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[ハンギョレ2 2012.01.30第895号] 拷問・虐殺も許す神様の上の‘上神様’

登録:2012-01-29 06:47

[金東椿(キム・ドンチュン)の暴力の世紀vs正義の未来] "拷問が愛国" だというイ・クンアンの自己正当化論理(5071字)

罪を多く犯した者を救援した反共イデオロギー

 2011年12月30日未明、キム・グンテ民主統合党常任顧問がこの世を去った。彼は1970~80年代の軍事独裁下で全身で抵抗した韓国民主化運動のアイコンだ。 1985年民主化運動青年連合(民青連)事件で拘束され、あらゆる種類の拷問に遇い、その拷問の後遺症によりパーキンソン氏病を病み、64才という比較的若くして現世のひもを放してしまったのだ。キム常任顧問はソウル、南営洞(ナミョンドン)515号室で暴力革命主義者、共産主義者であることを自白しろと強要された。 結局、彼は公安当局が読んでくれた小説のような嫌疑を認めざるを得なかった。

←1999年10月、自首する拷問技術者イ・クンアン。彼は10年間にわたり隠れていたが公訴時効が完了した時に自首した。 <ハンギョレ>資料

虐殺と拷問を正当化する国

 1986年南営洞対共分室で彼を拷問したイ・クンアンは2008年5月忠南(チュンナム)泰安(テアン)地域‘第1期父親学校’に特別講師として出て、自分はアカだけを捕まえたが、政権が変わると逆賊になっていたとし無念な心境を吐露しもした。 最近では 「尋問(拷問)は芸術だ」として自身の行為を正当化した彼は、 「今すぐにその時に戻ったとしても同じ仕事をするだろう。当時、独裁時代の状況では愛国であったから、愛国は他人に先送りできることではない」として自身の行為を美化した。

 韓国教会はこのようなイ・クンアンを牧師にしてあげた。 たとえ極悪な拷問犯罪を行った人であっても、神の前で改心すれば神様の御言葉を伝播する牧者になれるということだ。 韓国キリスト教は、拷問した事実を否認し公式に過去のことに対し反省と謝罪をしたことのないのみならず、むしろそれが愛国の行動だったと大声を上げる者を牧師礼遇までし、泰安(テアン)郡民は彼を講師として招請した。 釜山(プサン)市民はキム・グンテ常任顧問を拷問する時、指揮ラインにいた安全企画部対共捜査団長チョン・ヒョングンを3度も国会議員として当選させた。彼も国民健康保険公団理事長を務めるなど健在だ。

 イ・クンアンの言葉と行動は映画<密陽(ミリャン)>(原作イ・チォンジュンの‘虫の話’)によく描かれている。 主人公シンエは誘拐犯により息子を失った後、その罪悪感のためにキリスト教信仰の道に入るが、信仰を通じて治癒を経験したシンエは自身の息子を誘拐し殺害した誘拐犯を許すことを決心し刑務所に訪ねて行く。しかし自身が誘拐して殺害した子供の母親が来たにも関わらず、その殺人犯は悔いるそぶりは目やにほども見せず、自身は神様の容赦を受け平安に生きていると話す。 この殺人犯はまさに5・18光州(クァンジュ)虐殺を反省しない新軍部の姿そのものだ。 彼らは1980年光州で大量虐殺劇を行ったことでも満足せず執権後に数多くの拷問を通じたスパイ捏造事件を指揮した。 前職が軍の将軍、前職長官、前議員、前職国家機関の‘長老’として優遇され、彼らの内の相当数は今日 大型教会の元老 長老や執事の礼遇を受けている。 彼らの‘神様’がどんな罪をどのように許したのかは分からないが、彼らは過去の反倫理的犯罪に対する自身の責任に関しては一切言及していない。イ・クンアンのように「その時はそれが愛国だった」とだけ暗黙的に話すのではなく「今見てもそれは愛国だった」と話す。国際社会でユダヤ人大量虐殺(Holocaust)を否認することは犯罪と見なされる。 ところが虐殺と拷問を単に否認するにとどまらず美化して正当化するこの国をどのように見れば良いのか?

