファッショらに対する感情を極めて赤裸々に表現した作品でした。歌詞の一部をご紹介すると次の通りです:

Погляди - что за рыжие пятна в реке,- 川底の赤いシミを見よ
Зло решило порядок в стране навести. 悪はこの国を秩序付けようとする
Рукоятки мечей холодеют в руке, 刀の柄は我々の手の下で冷め行き
И отчаянье бьется, как птица, в виске, (捕まった)鳥のように絶望感はこめかみの下で振るえ
И заходится сердце от ненависти! 心は憎悪で狂ってゆく

Ненависть - юным уродует лица, 憎悪は若者たちの顔を歪め
Ненависть - просится из берегов, 憎悪は麓を越えて氾濫し
Ненависть - жаждет и хочет напиться 憎悪は渇きを催し
Черною кровью врагов! 敵の黒い血を心行くまで飲み干したがる

Да, нас ненависть в плен захватила сейчас, そう、我々は今憎悪の捕虜になってしまった
Но не злоба нас будет из плена вести. だが、敵対心ではこの状態を打開できない
Не слепая, не черная ненависть в нас,- 我々の憎悪は盲目的でなく黒色のそれでもない
Свежий ветер нам высушит слезы у глаз 新鮮な風が吹き正義に満ち
Справедливой и подлинной ненависти! 真の憎悪に燃えるわれらの涙を拭いてくれるのだ

Ненависть - пей, переполнена чаша! 憎悪の満ちた杯で飲め!
Ненависть - требует выхода, ждет. 憎悪が積もってはけ口を探している
Но благородная ненависть наша だが、われらの崇高な憎悪は
Рядом с любовью живет!  愛の隣に巣くっている!

(この歌を鑑賞されたい方はこちらをごらんください: http://www.youtube.com/watch? v=83Kavk046GA )

←Vladimir Vysotsky, 1979

私はこれをどうしても理解できませんでした。憎悪がなぜ「崇高」なのか、わからなかったのです。憎悪をどうして歌えるのか、憎悪心の涙をどうして歌えるのか、到底理解できませんでした。ファッショたちが憎いということまでは理解できるものの、彼らに立ち向かう「正義」を歌えばいいのであり、なにも「憎悪」という単語をキーワードにする必要はないではないかと思いました。

  ところが、考えてみれば、これはファッショたちや米帝の爆弾が爆発するのを一度も実生活で見たことのない、まさに子供のような感想にすぎないのです。侵略が恣行され、爆弾や砲弾が落ち、大量失業が生じ、少数の贅沢と多数の貧困が対照される、そのような状況では憎悪心は必然的に生じます。しかもそれは咎めることもできない憎悪心です。イラクで侵略と侵略の結果生じたテロ、流行病などで子供たちを失った母親には「憎むな」とはとても言えないでしょう。米帝の侵略の現場はともかく、青年失業が25%にのぼるスウェーデンでさえも今や「階級的な憎悪」は一つの流行の言説になっているのです。ヨハン・ヨンソン(Johan Jonson: http://no.wikipedia.org/wiki/Johan_J%C3%B6nson)のような私たちの階級の戦闘的な詩人たちが中産階級上部に属する雇い主を殺せるものなら殺したいと思う最低賃金以下の家内被雇用者(すなわち、使用人やメイド)の心情を歌う時、これは最早異常にも見えません。世界恐慌で破滅に向かって疾走する資本主義後期のヨーロッパでは、「革命」は1968年のような「疎外の克服」の問題というより、労働者の基本的な生計さえも破壊する資本家たちに対する骨身にしみる憎悪の問題になります。「骨身にしみる憎悪」という表現は落ち着かないでしょう。しかし、青年の就職機会がほとんど乾いてしまったストックホルムで仕事を求めて高校を卒業するとすぐにオスロに出稼ぎに行きノルウェー人のまったくしようとしない最も面倒で手のかかるサービス業(販売員やバリスタなど)で最低賃金を上回る報酬でかろうじて生き延び(ノルウェーの物価は貧乏人には殺人的です!地下鉄に一度乗れば5千ウォンが消える国です!)、ノルウェー人たちにそれとなく無視されながら家を借り子供を生み育てることなどほとんど考えられないスウェーデンの若者たちの胸中を察すれば、もしかするとこれはむしろ当たり前のような気がします。彼らは親世代より遥かに貧しくて大変な暮らしを強いられていることが明らかなのです。まあ、青年失業者たちがすでに第3世界の環境を体験し、「低い賃金」ではなく飢餓を心配しなければならないギリシャやスペインなどでは次第に憎悪の海になっていくのは自然の流れにすぎません。資本主義の本質が残酷なだけに、その致命的な危機も極めて残酷で、その残酷さの中から人間の最も好ましくない感情が自然に発露するわけです。

