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[寄稿] 救援要請の絶叫に反応しない社会/チョ・ヒヨン

登録:2012-04-19 07:49

原文入力:2012/04/16 19:38(2010字)

←チョ・ヒヨン民教協共同代表・聖公会(ソンゴンフェ)大教授

崖っぷちに立たされた労働者たちは
継続的に救援要請信号を送っているのに
何も反応しない社会を恨みつつ
命のひもを放し始めた

 去る4月1日、水原(スウォン)のある女性が拉致され隙を見て112に申告したが警察がこれに対し迅速且つ適切な対処をできずに死に追いやることになった事件が発生した。 この事件は通常の殺人および検挙事件として見過ごしかねない事件だったが、以後112の運用システムに問題があってその過程にかかわった警察がどれほど不感の存在だったのかが明らかになった。 最近では遺族が112申告電話録音ファイルに含まれた被害女性の音声を直接聞くことにより、‘助けてください’という哀願、ぞっとする悲鳴、荒いテープを切る音などが何と7分余も続いていたことが確認された。 犯人の声まで流れ出る録音テープを聞きながら、家族は「警察も殺人者」と大声を張り上げもした。 私はこのニュースに接しながら、死に直面し切なく救援を求めるその切迫した声をなにげなくやり過ごしたり無視していたその警察状況室と、救援要請の絶叫をしながら死んでいく22人目の双龍(サンヨン)自動車労働者の声をなにげなくやり過ごしている私たちの社会という空間がどれほど似ているかを考えた。

 すでに皆の記憶から消えているだろうが、2009年双龍自動車が2646人の労働者を整理解雇した時、77日間のすさまじい闘争が展開されたし、これで‘無給休職者1年後復職’という‘8・6合意’が成り立った。 しかし1年半が過ぎた今、双龍自動車はこれを履行しておらず政府はそれを放置している。 崖っぷちに追い出された労働者は社会に継続的に救援要請の信号を送ってきた。 それにもかかわらず、何の反応もない社会を恨んで生命のひもを放し始めた。 生活苦とストレスで夫人が赤ん坊を流産し、会社側の整理解雇計画が発表された2009年4月8日初めての自殺者が出て以来、去る3月30日双龍自動車労働者22人目の自殺者が出た。 しかしこのすさまじい声を私たちはそのままなにげなくやり過ごしている。

 私たちは暴力と言えばカン・ギョンテ、パク・ジョンチョルを死に追い立てた警察暴力、龍山惨事鎮圧過程での暴力ばかりを連想する。 これは当然に物理的暴力だ。 しかし双龍車労働者の自殺は私たちの国家と資本によって作動する独特の‘構造的暴力’が作り出した‘構造的他殺’と規定されなければならない。 実際に残忍なストライキ鎮圧過程での傷痕とトラウマ、血がにじむ生計苦、あたかもブラックリストのように付いて回り就職を妨害する烙印、政府と会社の圧迫と無対応が作り出す心理的圧迫と挫折、怒りで数多くの労働者が自らの命を絶ったのだ。 物理的暴力は顕著なので公憤の対象になるが、逆説的にこのような構造的暴力は非顕著なのでなにげなく過ぎ去ってその暴力に苦しみながら送る救援要請の信号に全く答えない。 特に新自由主義時代にこの構造的暴力は国際競争力という名前で正当化されながら、多くの人々が無関心と順応の姿勢で避けられないことと受け入れている。 私は当然この自殺は自殺でなく、構造的他殺であり社会的他殺と規定されなければならないと考える。

 ところで現存国家と資本の‘構造’が持つ暴力性とその非人間性も問題だが、実際さらに大きな問題はすでに共感の能力と感受性を失った私たちの社会、そしてその社会を構成する私たちだと考える。 私は昨年、韓進重工業事態の時、高空座り込みをしたキム・ジンスクを見守りながら、一つの社会がどれくらい人間的なのかということは社会的弱者のすさまじい絶叫が如何に多く累積してこそ変化が始まるのかによって測定されうるのではないかと考えた。 私たちの社会は309日間にも及ぶ時間が流れてやっとキム・ジンスクの死を賭けた高空クレーン闘争に反応した。 非情にもそうだった。 双龍自動車の死の絶叫に対して私たちの社会はいつ反応するのだろうか。

 整理解雇の苦痛で一企業だけで22人が死に追いやられることは、そのような社会、それに対する人間的共感能力をなくしたそのような社会はすでに病に罹っている。 いや死につつある。 彼らが死につつあるのではなくて、私たちの社会が死につつあるのだ。 この死んでいく社会に向かって、桜の花が見事な春の行楽、徳寿宮(トクスグン)石垣の道に追慕の焼香所が設置される。 4月21日には双龍車正門前で汎国民追慕大会が開かれる。

チョ・ヒヨン民教協共同代表・聖公会(ソンゴンフェ)大教授

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/528560.html 訳J.S