 結局、彼らには彼らを受け入れた神様の他にも称賛と激励までしてくれる‘さらに上の神様(反共イデオロギー)’があるという話だ。 彼らを許し受け入れた神様はただ精神的慰労だけを与えるが、彼らの行為を正当化し美化する神様は政治的・身体的・制度的・物質的・社会的地位と安息まで保障してくれる。 この世俗政治を掌握する神様はキム・グンテを拷問することを許容しただけでなく、今日まで韓国人の生死与奪権を握ってきた。

‘乳飲み子も気味悪がるアカ’

韓国戦争前後、この神様は‘疑わしい’民間人をむやみに殺すようにしてくれた。1949年12月24日、慶北(キョンブク)、聞慶(ムンギョン)の幾重にも重なった山中にある3ケ月の村住民86人が国軍に無惨に虐殺された。 軍人は民家に火をつけて飛び出す住民を片っ端から射殺したし、村の裏山の突き出た角地に隠れていた青年たちと下校途中の子供たちまで射殺した。 犠牲者の70%は20才以下の青少年や老人たちだった。 10才以下の子供も22人(25%)にもなった。 現場生存者である華やかな服陣によれば“こいつ、赤食事の仕度をして豚捉えて与えただろう? 私たちは国軍だ”と話したということだ。 このぞっとする虐殺事件を調査した当時米軍側は“軍人が村住民たちに追及した共産主義者などとの内通疑惑は軍人がおっかぶせた汚名であったしとどめの一発まであった”と記録した。 この虐殺の真相は詳しく知らされなかったが、当時ある言論ではこの事件を“共産軍の最後的蛮行として国軍を装って部落に侵入して殺人・防火などを敢行した事件”と報道した。 この事件により死亡した人々の戸籍にはこれらが共産軍によって死亡したことで逆に記されている。 2007年真実和解委員会はこの事件の真相を糾明して三日月村の人々が軍により虐殺された事実を明らかにしたが、真実和解委員会がこの事件の真相を糾明しなかったとすれば彼らは現在まで共産軍によって殺された人として公式化され、国軍の犯罪は確認されなかっただろう。

 韓国戦争前後、共産軍討伐作戦に投入された軍人や警察官は左翼であるように見えれば裁判もせずに‘即決処分’(虐殺)したという。ある軍人は部落内部住民たちの間の私感で人々が‘アイツはアカ’だと名指しすれば直ちに即決処分される場合が多かったと述懐している。“当時は無法状況なのでアカと名指しされれば中隊長・小隊長のラインで即決処分しても問題にはならず、軍人も中隊長・小隊長の命令で即決処分することができると考えていた。 討伐作戦に支障があって対象がアカなので後から即決処分したと報告すれば問題にならなかったので、それは連帯本部まで報告する事案ではなく、現場で処分した後に書面報告もせずに口頭報告程度をすれば済むことだった。”

 韓国戦争の時、慶北、清道(チョンド)で警察と西北青年団出身の虎林(ホリム)部隊などはパルチザンと内通した疑いがある青年たちを捕まえに行き、彼らが見つからなければ両親など家族の一部を代わりに捕まえ殺したりもし、家を燃やした後に残った家財道具を奪ったり、家族を殴り倒したりもした。この極悪非道な虐殺と略奪が全て‘アカ掃討'の名の下に正当化され、そのことに加担した人々が今日まで韓国で‘愛国者'にされている。

 パク・ワンソ(朴婉緖)が言ったように韓国戦争時期は「アカと言えば乳飲み子でさえ無条件に気味悪がって敬遠した時期」であった。 それで虫ケラのように取り扱われないために“自分たちの家族の思考と行動はもっぱらアカかどうかの問題によって支配されていた」(パク・ワンソ、‘母さんの杭2’)。アカと名指しされることは事実上の死刑宣告、すなわち人間としての存在を否認されることを意味し、他人をそのように名指しする人や集団の背後には‘上神様’が控えていたためだ。 この‘上神様’はアカを捕まえる仕事をした履歴があると主張すれば、虐殺犯・拷問犯・暴力犯などの反倫理的犯罪はもちろん、財産奪取犯・学院不正犯・詐欺犯・脱税犯・強姦犯まで愛国者だとして誉め讃えあらゆる地位と権力と富を抱かせてくれる。

