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戦時作戦統制権に関する在韓米軍司令官の無知、または誤解

登録:2026-05-02 02:48 修正:2026-05-02 08:08
[クォン・ヒョクチョルの見えない安保]
エグザビエル・ブランソン在韓米軍司令官が先月21日(現地時間)、米上院軍事委員会に出席し、発言している=在韓米軍のウェブサイトより//ハンギョレ新聞社

 エグザビエル・ブランソン在韓米軍司令官は21日(現地時間)、米上院軍事委員会に出席し、韓国軍の戦時作戦統制権(戦作権)の返還について「戦作権の移管は条件にもとづくべきだ」として、「政治的便宜が条件を追い越すことのないよう保証し続けるべきだ」と述べた。一見、ブランソン司令官の主張は説得力があるように聞こえる。安全保障の事案を決定する際には、浅はかな政治的打算を排除することこそ妥当に思えるからだ。しかしブランソン司令官の主張は文民統制理論に合わないうえ、先行する韓米の戦作権協議の例をみても現実とかけ離れている。

 朝鮮戦争の勃発直後の1950年7月14日に、当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が米国のダグラス・マッカーサー元帥に韓国軍の作戦指揮権を移譲して以降、韓国軍の作戦統制権は米軍の将官が司令官を務める国連軍司令部・韓米連合軍司令部へと移り、現在に至っている。

 戦作権の返還は、韓米同盟の軍事指揮構造の変化という性格を持つものだ。韓国でも米国でも、軍の統帥権は大統領固有の権限だ。したがって戦作権の返還は、両国の大統領による政治的決定の領域に属する。これは、国家の軍事および国防政策に関する意思決定権を職業軍人ではなく民間人(政治家)に付与するという軍事・政治学の原理である文民統制の原則に則っている。

 ブランソン司令官は先月22日の米下院軍事委員会の公聴会で、戦作権返還の時期として「2029年第1四半期」を初めて提示した。このことについて韓国国防部は不快感をあらわにしている。国防部のチョン・ビンナ報道官は先月23日の定例ブリーフィングで、「ブランソン司令官の発言は在韓米軍司令部の意見を述べたもので、戦作権の移管時期は韓米の軍事当局の提案を基礎として韓米安保協議会(SCM)で韓米の国防相が決定し、両国の大統領に提案される」と述べた。戦作権の移管の時期は、米陸軍大将であるブランソン司令官より数段上位の両国首脳が「政治的決定」を行うべき問題だ、という趣旨の反論だ。在韓米軍司令官の直属の上司は米国のインド太平洋軍司令官だ。

2022年10月19日、京畿道驪州市の南漢江一帯で、国防訓練の一環として行われた韓米合同諸兵協同渡河訓練で、陸軍第7機動軍団の戦闘装備が橋を渡っている=陸軍提供//ハンギョレ新聞社

 ブランソン司令官の強調する「条件にもとづく移管」は、固定不変の原則ではない。戦作権の移管に対する米国の立場は国際情勢、政治的必要性などによって変化し続けてきた。

 「条件にもとづく移管」は朴槿恵(パク・クネ)政権下の2014年10月に韓米が合意し、現在まで続いているものだ。満たすべき条件は、連合防衛を主導するために必要な軍事力▽北朝鮮の核とミサイルの脅威への同盟の包括的な対応能力▽安定した戦作権の移管にふさわしい朝鮮半島および域内の安全保障環境、の3つ。

 これとは異なり、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李明博(イ・ミョンバク)政権の時代は、具体的な戦作権返還の目標日を定めた「時期にもとづく移管」方式だった。盧武鉉政権と米国のジョージ・ブッシュ政権は2007年2月の両国の国防相会談で、戦作権を2012年4月17日に移管することで合意。2006年に両国政府が戦作権の返還を協議した際、当時の米国のラムズフェルド国防長官は「韓国軍の能力を信頼する」と述べ、2009年10月に韓国軍へ戦作権を移譲すると表明した。韓国政府は戦作権の返還に必要となる戦力の確保などを理由に、2012年を返還目標時期に設定していたが、米国の提案はそれより3年も早かった。その後、戦作権の返還時期をめぐり、「早く受け取れ」と主張する米国と、「まだ準備ができていないから困る」と言う韓国の綱引きが続いた。当時、イラク戦争やアフガニスタン戦争などのテロとの戦いの真っ最中だった米国の立場からすると、「朝鮮半島張り付き軍」である在韓米軍をより柔軟に運用したかった。そのために戦作権を早急に韓国に移譲し、朝鮮半島の防衛負担から逃れようとしたのだ。

 米国は「条件にもとづく移管」に変わった途端、「条件の充足」を強調しつつ、戦作権移管に消極的な姿勢へと急変した。米国は、中国の台頭を積極的にけん制するために中国包囲戦略を展開する中、中国に近接する朝鮮半島で軍事的主導権を確保するには戦作権を保持し続けた方が有利だと判断したのだ。

李在明政権は任期内に戦作権の移行を実現しようとしている。李在明大統領が昨年10月1日の国軍の日77周年記念式典で将兵を閲兵している=大統領府ウェブサイトより//ハンギョレ新聞社

 1994年12月に平時作戦統制権が返還された背景には、冷戦終結に伴う海外米軍の削減の必要性と、5・18民主化運動をめぐる反米感情があった。1980年5月に光州(クァンジュ)へ投入された部隊が移動する際、韓国軍の戦作権を持つ米国がそれに同意したことが指摘され、その後、国内で光州の悲劇に対する米国の責任を問う反米運動が本格化したのだ。米国は、韓国の国内問題が自らに飛び火する可能性が高まることを懸念し、ひとまず平時作戦統制権を持っていけと言ったという。

 米国が1968年に北朝鮮のスパイを捕らえる大浸透作戦の遂行権限を韓国に与えたのも、「政治的便宜」のための決定だった。

 1968年1月21日に北朝鮮の特殊部隊が大統領府を襲撃しようとし、2日後の1月23日には米軍の情報収集艦プエブロ号が北朝鮮にだ捕された。この時、米国は大統領府への襲撃には一切対応しなかったが、プエブロ号事件に対しては戦争の直前段階であるデフコン2を発令。これに激怒した朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領は、米国に作戦統制権の返還を求めた。1968年4月17日の韓米首脳会談において、対スパイ作戦時に予備役を含む韓国軍の作戦統制権を韓国軍が行使することで妥協が成立した。

 ブランソン司令官は「政治的便宜が条件を追い越すことのないよう保証し続けるべきだ」と述べたが、実際には、数十年にわたる韓米の戦作権をめぐる協議の内容は、その時々で異なっていたのだ。

クォン・ヒョクチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/polibar/1256790.html韓国語原文入力:2026-05-01 10:18
訳D.K

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