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[世相を読む] 6月抗争、その未完成の足かせ/クォン・ヨンスク

登録:2012-06-11 06:54

原文入力:2012/06/10 19:21(1763字)

←クォン・ヨンスク ソウル大社会科学研究院先任研究員

 反乱首魁として最高裁で有罪判決を受けた前職大統領が最近、陸軍士官学校で学生を査閲する場面が公開されてインターネットがざわついた。 6・10抗争を目前にして起きたことであるため一層公憤を買った。 私もやはり1980年代の厳酷な時期を過したのであきれている。 だが、この大騒ぎが苦々しい。 全氏をあんなに羽ばたかせる最終的承認をした人が金大中当時大統領当選者だったことを記憶しているためだ。 そのように赦免復権をした瞬間、こういう日が来ること予想できたので、このことは結局 韓国の民主主義者らが自ら招来したことだ。 これも‘意図しない結果’と言うのだろうか。

 第5共和国勢力に対する断罪は6月抗争の10年後である97年に遅れてなされた。 韓宝事態と民心離反などがなかったとすればそれすら難しかったろう。 その時、金泳三大統領の次男キム・ヒョンチョルが韓宝事態で拘束された。 そしてほぼ同じ時期に進行された全斗煥らクーデター勢力に対する断罪は4月最高裁有罪確定判決で終結する。 だが、8ヶ月も経たずに彼らは赦免復権された。 当時、金大中大統領当選者は当選するやいなや最初に金泳三大統領と会った席でそのことに合意した。 当時、権力交代期の新旧権力エリート間の妥協の結果というに値する。

 しかし分かってみれば民主化後25年がそうだった。 そして87年6月抗争がそうだ。 すなわちエリート間の協約に基づいた保守と中道の同居体制だ. 韓国の民主化履行は奇妙だ。 6・10抗争で執権勢力を押し倒した政治革命だが、同時に‘6・29宣言’という権力エリートの譲歩措置を自由主義政治勢力が受け入れてなされた、いわゆるエリート間の協約による履行であるためだ。 これと関連して米国東アジア太平洋国務部次官補であり代表的なネオコンであるウォルフォウィッツの発言が注目される。 ウォルフォウィッツはフィリピンと韓国の民主化革命を新保守主義価値の拡散という次元で積極的に支持して自分たちが成し遂げられた凱歌だと話したことがある。 韓国の自由主義的民主化は米国には新保守主義(結局、新自由主義)体制を新興市場経済に広める、もしかしたら最上の政治的枠組みであっただろう。 これを学界では新自由主義的世界化と民主化の‘二重転換’と呼ぶ。

 しかし単に米国だけかなの。 韓国もやはり同じだ。 民主化運動ブロックは一つではなかった。 その指導部であった‘国本’(訳注:民主憲法争取国民運動本部)には急進左派から革命的民主主義、保守自由主義まで混在していた。 しかしその成果は在野と連合した自由主義勢力のものだった。 そして彼らにとって絶対的に重要なことは、次の政治権力を保障する選挙ゲームの維持であった。 民主化履行以後、韓国の民主主義は終始保守的だった。 旧権威主義エリートは当然に保守的だった。 だが、新興エリートもやはり保守的だった。 彼らは民主主義の深化よりは政治的民主主義の強化を、民主主義の理念的進歩よりは最小民主主義を望んだ。 また、彼らは新自由主義を経済的民主主義の一部として信奉した。 かくして‘二重転換’は時差を置いて87年と97年を経過して結局なされた。 反面、87年6月革命は未完で終結した。 いや永遠に未完成にされた。

 今日私たちはその未完の民主主義が残した足かせを見る。 民主化以後、民主主義が固着させたものなどだ。 労働排除の民主主義、脱理念化された民主主義、第3の道を許容しない保守と中道勢力の同居体制、さらには社会経済的民主主義なき最小の政治的民主主義体制がまさにそれだ。 ‘6・10抗争’25周年だ。 依然として私たちの胸を一杯にさせるが、全斗煥の陸軍士官学校査閲のように苦々しく思わせる未完の革命。 それで毎年6月は私たちに歓喜で、そして痛い挫折として迫ってくるのだろう。

クォン・ヨンスク ソウル大社会科学研究院専任研究員

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/536947.html 訳J.S