←2002年12月24日慶北、聞慶市、山北面(サンブックミョン)、石鳳里の三日月村に韓国戦争時に軍警によって虐殺された村の子供を賛える追悼碑の除幕式が開かれた。当時、事件の生存者であるチェ・ウィジン(右下)氏が碑文を指している。韓国戦争前後民間人虐殺真相糾明汎国民委員会 提供

'上神様’の代行者、裁判所

 俗世の審判者、裁判所が‘上神様’の代行者だ。 キム・グンテの裁判を担当したソ・ソン(徐晟)判事は第1回公判期日まで単独決定で家族の面会を禁止した。口ではキム・グンテが警察で黙秘権を行使したためだと言ったが、実際には拷問ぼ証拠を隠滅する時間を稼ごうとするのでなければそうはできなかった。 それから彼は第1回公判期日から傍聴券を発行し家族と周辺の民主化人士の傍聴を妨害した。 彼はキム・グンテ陳述の真偽を判断する最も核心的証拠である拷問事実を故意に回避し、キム・グンテが書いた嘆願書を弁護士が閲覧できないよう締め出しさえした。ソ・ソン判事の原審裁判所は公訴提起手続きが法令に違反しているので公訴棄却判決を下さなければならないという弁護人の主張をその理由も明らかにせず排斥することによって、結局キム・グンテが主張したように、その裁判は拷問警察と彼らに命令を下した者を保護するものだったし、以後にも拷問が続けられるよう保障してあげた。 拷問事実が明白だったために裁判所と検察の基本良心を信じようとした‘純真な’キム・グンテの期待は確実に崩れてしまった。 結局彼は裁判が要式行為に過ぎないということを知ることになり、お前たちがどれほど賢くても俺達には勝てないと大声を上げた拷問警察官の言葉を新たに思い起こすほかはなかった。 拷問が罪なのではなく、アカであることが罪であり、政権と言論がひとたびアカだと名指しすれば二度と回復できない罪人になる現実を凄絶に体験した。

 何らの検証も抗弁もできない状態で政権、検察や警察、言論が特定人士や集団をアカだと目星をつけさえすれば、抜け出す余地がなくなるということをよく知っている私たちの社会の腐敗・不正集団は、それを100%活用した。 かつて文民政府の司正対象1号に指定され学校公金横領と不正編入学容疑で法廷に立った尚志(サンジ)大のキム・ムンギ理事長は、1986年7月教授採用過程で金品を授受したという事実が明らかになるや、その真相究明を要求して座り込みを行った学生たちをアカに追い立てた。 彼は自身に追従する学生たちと職員に‘行こう北へ、来たれ南に’と書かれた印刷物を製作させ学生たちの座込み場周辺にこっそりとばら撒かせ、申告した後に警察兵力を要請し学生たちを連行させた。

 兄が左翼だと追い込まれて死ぬことになった状況で、パク・ワンソは「母親にとっては息子が生きているのか死んでしまったのかが問題であって、アカかシロかという問題ではなかった」と語った。このように真実と愛の目で見れば‘上神様’とはすなわち人を捕らえる怪物であることがすぐに分かる。理性を持った人ならば自身と家族を踏みにじり、全てのものを奪っていった恐ろしい神様は偶像に過ぎず実体のない幻影であることを知ることができる。現在と過去に犯した罪が多ければ多いほど、より一層‘上神様’の力に寄り添うという事実も簡単に理解できる。

‘怪物が人を捕らえる話’

 ところが未だに一部政治家や言論は口を開けばこの‘上神様’にしがみつく。 2011年7月20日付<朝鮮日報>は‘海軍基地の敷地が左派団体の解放区に’というヘッドラインを付け、また別の日には“済州(チェジュ)が左派従北勢力の闘争第一線になりつつある”と主張した。 昔であればこのように大声を出せば、彼らの神様は“彼らを殺しても良いし、拷問しても良い”と言ったが、今はためらって単に警察力だけを出動させ連行しろと言う。 それが不安なので彼らはより一層“神様、あいつらは左派です。 従北です”と叫んでいる。私たちの後世代は‘怪物が人を捕らえる話’を喜劇ジャンルで見つけられるようになる筈だ。

聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授

原文: http://h21.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/31232.html 訳J.S