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[社説] 福島1年、エネルギーと暮らしの形の転換期に

登録:2012-03-10 09:54
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/522795.html原文入力:2012/03/09 19:06(1368字)

 3・11東日本大地震と福島第1原発事故がおきて丸1年になった。日本、いや東アジアの歴史を福島以前と以後に分けることになった世界史的大事件の震源地である事故原発は今もばく大な量の放射能を発生させている。
 昨年日本が30年ぶりに大規模な貿易赤字とマイナス成長を記録して今後の展望もやはり明るくないのはその事故が重大要因として作用したためである。日本の土地と海を汚染させた半減期30年のセシウム137をはじめとする放射性物質に恐れをなした多くの日本人がかつて最も安全と言っていた自国産の農水産物の購入を止めて自ら放射能測定機を準備するようになった。政府発表さえ信じない。ついには西日本への人口の大移動の動きまで現れている。
 ただ一度の事故でも、子孫の未来まで含んだ全てのものをひとまとめに失うことがありうるということを福島原子力発電所事故で体感した。そのような事故がいつどこでも起きえるということもまた明確に確認した。スリーマイル島とチェルノブイリ原発事故後にも "日本ではそのような事故が起きることはありえない" として技術・安全大国を自負した日本の誇りは間違いなく崩れた。福島以後、私たちが考えなければならないことは、原子力発電所まで稼動させなければならない大量生産と大量消費の安楽と豊かさに慣らされた私たちの生き方、これ以上持続不可能であることが明らかになった現在の文明の存在様式そのものだ。言い換えれば、どのように暮らすべきか、どのように暮らした方が良い人生なのか、この時点で私たちは問い直さなければならない。
 福島原子力発電所事故で東日本全体が崩壊するかも知れないといった菅直人・前日本総理の話は大げさではなかった。福島第1原発4号機の使用済核燃料棒の貯蔵庫が爆発をまぬがれたのはまさに天運だった。同所から12km離れた福島第2原発の原子炉4基が爆発しなかったのも、押し寄せた津波の高さが第1原発より若干低かったためだった。その偶然の中の一つでもわずかに違っていたら、東京都など3000万人が暮らす日本の心臓部は全面疎開が避けられなかっただろう。東京だけでなく日本列島全体を再起不能の状態に追い込む最悪の事態まで日本政府は想定していたし実際に起きるところだった。
 解決口は太陽光と風力など再生可能な自然エネルギーへの転換とエネルギー消費の縮小と専門家たちは話す。それが一次元高い代替産業と新しい暮らしの様式を呼ぶという希望を脱原発を選んだドイツなどヨーロッパ国家が示している。原発によるルネサンスは時代錯誤になった。

原文: 訳T.W