本文に移動

[チョン・ソック コラム] 暴力の民営化

登録:2012-08-02 13:53

原文入力:2012/08/01 19:01(1941字)

←チョン・ソック論説委員室長

"暴力が惹起されず物理的衝突と負傷のない対応、国内外の紛争現場からアフガンまで行ってきた百戦老将、しかし労組員には大変慈しみ深く、労組員を殴らない気立ての良い紛争現場の紳士-コンテクタス!"

 警護・警備専門業者であるコンテクタスのインターネット ホームページに上がっている自社広報文面だ。 精鋭人材、先端装備、任務遂行戦略を保有した自分たちに‘事’を任せてほしいと企業に向けて宣伝している。 文面だけを見れば労使紛争現場の解決者として非の打ち所がない会社だ。

 そのようなコンテクタスが去る27日未明、自動車部品業者SJMの労組座り込み現場を襲った。 どれほど‘慈しみ深く’労組員に接したのか分からないが、労組員30人余りが頭が割れ、唇が裂け、顔が血まみれになるまで殴られた。 コンテクタスの今回の暴力は外見上、この間再開発現場や労組座込み場などで多く見てきた‘下請けチンピラ’とそっくりだった。 だがコンテクタスの暴力はその性格上、これまでの外注警備暴力とは本質的に異なる。

 先ずは暴力が企業化され先端化されたという点だ。 コンテクタスの保有装備を見れば警察顔負けだ。 最新ヘルメットや鎮圧棒などの個人装備はもちろん水力防御特殊車両(水大砲車)とデモ隊航空罪証のための無人ヘリコプターまで備えている。 労使紛争現場などに最大3000人まで投じられるという。 この程度になれば事実上の私設警察力だ。

 これは国家の独占物だった合法的暴力(公権力)を民間が保有することになったことを意味する。 同時に企業らが自身の利益守護のための私的暴力組織の動員を日常化していることを見せてくれる。 いわゆる‘暴力の民営化’現象が本格的に始まったのだ。

 こういう現象が現れることになったのは、公権力が労働者など社会的弱者より資本の利益守護に過度に傾倒したことと関係がある。 公権力が事実上味方であることを確認した企業らが、公権力の黙認の下により効率的に自身の利益を保護する‘民営化された暴力’を求めることになったのだ。 結局、資本と労働の間で均衡者の役割をしなければならない国家が、資本に傾倒することによって‘暴力の民営化’が芽生えられる土壌を用意したわけだ。 親企業反労組指向の李明博政府でこういう現象が急速に進行されたことは全く不思議ではない。

 暴力の民営化は国家の役割に対する深刻な疑問を感じさせる。 国家は国民の生命と財産保護を第1の目標にする。 国民はそれを前提に合法的暴力を行使できる権限を国家に委任した。 ところが国家が合法的暴力を国民のために使わずに資本の利益守護のために使うばかりでなく、資本のための私的暴力が横行するようほう助するならば、そのような国家は国民と敵対的関係が不可避になる。

 不幸にもこのような暴力の民営化現象はますます激しくなるだろう。 国家に対する資本の優位現象が強化されている上に、資本の代弁者に転落した国家にもまた私的暴力を統制する意志が別に見られないためだ。 今回の暴力事態に対してもコンテクタスは 「正常な業務遂行中に起きた偶発的な事件」だったとし、暴力を正当化したし、警察も 「建物内で起きたことが全く分からなかった」と言い逃れている。 コンテクタスはさらに「(コンテクタスが) ‘許可取り消し’等で消えることになるならば今後、事業場でいかなる不法行為が起きても事業主は対応無策にならざるを得ず、外国系企業は韓国を去り、国内企業もまた企業経営意欲を失って企業活動が大きく萎縮するだろう」と国民を脅迫した。 自身があたかも国家経営に責任を負っている公権力であるかのように。

 このように怪物になりつつある‘民営化された暴力’をどのように統制すべきかを深刻に考える時だ。 このまま放置すれば、国民はすでに資本側になってしまった公権力の横暴と公権力の保護を受ける私的暴力という二重暴力に苦しめられることになるだろう。 この懸案はまた、時代的課題に浮上した経済民主化の成否とも直結している。 経済民主化の本質が、資本に対する国家の統制力回復だが、資本の私兵の役割をする私的暴力を放置したまま資本を統制するということは話にならない。 経済民主化競争を行っている政界が今回の事態にどのように対応するかがとりわけ注目されるのもそのためだ。

チョン・ソック論説委員室長 twin86@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/545262.html 訳J.S