「いいえ。国軍心理戦団の北朝鮮向けビラ散布が先でした」
「脱北民団体の対北朝鮮ビラ散布→北朝鮮の汚物風船散布→韓国軍の北朝鮮向け拡声器放送→北朝鮮軍の韓国向け拡声器放送」の悪循環が続いた昨年5~6月、「北朝鮮が汚物風船を飛ばしたため、北朝鮮向け拡声器放送を再開した」という軍当局の発表を思い出すと思わず苦笑してしまう、とAさんは語った。Aさんは2023〜2024年、国軍心理戦団で服務した。南北のビラ散布は昨年12・3内乱直後に中止され、今年6月、李在明(イ・ジェミョン)大統領の北朝鮮向け拡声器放送の中止宣言を受け、北朝鮮の韓国向け拡声器放送も止まった。
30日、ハンギョレと会ったAさんの証言は非常に具体的だった。Aさんは国軍心理戦団の対北朝鮮ビラ散布作戦に「諸元算出兵」として投入されたため、当時の作戦状況を詳しく把握していた。諸元算出兵は、ビラ散布作戦を展開する際に風向きと風速に適した作戦地域と風船に入れる水素ガスの量、吊り下げるビラの重さなどの計算を担当する。
Aさんは情報提供を決意した背景について「国軍心理戦団の対北朝鮮ビラ散布が非常戒厳を狙った意図された挑発だったことが次々と明らかになり、隠す理由が全くないと思った」と説明した。対北朝鮮ビラ散布作戦が、兵士らを北朝鮮の原点打撃の危険にさらした無謀で危険な作戦という点で、憤りを覚えるとも語った。Aさんは「近くの最前線部隊にもビラ散布作戦を知らせず、私たちがビラ風船を飛ばすたびにその部隊はわけも分からず非常態勢に入った」と話した。「セキュリティ」と「作戦の成果」だけを重要視したため、兵士の安全は後回しだったのだ。Aさんは「一緒に勤めた同僚の将兵たちのことが気にかかる」として、実名と顔の公開は望まなかった。
―対北朝鮮ビラ散布作戦が始まったのはいつなのか。
「尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権発足から数カ月後、国軍心理戦団に配属されたが、当時は先任と副士官たちが『部隊がなくなるかもしれない』と言っていた。2018年4月の『板門店宣言』以降、南北が軍事境界線一帯の拡声器放送とビラ散布の中止を決めたためだ。尹錫悦政権になってから訓練が多くなり、厳しくなったが、その時はビラを飛ばす状況ではなかった。将兵たちは戦時に備えて心理戦訓練をしていると思っていた。ところが、2023年9月に憲法裁判所が対北朝鮮ビラ散布禁止法が違憲だと決定を下してから、空気が変わった。憲法裁の決定後は、前方地域に出て実際のように訓練を行った。10月の訓練が終わった後、部隊幹部が私たちを集めて『これからは実戦でやることになる』と述べた」
―訓練はどこで、どんな風に行ったのか。
「訓練場所は基地のある最前方よりは後方にあった。訓練中に風船が北朝鮮に飛んでいく可能性があったからだ。ところが、憲法裁が違憲決定を下してからは、前方に出て実戦のように訓練を行った。風船を飛ばす前まで手続きをすべて進めた後、風船を飛ばさず割るやり方だった。2023年10月に訓練が終わってから幹部が小隊員を集めて『訓練の事実を家族や友人はもちろん、他の小隊にも絶対に言ってはいけない』と指示し、部隊の雰囲気が重くなった」
―どうやって秘密を保持したのか。
「合同参謀本部にも作戦事実が知られてはならないと言われた。合同参謀本部から戦闘準備態勢の検閲が時々行われるが、その時は対北朝鮮ビラ散布の装備を元の倉庫からすべて取り出して他の場所に移した」
―実際散布はどのように行ったのか。
「2023年10月からビラを北朝鮮に向かって飛ばし始めた。主に夜間に実行した。作戦マニュアルには、ビラは夜に飛ばすことになっていた。時間帯は午後9時から11時の間だった。作戦遂行にいくつかの要件があるが、最も重要なのが風向きだ。風が北側へと吹かなければならない。作戦の途中で風向きが変わったり、やや曖昧だと思って中断したこともある。合わせて10回は飛ばしたと思う。我々が目標とした地点まで風船が飛んでいったことが確認されれば、幹部たちに褒められ激励を受けた」
―主にどの地域に向かって飛ばしたのか。
「以前に散布したデータをもとに、軍事地図に北朝鮮の軍基地、空港、ある程度以上の人口の都市が線で表示されている。この線上にあるところを風の方向と速度、風船に入れられる燃料(水素)の量などを考慮して選んだ。理論的にはロシアまでも飛ばすことができるが、実際に飛ばせたのは江原道元山(ウォンサン)までだ。散布データが蓄積されているため、必要な分だけ狙ったところに飛ばすことができる」
―風船はどんな形で、一度にどのくらい飛ばしたのか。
「風船ではなく、気球と言えるほど大きかった。高さが2~3階の建物ほどで、最も大きいものは人をぶら下げても飛んでいけるほどだった。風船1個当たりにビラを10キロ前後つけて飛ばした。1回の作戦で、普通100個ずつ風船を飛ばしたので、ビラは約1千キログラムになる」
―ビラの内容は?
