原文入力:2011/08/10 22:20(1848字)
ソンチェ・ギョンファ記者
回顧録出し秘話公開
大統領府 金庫に100億残して退任 本人 選挙時は2000億 使用
全斗煥 任期末 内閣制推進 6・29宣言は自ら決断
YSの息子 ヒョンチョル氏 "お話にならない"
←金泳三前大統領が1992年12月の大統領選挙で第14代大統領に当選した後、大統領府を訪問し盧泰愚当時大統領から祝賀挨拶を受けている。 <ハンギョレ>資料写真
盧泰愚前大統領が回顧録を通じて1992年の大統領選挙で金泳三当時民自党候補側に選挙資金として3000億ウォンを支援したと明らかにした。金泳三前大統領の次男 キム・ヒョンチョル ハンナラ党汝矣島研究所副所長は「事実関係が疑わしい」と反論した。
盧泰愚前大統領は去る9日に出した<盧泰愚回顧録>(上下巻)で「当時、民自党の金泳三総裁は1992年5月の全党大会で大統領候補に選出された後、私に‘(大統領選挙で)少なくとも4000~5000億ウォンはかかるのではないでしょうか。私としてはその多額の資金を作る能力がないので、大統領が処理して下さい’と頼んだ」と明らかにした。盧前大統領はまた「クム・ジンホ前商工部長官とイ・ウォンジョ前議員をキム総裁に紹介し、彼らを通じて各々1000億ウォンずつ計2000億ウォンを支援した」とし「大統領選挙の末期に金泳三候補側の要請を受け再びクム前長官を通じて1000億ウォンを送ってあげた」と回顧した。すると金泳三前大統領は真夜中に電話をかけて「これで生きかえりました。ありがとうございます」と感謝の挨拶をしたと盧前大統領は打ち明けた。彼は続けて「(キム候補が当選した後)大統領府から金大統領の就任式場に発つ前に大統領府の金庫に100億ウォン以上を残して置いた」と話した。盧前大統領は自身の秘密資金捜査当時、自身が管理していた金の総額を 「元金だけで2757億ウォンだった」と明らかにした経緯がある。
これに対してキム・ヒョンチョル副所長は「大統領選挙資金を党を通じてでなく候補に直接渡したということは話にならない。20年も前のことを今さら話す真意が疑わしく、その方が本当に執筆したかも疑わしい」と話した。金庫の中の100億ウォンについても「本当に話にもならない話だ。私たちが大統領府に入った時には金庫もすでにがらんと空いていた」と反論した。
盧前大統領はまた、自身が当選した1987年大統領選挙で全斗煥当時大統領が支援した1400億ウォンと党で集めた500億ウォンなど2000億ウォンを使ったと明らかにした。 盧前大統領は「歴史のための記録を残す場であるから、核心的な内容は明らかにしたほうが良いと考えた」として「"私が(秘密資金で国民に失望を抱かせた)最後の人になることを心から望む」と書いた。
盧前大統領は6・29宣言と関連しては「87年6月10日当日 直選制改憲受け入れを決心した」として、自身の決断であることを強調した。彼は全斗煥前大統領と関連して「大統領は辞めるものの、退任後にも影響力を行使しようと考えているようだった」として、全前大統領が1986年3月から内閣制改憲を推進していたと明らかにした。
盧前大統領は回顧録で、金大中・金鍾泌・金泳三など三金に対する評価も残した。金大中前大統領に対しては「不運な難境を経ることにより得た経験が身についていたし、観察力が鋭利なすごい人だったが、時間が流れるにつれ聡明さが薄れるのを感じられた」と評価した。彼は「(金泳三前大統領は)真剣な面よりは皮相的に接近するという印象を受けた」と回顧し、金鍾泌前総理に対しては「30年近く国政に身を置いた貫ろくがあったからなのか頼もしく見えると思った」と評価した。
盧前大統領は2002年に米国で前立腺癌の手術を受けた以後、ソウル大病院で定期的に治療を受け、昨年末には高熱で入院するなど健康が非常に悪化していると伝えられた。今年4月 激しい咳の症状で入院した時は、漢方医で使う針が気管支から発見され、それを除去する手術を受けもした。 ソンチェ・ギョンファ記者 khsong@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/491320.html 訳J.S