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【独自】銃殺され54年間闇に葬られた実尾島工作員、5回目の発掘で遺骨発見なるか

登録:2026-05-15 06:12 修正:2026-05-15 07:59
2024年10月15日、京畿道碧蹄墓地公園5-2区画で開かれた死刑執行の実尾島工作員たちの遺骨発掘開土式で、工作員のイム・ソンビンさんの妹のイム・チュンビンさんが、娘のパク・イルミさんが書いた追悼詩を朗読している=イ・ジョングン先任記者//ハンギョレ新聞社

 1972年、空軍射撃場で国家によって銃殺され、54年間も闇に葬られていた遺骨は、果たして遺族の念願通り日の目を見ることができるのだろうか。

 韓国国防部が死刑が執行された実尾島(シルミド)工作員の遺骨の発掘を18日から再開する。国防部関係者は13日、ハンギョレの取材に対し、「18日午前、遺骨が埋葬されたと推定される場所として最も有力視されてきた京畿道高陽市徳陽区大慈洞(コヤンシ・ドクヤング・デジャドン)のソウル市立昇華院碧蹄(ピョクチェ)墓地公園5-2区域(徳陽区普光路193-2)で第1次遺骨発掘に着手し、同日に開土祭(土を掘る前に捧げる祭祀)を行う」と明らかにした。国防部と遺骸発掘の委託契約を結んだ韓国先史文化研究院は、5日間にわたり、2年前に発掘に失敗した地域と南側に隣接する場所330平方メートル(約100坪)を広く掘り返す予定だが、遺骸が見つからない場合は、12月までに他の推定地のソウル梧柳洞(オリュドン)の旧空軍情報部隊跡地や、仁川(インチョン)家族公園内の八角亭一帯でも発掘を試みる。

 死刑が執行された工作員たちに対する遺骸発掘は今回で5回目となる。2006年にソウル梧柳洞で初めて発掘を開始し、2007年と2008年には碧蹄5-2区域の5カ所で発掘を行ったが、乳幼児と推定される遺骨だけが見つかった。2024年10月には、碧蹄5-2区域でも遺骨を発見できなかった。ただし、2005年11月には、碧蹄1-2区域で自爆または交戦中に死亡した実尾島工作員の遺骨20柱を発掘した。

4月10日午後、ソウル九老区五老洞の旧空軍情報部隊跡地近くのカフェで開かれた死刑が執行された実尾島工作員の遺骨発掘説明会で、韓国先史文化研究院のイ・スンウォン副院長が発掘候補地について説明している=コ・ギョンテ記者//ハンギョレ新聞社

 この日の開土祭では、実尾島工作員の遺族が出席する中、祭礼儀式や追悼の辞・追悼詩の朗読などで行われる。アン・ギュベク国防部長官は出席しない。国防部側からは、4級の軍人権総括担当官が空席となっている軍人権改善推進団長に代わって追悼の辞を述べる。

2年前の遺骸発掘開土祭の際には、ユ・ギュンヘ国防部軍人権改善推進団長が、キム・ヨンヒョン国防部長官の公式謝罪文を代読した。53年ぶりの公式謝罪だったが、遺族らは「形式的で誠意のない謝罪」だと批判した。当時、開土祭から2カ月後に12・3内乱事態が発生し、キム・ヨンヒョン前長官は非常戒厳令下での内乱重要任務従事容疑で裁判にかけられ、一審で懲役30年を言い渡された。ユ・ギュンヘ団長は現在、「殉職海兵隊員C上等兵捜査への外部圧力疑惑」に関連し、国会に虚偽の答弁書を提出した容疑で起訴されている。

 実尾島事件は、1968年から北朝鮮への潜入を目的として、仁川舞衣洞(ムイドン)の実尾島部隊(空軍第2325部隊第209派遣隊)で訓練を受けていた工作員22人 (計31人のうち7人は訓練中に処刑、2名は当日の警備兵との交戦中に死亡)が1971年8月23日、不当な待遇に抗議してソウルへ進入しようとした際、大方洞(テバンドン)の柳韓洋行の前で自爆した事件。自爆で生き延びたイム・ソンビン、イ・ソチョン、キム・チャング、キム・ビョンヨムら4人は、一審で死刑判決を受け、上訴の機会さえ与えられず、7カ月後の1972年3月10日、ソウル梧柳洞にある空軍第2325部隊の射撃場で銃殺刑が執行された後、密葬された。

コ・ギョンテ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1258651.html韓国語原文入力:2026-05-14 22:19
訳H.J

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