原文入力:2012/01/13 01:10(4429字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
私はノルウェーに暮らして既に12年になろうとしています。この12年間「韓国学」をするということで、現地のメディアとの様々な接触を続けてきましたが、北朝鮮や分断をめぐる問題で数々のインタビューを受けたものの、南韓内部の事情に関しては一度もインタビューされたことがありません。私は北朝鮮には行ったこともない反面、ソウル市内は目をつぶったままでも大抵のものは捜し出せるほどに生え抜きのソウル人ぽくなったにもかかわらずです。それほどノルウェーのメディアが異国視する北朝鮮については常に商業的に利用しても、南韓の状態と役割は多少「当然視」しているのです。ノルウェー人たちが特に問題提起をせず(すなわち、たとえば毎年過労死する労働者の数や三星電子の白血病問題などは問わず)、よく売れる携帯電話や自動車などを手際よく作り出し、ノルウェー国営の石油基金に黄金の投資先を提供してくれる南韓は「当然に」(特権的な欧米圏)外部者たちにとって便利に稼動している限りは、ノルウェーを含む多くの欧米圏のメディアはこちらには特に関心を示したりしないようです。携帯電話や自動車の部品などを作る工場の内部を詳しく覗き見れば、おそらく平均的なノルウェー人たちは気絶すると思いますが、本人たちの精神健康を無意識に保護しようとするためか、世界体制核心部のメディア関係者たちはそこまでは好奇心を働かせようとしません。そのために、私のような人間が、あまり研究したこともない北朝鮮についてばかり頻繁に取調ならぬ取調を受けることになるのです。
その取調の過程で私にとって一つの難問が常にあります。北朝鮮体制の性格を一体どのように規定すべきでしょうか。前近代的な要素(統治権世襲、忠孝イデオロギー強調など)などは確かに見受けられますが、既に1980年に国内総生産の90%を近代的な工業/サービス部門が占める重工業中心の国家なので、そのような要素のみを強調すれば、「オリエンタリズム」に堕する嫌いがあります。ノルウェーの記者たちは「スターリン主義の儒教的な変形ではないか」と質問したりしますが、軍事化の程度や「唯一思想」の強調は、たとえば東欧のスターリン主義政権より遥かに深刻だといえます。しかし、またそうせざるを得ないほど、米日韓の侵略的なブロックからの脅威が実際に厳存しており、また(抑圧的な機構の役割はもちろんないとはいえないが)、政権の先軍政策の名分となる帝国主義的な攻撃に対する防御的な態勢は実際に大多数に内面化されています。結論的に、「スターリン主義的な工業化方式と行政的な技術と共に、前近代的な統治イデオロギーなどを同時利用する反帝的性格の、軍事主義的要素の強い大衆(合意)独裁」とでもいえば、ある程度客観的な定義になりそうなのですが、どうも長すぎますね。しかし、朝鮮半島の近現代史が複雑なだけに、それよりさらに短く定義することは極めて困難です。
しかし、実際にはもしかすると南韓体制の性格を規定することは北朝鮮より遥かに大変なことかもしれません。新自由主義的な国家ですと?「カッカ」(閣下を揶揄して言う語)が自らラーメンの価格などを「定めてくれる」ショーをするかと思えば、一方で消費者物価高騰の危険を冒してまで為替を三星電子や現代自動車に有利に調整してくれる国が(国家の介入は最小化される)「新自由主義的な国家」だというなら、私は火星人でしょう。ところがまたその一方で、非正規労働者の量産や低賃金労働者の実質賃金の傾向的低下、中間規模の勤労所得者と中小自営業者階層(「中産層」)の傾向的な縮小などを見れば、「新自由主義的な国家」と言っても嘘ではありません。ただし、それと同時に国家が主要な財閥の利害関係を積極的に保障する「財閥国家型の重商主義」のような側面もよく示したりします。ということは、「新自由主義と財閥国家型の重商主義の結合」のはずですが、新自由主義によっても(労働者の利害関係を排除する)重商主義によっても苦しめられている民衆を一体どのように統制しているのでしょうか。そのため、ここで必ずもう一つを追加しなければなりません。「新自由主義と独特な企業国家型の重商主義を兼ね備えた規律国家」とした上に、さらにこの「規律国家」に傍点を付けなければなりません。これがなければ、ノルウェー人たちの大好きな携帯電話や自動車の部品などを、産業化された国の中で最も労働時間が長く最も労災の危険が高く最も暴力的で差別的な工場で作っている労働者たちが、ノルウェー外遊の好きなその「社長」たちをリンチしたりもせずに、未だにずっと我慢し耐え続けていることは説明できません。このような体制下でどうしても避けられない積もり積もった怒りの爆発を、この体制は極めて巧みに予防しているのです。
