本文に移動

安哲秀(アン・チョルス)と朴槿恵、開かれた姿勢の差

登録:2012-07-27 06:21

原文入力:2012/07/26 16:50(2007字)

←クォン・テソン編集者

[クォン・テソン コラム] アン・チョルスと朴槿恵

先週末<アン・チョルスの考え>が書店の店頭に登場してアン・チョルス ソウル大融合科学技術大学院長が‘ヒーリング キャンプ’に出てきた後‘アン・チョルス’が再び私たちの社会の話題として登場した。 彼が出演したヒーリング キャンプは最高視聴率を更新し、本も連日販売記録を更新しているという。 更にアン院長が朴槿恵セヌリ党議員との2者対決で再び上回ったという世論調査も出てき始めた。

 <アン・チョルスの考え>に対する評価は多様だ。 ‘運動圏学生水準の文’とか‘色々な主張をかけつぎした水準’というなど否定的な意見もなくはない。 反面、私たちの時代の問題に対する正確な診断と解決法を内包した文という肯定的評価も多い。 特に自殺率と出産率から私たちの国民が直面している現在と未来に対する不安を捉えてその不安解消を私たちの時代の課題として前面に掲げたこと、そしてその課題解決のためには平和・正義・福祉という新しい価値が必要だと主張したことには相当な反響がある。

 だが、彼の本を読んで、ヒーリング キャンプを見ながら最も印象的に迫ったことは‘私が間違っているかもしれない’と認める人を評価する部分だった。 企業でどんな人を採用するかとの質問に答えた話だったが、後に付け加えた友人の話が興味深かった。 他の友人と論争をして、自身の主張を貫徹できなかった友人が後から読んだ本で自身の主張を後押しする内容を発見して快哉を叫んだという話を聞いて、彼が友人に「今後は本を読まないでくれ」と言ったという話であった。 本は自分の考えを矯正して底辺を拡大するために読むものなのに、本から自分の考えを後押しするものだけを探すならば、それは自身の周辺に城壁を積んで自らを井の中の蛙にすることになるためということだ。 まさにこういう開かれた姿勢が今日のアン・チョルスを作り出した主要な徳性ではないかと感じだ。

←アン・チョルス、朴槿恵

 すると考えは朴槿恵議員と彼女に関連した5・16と10月維新を巡る最近の論争につながった。 朴議員は最近5・16クーデターについて「世界で2番目に貧しい国であり安保も危機にある中で、父親がやむをえず選択したこと」としながら「正しい選択」 と考えると答えた。 その後、この発言に対する批判があふれるや彼女は国民の50%以上が自身と同じ見解という世論調査もあるとし「政界が現在の国民の暮らしを用意する課題が多いのに、歴史論争までしなければならないのか」とはね返した。

 まず指摘する点は5・16と10月維新に対する評価は彼女の話のように退屈な歴史論争ではないという事実だ。 歴史を現在と過去の対話と言ったE・H・カー(Edward Hallett Carr)は歴史とは何かという質問に対する答は、現在私たちの社会に関する見解を問う質問に対する答だと話したことがある。 すなわち貧困と混乱を言い訳に民主的に選出された政府を転覆した5・16を正しい選択だというならば、そして終身大統領になるために憲政秩序を中断させた維新に対して判断を留保しなければならないと話すならば、それは現在はもちろん未来にも民主的価値を否定したり軽視することができると感じるという意味だ。 朴議員が人権蹂躪に目をつむり国家人権委員会を権力の侍女に墜落させたヒョン・ビョンチョル人権委員長候補や、民主主義の根幹である言論の自由を傷つけたキム・ジェチョル文化放送社長などを事実上保護しているのはこのような歴史認識を持っていることと関係がなくはない。 そうした点で5・16と維新に対する評価は単純な歴史論争ではなく切迫した現実の問題だ。

 朴議員の態度のもう一つの問題点は常識に反した主張をしながらも、自身が間違えているとは考えない点だ。 このような態度は、彼女が自然人の身分ならば、何とか認められるかも知れない。 だが、大統領をしようと言いながら父親の朴正熙と統治者の朴正熙を区分できないならば話は別だ。 真実を見まいとするこのような固執は絶えず提起される不通論難と共に、どうしようもない旧時代的人物という彼女のイメージを作り出している。 このようなイメージで、彼女が大統領選挙に勝利をするには必ず捉えなければならない20~40代の有権者の心をつかむことができるだろうか? 場外でからだをほぐしているアン・チョルスという相手はそれ自体が朴槿恵の指導者資質に対する根本的な問いだ。

クォン・テソン編集者 kwonts@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/544288.html 訳J.S