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[なぜならば] 大人たちが心を開かなければ子供たちはこれからも死んでいきます

登録:2011-12-29 06:31

原文入力:2011/12/28 19:51(3663字)

←イラスト ユ・アヨン

一度はあまりに荷が重くて寄宿舎で自殺を試みたこともあります
今の‘一陣’は大人たち世代の‘不良’とは次元が違います
子供たちが試験のためにストレスをたくさん受けて一層残忍になっているのに…


 最近、大邱(テグ)で起きた中学生自殺事件で社会が沸騰しています。 初めてこの事件に接した時、自分の経験を思い出しました。 私は小学校の時にいじめにあって学校を自ら退学しホームスクーリングをして中学生になってオルタナティブ学校に入学しました。 しかしオルタナティブ学校にも生徒たちの間の暴力文化は存在しました。 生徒たちがすでに小学校で暴力的な‘一陣文化’に慣れて入ってくるのでオルタナティブ学校に入ってきてもその行動を変化させることはできませんでした。 先輩たちは悪口を言うし、後輩が反対意見を出せばそれを口実に部屋に閉じ込め殴打したり脅迫もしました。

 私は他の友人よりさらに狙われて先輩たちの悪口と脅迫、暴力の中で集中的に数ヶ月苦しめられました。 そうするうちに親しい友人さえ背を向けていつのまにか私は仲間はずれになっていました。

 皆が私をあざ笑っているようで人に会うことも嫌だったし、世の中に私一人が残されたような感じを受けました。 いじめに遭った後で、毎日誰かに首を絞められる夢を見たし、時には覆面をかぶった誰かが鋭い凶器で私のからだをばっさり切る夢を見たりもしました。 毎日毎日、同じ夢といじめが繰り返され本当に狂いそうでした。 先輩たちが部屋に訪ねてくるかと思うと明け方の4時までまんじりともせずに夜を明かさなければならなかったし、部屋に来ているかも知れない先輩たちを避けて常にあちこち彷徨い歩きました。 私を困らせる先輩たちが私の名前を呼べばビックリ驚いて泣いたりもしました。 一度はあまりに荷が重くて寄宿舎のてっぺんに上がって自殺を試みようとしたこともあります。 恐らく少なくない全国の小・中学生たちが私のような決心をしたことがあったでしょう。

 ところが言論を見れば、大人たちは私たちの難しい境遇と傷を理解できずにいるようです。 言論記事は問題の診断と対策よりは扇情的な記事があふれ出て、その記事についているインターネット コメントを見れば加害者を死刑にしなければならないという攻撃的コメントが圧倒的です。 そして‘どうして両親に話をしなかったのか?’、‘周囲の人に話せば良いのに、なぜ自殺までするのか’というコメントをたびたび見ます。 腹が立つのはこの2種類のコメントは全て結局、私達子供たちに責任を問う声だということです。 違いがあるとすれば、そんな野郎は死刑にしなければならないというコメントは加害学生に、どうして話をしなかったのかというコメントは被害学生たちに責任を問うということでしょう。 なぜ無力な生徒たちだけにこういう重い荷物を背負わせるのでしょうか? 私たちを安全な環境の中で生きられるようにして正しい規範を作ることを助けなければならない大人たち、無力な教師と両親ではなく力のある大人たち、政治家、教育長、大統領のような方々にはなぜその責任を具体的に問えないのでしょうか。

私たちが大人たちに話せないのにはいろいろ理由があります

 先ずは恐れのためです。 加害者がその話を聞いた時、報復するという恐れもありますが、そのような純真な考えだけでは私たちの生活をよく理解できません。 学校で起きる大多数の深刻な暴力は‘一陣’の子供たちによって起きています。 大人たちは、一陣の子供たちが相対的に力が強いとか人脈がより広い程度だと考えるかも知れませんが、子供たちにとって一陣の子供たちは学年と学校、地域社会で巨大な組織を形成し万能の力を持つ存在として迫ります。 先生と相談をしようとしても一陣の子供たちが相談室の前で誰がくるかを常に監視しているのが現実です。そして教務室や相談室に訪ねて行く生徒がいれば学校全体でその子供をいじめます。 大田(テジョン)女子生徒自殺事件、そして大邱(テグ)で去る7月に起きた自殺事件はそれで起きたのです。 私たち生徒たちの目にはそれがはっきりと見えるのに、なぜ大人たちの目には見えないのかもどかしいことこの上ありません。

