本文に移動

[世相を読む] 4月26日、チェルノブイリを忘れまい/ハン・ジョンスク

登録:2012-04-26 07:44

原文入力:2012/04/25 19:18(1810字)

←ハン・ジョンスク ソウル大教授・西洋史

ドイツでは‘チェルノブイリ’を契機に緑色運動・緑色政治活性化
‘福島’事故以後 私たちは?

 歴史学を専攻する他の学校の先生に本を借りて差し上げることにした日、その方がかなり大きな箱を持って訪ねてこられた。 その中にはワカメが入っていた。 福島原子力発電所事故以後、日本海域の海産物が放射能に汚染されているにも関わらずきちんとした検査もされずに市中に流通しているので不安を感じた主婦が韓国南海岸の海産物を生産者から直接購入しているそうだ。 知人が莞島(ワンド)でワカメを生産しているので一箱持ってきたので安全に食べて欲しいということがその方の要請だった。 配慮と誠意が非常に有難い一方で、問題は全人類的次元で起きた事故が、一人一人が運が良ければ安全食品を買って食べられ、そうでなければ放射能に汚染された食品を食べるようになったんだなあと思った。

 福島を記憶する人々が同時に思い出す名前がチェルノブイリだ。 4月26日は26年前ウクライナのチェルノブイリで原子力発電所惨事が起きた日だ。 米国のスリーマイル島、ヨーロッパのチェルノブイリ、アジアの福島で起きた原子力発電所事故で人類は三大陸全てで核惨事を経験した。 チェルノブイリ惨事はソ連解体の遠因中の一つとして話されたりもする。

 チェルノブイリに比較的近いドイツでは1986年4月26日を契機に緑色運動が一層活発になり(毎年この日には環境-脱核大討論が開かれる)一般市民も緑色政治に飛び込んだ。 現在、ドイツ下院議員であり緑色党原子力政策スポークスマンを引き受けてるジルビア コティングル議員もそのような一人だ。 彼女が3月13日‘核なき世界と東北アジア女性の暮らし’という主題でソウルで開かれた東北アジア女性平和会議に参加した時、言論インタビューに同席し彼女の緑色政治経歴を詳しく聞くことができた。(インタビューは<ハンギョレ> 3月14日付27面)田園で栽培して子供を育て生態的人生を享受してきた彼女にとって人生の決定的転換点となったのがすなわちチェルノブイリ事件だった。 彼女は事故当日午後、子供たちと菜園で仕事をしていて押し寄せる真っ黒な雲を見たという。 ところが政府と言論が放射能の危険性について一言も言わなかったために自分たちは何も知らなかったとのことだ。 チェルノブイリから広がった放射能物質が大気と土壌を汚染させたことを知った時、悠悠自適に過ごしてきた生態主義者の怒りははかりしれないほど大きかった。 彼女は脱核世界の可能性について地域住民と討論し、それを土台にして中央政治舞台で緑色政治の理想と現実を論じる政治家に成長した。

 事実、福島事故以後ドイツ政府の委嘱を受けて各界要人で構成された倫理委員会が8週間の公開討論(テレビで生中継された11時間の最終大討論を含む)の末に脱原発原則を提案し、メルケル総理がそれを受け入れ、2022年までにすべての原発を閉鎖することを決定できたのは、ドイツでその間生活の中で脱原発運動が着実に展開されてきたおかげだ。 太陽熱、風力をはじめとする多様な代案エネルギー源を開発し地方単位、共同体単位で電力を生産する技術が蓄積されてきたことも重要な資産だった。 コティングル議員はいくら有機農方式で農作業をしても、土壌や海洋自体が汚染されれば効果がないという基本常識を喚起した。

 4・11総選挙でセヌリ党は原子力の安全性を広報する科学者を比例代表の1番に出し第1党になった。 核廃棄物処理問題が難題で目前に置かれている韓国社会で、セヌリ党がどんな指向性を有しているのかを見せる事件だった。 反面、脱核を掲げた緑色党は政党存立基準である得票率2%にも達し得ず解散の運命をむかえた。 有権者の無関心のせいにだけするには私たちの社会全般の知的地形の問題が大きい。 人類が放射能物質を食べて生きるホモ ラジオアクティブスに進化しない以上、私たちは原発問題をこのまま抱き続けることはできない。

ハン・ジョンスク ソウル大教授・西洋史

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/529939.html 訳J.S