原文入力:2011/08/18 21:12(2725字)
イ・ムニョン記者
双龍(サンヨン)車整理解雇 その後…組立チーム13人の労働者たち
"肉体労働・代行運転しても 収入はどうしようもなく少なく
妻は低賃金労働を始め、瞬間瞬間に無力感に陥り
2年という時間が止まったように"
←18日午後、京畿、平沢市(ピョンテクシ)双龍自動車工場正門の向い側に整理解雇の撤回を要求する横断幕が懸かっている。 平沢/キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr
ついに、木の枝にぶらさがった父親は地を踏むことができなかった。どすんと空中をさ迷った息子のつま先が部屋の床に落ちた。ちょうど1年間隔だった。金持ちに向けて歯を剥いた死に顔が猛烈だった。父親は死に、息子は生きのびた。
2009年8月3日、カン・ソンヨン(仮名・40)は同僚を残してストライキ現場を去った。双龍自動車ストライキ終了の三日前だった。父親のためだった。彼の父親は江原道、太白(テベク)長省炭鉱で石炭の粉を吸いながら37年働いた。双龍車の‘玉砕ストライキ’が始まってからは平沢に来ていた。老いた父親は工場正門前で毎日電話で切なく息子を探した。「お前が出てくるまで待つ。」工場を抜け出した息子は希望退職願いを書いた。ストライキを終わらせることが出来ない自責の念も大きかった。 彼は父親を恨み、父親はうつ病を病んだ。
昨年5月、父親が山の中で発見された。病院へ行くと言って家を出た後、登山路脇のひと株の木で首をくくった。父親は遺書を残す代わりに、母親のために故障したボイラーをあらかじめ交換しておいた。父親の初めての忌日を行った日、カン・ソンヨンは泥酔した。 彼にとって人生は必ず守りたい程に居心地がよくもなく、死は絶対に拒否しなければならない程に恐ろしくもなかった。父親のように空中にぶらさがった。 彼のからだを支えられない‘虚弱な’洋服掛けが彼を生かした。「息子のテコンドーの帯を使ったが長く結びすぎたようです。」妻が出勤し子供たちが学校に行けば、彼は部屋で座って一人で泣いていた。
父親の葬式に見えたN‘職’(‘組’の概念)同僚はチャン・ギョンシク(仮名・37)とキム・ギヨン(仮名・36)だけだった。 ストライキ前‘組立Kチーム ファイナルとN職では13人が一緒に作業した。 双龍車組立ラインは3チームで構成されており、各チームは艤装・シャーシー・ファイナル・完成の4課に分かれていた。ファイナル課では‘チェアマン’と‘ロディウス’の車体にバンパー・シート・バッテリーなどを組み付けた。チャン・ギョンシクはいわゆる‘生きた者’であった。 N職では彼とソン・チョンス(仮名・44・職場),チ・ユンクォン(仮名・35)の3人だけが生き残った。現在、双龍車で働き口を守っている人も彼らだけだ。葬儀場でチャン・ギョンシクはカン・ソンヨンに「申し訳ない」と言い、カン・ソンヨンはチャン・ギョンシクに「来てくれてありがとう」と言った。
キム・ギヨンはN職でカン・ソンヨンと最も親しかった。彼ははじめは整理解雇対象者ではなかった。N職13人中、使用側は整理解雇者と非整理解雇者を各々6人と7人に分けた。
停職・休職者たち、復職・就職もできず‘その日暮らし’
ストライキには現在出勤している3人を除く10人が全員参加した。キム・ギヨンは非整理解雇者として最後までストライキに残り懲戒解雇された唯一の人だ。彼には10才と7才の二人の娘がいる。「父として生きるために」彼は昼間は忠南、唐津(タンジン)まで行き仮設の建物用パネルを製作し、退勤後には明け方まで代行運転をした。仕事の量は増えたが、収入はどうしようもなく減った。妻が低賃金労働を始め、彼は瞬間瞬間に無力感に捕われる。
キム・ギヨンと共にストライキに飛び込んだ非整理解雇者ウ・ビョンサン(仮名・36),イ・チゴン(仮名・35),ハム・イルテ(仮名・36)は6月頃にストライキから抜け出た。‘先に抜けたおかげ’で停職となったが、3人そろって‘ずっと’停職状態だ。会社は彼らの復職を許さない。全て日雇いで仕事をして一日を持ちこたえている。
パク・イルホ(仮名・33)はカン・ソンヨンがストライキ隊列を離脱する時に一緒に出てきて希望退職した。彼の父親も双龍車希望退職者であった。2009年、使用側は家族の内、複数が双龍車職員の場合は1人は救済する方針だった。だが、彼は世帯主が分離しているという理由で希望退職者に含まれた。現在、建設測量の仕事をしている。
チョ・ヒョンウ(仮名・35)とイ・ジョンギ(仮名・37),チョン・サンヒョン(仮名・35)も希望退職願いを書いた。「自分の仕事に慣れるころの年齢で、すでに退職者になってしまった人生」をチョ・ヒョンウは自嘲する。 自動車に未練が残り検査所で仕事をした彼は現在友人と油圧機械の営業をしている。イ・ジョンギは故郷の光州に行き肉体労働をしており、チョン・サンヒョンはいくつか職場を経て今は無職だ。
ストライキが終わった日(2009年8月6日)警察は参加者を連行者と非連行者に分けた。ホン・ヨンス(仮名・36)はN職でたった一人 警察署へ連行された。 彼はまだその理由が分からない。N職で無給休職者はホン・ヨンス一人だ。現在、双龍車寄宿舎で暮らしている。使用側は無給休職者に寄宿舎生活を許諾したが、食事は与えない。無給休職者は公式に双龍車職員の身分なので正式な就職はできない。彼はしばらく工事現場の肉体労働をしていたが、今は物流センターで積み下ろしのアルバイトをしている。 一ヶ月の稼ぎが100万ウォンにもならないが、会社の復職措置は約束がない。「どうすることも出来ずに時間だけが流れている」として、彼は苦しがった。 去る2年は彼の人生全体を猶予させた。
双龍車外に押し出された労働者らに77日間のストライキは激烈だったし、去る2年は耐えることだけでも苦痛な時間だった。N職13人も割れた。出勤する者と出勤できない者の間には広くて深い川ができた。 解雇者と停職者なども互いに連絡することを憚っている。資本の論理の前で労働者だけがバラバラに裂かれている。ただし彼らの跡を消しながら、工場は今日もいつもどおりに動いている。
イ・ムニョン記者 moon0@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/492427.html 訳J.S