  踏みにじられ身分が下げられ蔑視され、あらゆる機会を剥奪された者が憎悪心を感じるのは当然のことです。この憎悪心の激発が特に搖れ動く革命状況では私たちの想像を絶する残酷な場面を演出させうるというのも、誠に残念ながら歴史の悲しい現実にすぎません。親フランス賦役者、すなわちフランス軍に服務しながら同族に銃口を向けた人々の中で少なくとも約3万人が処断、粛清された(Stora B. Les mots de la guerre d'Algérie. Mirail, 2005. P. 24; http://saint-juste.narod.ru/Algeria.html#_ftn73から再引用)アルジェリアの反植民主義革命の歴史を考えてみてください。反植民の闘士と一般の民間人の中で少なくとも150万人が銃殺や拷問、焦土化作戦、砲弾と爆弾でフランス帝国主義の犠牲になったことをも思い起こせば、どうして賦役者たちへの憎悪心がこれほどまでに高かったのかという脈絡がわかりやすくなります。「トレランス」のフランスがアルジェリアをキリング・フィールドに変えてしまったのですが、それに立ち向かったアルジェリア人たちの憎悪心も記録的なものでした。搾取、弾圧の現実がその犠牲者たちに一度憎悪を生んでしまえば、その次はその憎悪はいくらでも拡大再生産されうるのです。歴史の悲しい現実です。

  このような状況に対し、左派はいかに対応すべきでしょうか。当然ながら被抑圧者たちの憎悪を十分に理解しなければなりません。スウェーデンのすぐれた労働階級の詩人ヨハン・ヨンソンがしたようにです。その一方で被抑圧者たちに常に反対側にも私たちと話の通じる人間がいること、反対側も結局は体制の犠牲者であること、反対側に立った人々に理解を表明し彼らの苦悩をよく汲み取り、彼らに本気で向き合わなければならないことなどを説いていかなければなりません。そうしなければ、ヴィソツキーの言葉のように憎悪心の隣に愛が育まれ、結局は闘いの中で憎悪が愛に取り替えられることはありえないでしょう。旧ソ連では「憎悪心の順化」、「反対側に対する階級的かつ弁証法的なアプローチ」のようなことをよくやりました。たとえば、反ファッショ諜報活動に関する傑出した映画『春の17の瞬間』(1973年: http://en.wikipedia.org/wiki/Seventeen_Moments_of_Spring)でソ連のスパイたちの活躍のみならず、ドイツ共産主義者と反戦平和主義者、良心的宗教者たちの反ファッショ活動も見られ、ソ連のスパイが良心的なドイツ人たちと手を取り合う同志になって活躍することが骨子です。つまり、「反ファッショ闘争」が「反ドイツ闘争」ではないこと、独逸人も私たちと同じように、憎悪してはならない人々であることを、この映画を見た人は直感することができました。ドイツ共産党の偉大な指導者エルンスト・テールマンの名の付いた道路がモスクワとレニングラードにあったし、彼の顔はソ連の切手にもよく登場したものです(http://commons.wikimedia.org/wiki/File:USSR_stamp_E.Thalmann_1966_6k.jpg? uselang=ru)。すなわち、少なくとも抽象名詞としての「ファシズム」に対する憎悪と具体的な「良心的ドイツ人」に対する愛が共存しうる基盤は作られたわけです。もちろん東ドイツとの友邦的な関係を考慮に入れて施行した措置ではありましたが、とにかく戦争がもたらした憎悪をそれなりにうまく静められたわけです。

  大韓民国は今も反北挑発を続けている職業的な反北主義者キム・ヨンファン氏が「私は中国の監獄で拷問を受けた」と「話し」さえすればその言葉を『ハンギョレ』までがそのまま受け入れ中国をやたらと非難する社説を載せる、「中国が悪かった」という時は客観的な証拠も裁判も要らず無罪推定の原則も作動しない国です。中国、北朝鮮に対する憎悪心を保守メディアたちが煽り続けている状況では、中国が「人権のない無法天下」、「私たちに対する脅威」という考えで、ほとんど全社会が暗黙的に同意してしまう雰囲気が密かに作られます。証拠も客観的な分析ももちろんすべて要らないのです。これは革命的な憎悪と正反対に、資本主義が致命的な危機に瀕した時に支配層が一生懸命に煽るファッショ的、反動的、排他的な憎悪です。実は韓国型ファシズムのイデオロギー的な基盤の一つなのです。また革命を経ていない、1987~88年の未完の革命に対する曖昧な記憶だけを持つこの社会は、このような反動的な憎悪を静められるいかなる文化的な装置も保有していません。ファッショ化しようと思えばいつでもできるのです。ただし、巨人の中国に正面衝突するよりは、反北の憎悪心と外国人労働者たちに対する排他心が高揚されることが最も現実性のあるシナリオです。本気でこの反動的な憎悪と排他心を相殺しうる他者たちに対する革命的な愛というパラダイムを私たちの社会が作り出すことができなければ、私たちの未来はとても心配です。とてもとても心配です。

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/51128 訳J.S