この予防作業、すなわち規律化作業の多くは、かなり早く幼児期と少年期の様々な社会的な圧力関係の中で成立します。既に小1の歳で「級友に無視されたくないから」と自発的に(?)英語教室に行きたいと親に話す子供なら、最早その内面は社会的な圧力に応じて「規律化」し始めたといえるでしょう。実際、そのような「内面の規律化」がなければ、南韓という資本主義型の全体主義的な社会では生き残れないからです。全体主義ではないと、大統領も「ジバギ」(明博を鼠博と読み換えて揶揄する語)と思いきり悪口が言える自由の楽土ですと? とんでもありません!兵役拒否をする数百人の若者たちが絶えず監獄に入れられ、世界の収監者中の兵役拒否者の95%(!)を占めるのもさることながら、みなさんは南韓で勇敢にも目上のアメリカの人々の言語を(義務教育課程以外に)まる暗記することを拒否した「英語拒否者」を一人でも見たことはありますか?お金がなくて「内地語」(?)を勉強できない場合はありますが、お金があっても植民母国言語への拒否の意志を自由に実践した例を見たことがありますか。大学入学を拒否した何人かの勇敢な若者たちに私は最近インターネット上で接することができましたが、果たしてそのような極めて常識的な運動が南韓で普遍化しうるのでしょうか。拷問室と政治犯の拘束の、維新政権式の全体主義は最早かなり消えてはいるものの、南韓に見え隠れする社会的な圧力は実に「ソフトな」全体主義といえるほどです。そのような圧力を受けながらも家庭の事情でお金を投じて殿さまたちの言語を習えなかった子供たちが少しでも大きくなれば管理者たちに怒鳴られながら駐車場の管理要員やコンビニのバイトをするのを見て、「私も負け組になるのではないか」と不安がる子供たちは、果して大きくなって反乱を起こし搾取工場を壊す危険は大きいでしょうか。私たちはとても小さい時から徹底的に奴隷化されるのです。これこそが三星(サムスン)と現代(ヒュンダイ)の大株主たちが特に心配することなく安定的に金儲けできる基盤にほかなりません。
「重商主義と新自由主義を兼ね備えた、全体主義的な要素の強い規律国家」南韓……。私たちが一つ念頭に置かなければならないことは、多くの人々が小さい時から順応主義者として育てられるこのような社会では、管理者たちは常に70年代式の「古典的な全体主義」を再導入する「誘惑」(?)に駆られているということです。「騒ぎ立てる」何人かの反対者を見せしめのために監獄にぶち込んでも、社会ではいかなる爆発も起きないからです。たとえば、最近あった社会党員バク・ジョングン同志の拘束事件(? idxno=24252)を取り上げてみましょう。「朝鮮労働党反対」の立場を堅持している社会主義政党の党員が北朝鮮の口調をパロディーのネタ(?)にしてツイッターに投稿したりしたら、なんと忽ち「称揚鼓舞者」になって収監されてしまいました。公安当局が社会党が北朝鮮を徹底的に批判していることを知らないはずは絶対にありません。既に承知していながら、ほかの「ふざけるやつ」らを脅かすために国家保安法を悪用して政権の批判者たちを物理的に弾圧したのです。そんなことをしても多くはただ黙ってばかりでいて自分の仕事にのみ気を取られている、エコノミック・アニマルの社会では、そうすることは「殿さま」たちに負担にもならないのです。このような「70年代式の全体主義への回帰」現象の中で最も代表的な例が最近の宋竟東(ソン・キョンドン)、チョン・ジンウなどといった「希望のバス」の組織者たちの拘束です。既に知られていることですが、彼らの組織した運動は韓国労働運動史上おそらく最も平和的なものでした。多くの人々が子供を連れて釜山に行く「希望のバス」の乗客たちは、火炎瓶や石に訴えないどころか、腕力さえも避けようとする例がほとんどでした。非暴力的であっただけに、この運動はうまく大衆化し、遂に成功しました。まさにそのことが宋竟東詩人とチョン・ジンウ同志が監獄に閉じ込められた理由なのです。彼らがあまりにも成功的に平和志向的だったということで。これが全体主義ではなく民主国家ですと?南韓のことを「北朝鮮よりそれでも優越な民主的体制」と主張する陳重權(チン・ジュンゴン)などのリベラリストたちが、これを見て少しでも反省してほしいと切に願うばかりです。こんな国を民主国家というなら、オーウェルの言葉通り「奴隷状態はすなわち自由」ですね。
「本当の」全体主義、政治犯を多く量産する、そんな全体主義への回帰を防ごうとするなら、とりあえず私たちのできることは「じっとしていない」ことです。ツイッターでもブログのポストでもメディアへの寄稿でもデモでも何でもあらゆる可能な表現方式を動員して宋竟東詩人やチョン・ジンウ同志を含めた多くの政治犯たちを釈放せよと、粘り強く要求することから始めるのが最も簡単で一般的な方法です。それから、今年の総選挙、大統領選挙があるのを勘案すれば、政治犯釈放に対する立場を、特定の政党への支持の条件とする方法もあります。政治犯の釈放を要求しない政党なら、その政党は非民衆的であるのみならず、そもそも真の意味の自由主義政党でもないと見做さなければならないのです。そして最も根本的な対策は労働者たちの組織化、労組たちの戦闘化、急進化です。労働運動が孤立を乗り越え急進化すれば、労働運動家たちの拘束は政権として一層負担になるでしょう。結局、急進化した労働運動と急進的な民衆政党のみがこの体制全体を最も根本的に揺さぶることが可能でしょう。
原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/39958 訳J.S