 次に、大人たちに話をしても大人たちが私たちの時代と経験が違うために正しく理解できず、説明するのが難しいためです。 この頃の学校暴力を主導しているのが一陣の子供たちですが、他の言葉で言えば‘不良’と言います。 ところが両親と話をしながら不良に対する概念が私たちの時代と両親の時代とでは違うということが分かりました。 昔は不良たちが主流ではありませんでした。 不良と言っても学校の外でだけ逸脱行動をして、教室では教師ににらまれるかと思って静かにしていたし、お金を奪い取ったり他の子供たちを困らせる時には平凡な友人が協力しなかったですよね。 しかし、この頃の一陣は違います。 一陣の子供たちが作っている一陣文化は青少年文化の主流です。 一陣の子供たちが性・運動靴・服に対するすべての流行を主導しています。 代表的な例は最近流行しているノースフェイス ジャンバーも一陣が着て流行になったものです。 それでこの頃の一陣はお金を集める時にもこっそりと恐喝するのではなく、合法的な名分を動員して奪います。 恋愛記念日(22デー、百日記念日など),誕生日、ペペロデー、バレンタインデープレゼントなどの理由でお金を恐喝し、時にはチケット押し売りなどでお金を募金したりもします。 いじめ現象もやはり日進の子供たちの地位を理解せずには理解できません。 昔は不良たちが一人の子供を仲間はずれにさせようとしても他の子供たちが同調することはありませんでした。 しかしこの頃は一陣の子供たちが主流になって学級の子供たちの生活文化と秩序を掌握しているので、一陣の子供たちが一人の子供を仲間はずれにするなら他の子供たちも生き残るために、すなわち自身がいじめられないために同調するしかないのです。

 最後に仲間はずれにされたことを先生や両親に知らせれば、告げ口したとして‘一人ぼっち’として嘲笑されるためです。 一陣の子供たちが意図的にそのような方向に追い込んで他の子供たちもそれに同調しますね。 また、生徒たちは同年集団で起きたことを大人たちに話せば背信者として烙印します。 そうして子供たちが‘全校仲間はずれ’になる可能性が高いのです。

 こういう色々な理由のためにいじめにあう子供たちは‘誰も自身の話を信じないだろう’、‘話しても聞いてはくれないだろう’、‘この世の中に私一人しかいない’と感じます。 このような関係的苦境に陥った子供たちは友人でもおとなでも誰かが心から話を聞こうとする時だけ心を開きます。

 平常時には何の関心も持たないで、こういう事件が起きた時だけ興奮して身上情報を暴いて攻撃的言葉を吐き出すことはもう一つの暴力です。 それこそが自殺衝動を起こさせる社会的攻撃だということを分からなければなりません。ネチズンの皆さん、もう興奮を静めて下さい。 今しなければならないことは加害者に対する無条件な怒りを表出することではありません。 再び同じことが繰り返されないように今からでも関係的苦境に陥って苦しんでいる子供たちに関心を持って助けなければなりません。 そして大人たち、今の一陣は大人たちの世代の‘不良’とは次元が違います。 これ以上大人たちの経験を私たちに押し付けないで下さい。 大人たちのそのような態度が子供たちの声を失わせます。 今は私たちの声に耳を傾けて関心を持って下さい。 関心と世話、それだけが傷ついた子供たちの心を開くことができるただ一つの鍵であり治療薬です。

 そして李明博大統領様、汎政府次元の学校暴力対策を作り出すと言いましたが、率直に言って李明博大統領様は一陣が何かをご存知ですか? 相談教師を配置しますって? 一陣は相談室の前で誰が来るのかを常に監視しています? 元から相談室に行くことなんてできないのに相談教師を配置するからといって何が変わるでしょうか? そして子供たちが試験のためにストレスをたくさん受けて一層残忍になっていますが、そんなことは大統領が責任を負わなければならないことではないですか? 李明博大統領様が本当に学校暴力に対処したいなら、一番最初に一陣が何か、子供たちの声を十分に聞いてみることのできる機会を作ることから始めなければなりません。 ムン・ハンモィ 16才・忠北(チュンブク)清原(チョンウォン)郡、賢都面(ヒョンドミョン)

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/512289.html 訳J.S