「10種類ほどあった。覚えているのが、『南朝鮮(韓国)の兵士たちは病気になったら病院に行くことができ、温かいご飯もたくさん食べている』というものであり、韓国の女子大生たちが自由に海外旅行に出かける写真もあった。北朝鮮のキム・ヨジョン(朝鮮労働党中央委員会宣伝扇動部副部長)が持っているブランドバッグの値段などを記したものもあった」
―飛ばしたのはビラだけか。
「私たちの部隊は主にビラだけだったが、ラジオを数回一緒に飛ばしたりもした。ドラマ『愛の不時着』の入ったUSBも送った」
―昨年5月からは、民間団体が送る対北朝鮮ビラに北朝鮮が反発したが、その時、部隊では気をつけようという話はなかったか
「そんなことは全くなかったし、風向きが合えばそのまま飛ばしていた」
―大変なことはなかったか。
「日課が終わった夜間に作戦が行われたが、翌日に休憩時間をもらえなかった。夜間作戦の後は、本来翌日に補償として戦闘休業を与えなければならないのに、それがなかった。戦闘休業を認めるためには夜に何を行ったかを報告しなければならないが、ビラ散布作戦は公式報告や記録を残すことができないため、そうしたのだ。兵士も幹部もそのため不満が溜まっていた。それを受けて、昨年5月からは夜に散布作戦を何度か行うと、外出や休暇をもらえた」
―作戦を遂行する際、「これは本当に大丈夫か」「危ないのでは」という疑問を抱いたことはなかったか。
「ないはずがない。一度は小隊長に『これは駄目ではありませんか』と尋ねた。事実上の『挑発』であり『停戦協定違反』ではないかと考えたからだ。他の部隊員たちも、私たちが先に挑発をすることついて負担を感じていたが、ある瞬間からは言われた通りやっていたと思う。今思えば無謀で危険な作戦だった。事実上、北朝鮮への攻撃を誘導する作戦だったが、作戦中にどんな状況が起きるかも分からない状況に兵士を追い込んだのではないか。最前線部隊でも、韓国がビラを飛ばすたびに非常態勢になった。ビラ散布作戦を行うと周辺部隊に知らせなかったが、軍事境界線近くの監視警戒所(GP)とGOP(一般前哨)の警戒兵たちは北に飛んでいく風船を見て当然上部に当告し、その部隊では私たちの部隊に電話して『今ビラを飛ばしているのか』と尋ねてきた。私たちは『いや、知らない、何も言えない』としらを切ったが、その部隊ではわけも分からず大変だったろう」
―除隊してから(当時を振り返って)どう思ったか。
「北朝鮮の汚物風船を取り上げるニュースでは『北朝鮮が挑発している』と報じていたが、実は私たちが先に始めた対北朝鮮ビラ挑発に対する彼らの報復なのにと、苦々しく思った。昨年12・3戒厳が宣布されてからは『韓国側が先に北朝鮮に因縁を付けようとしたんだ』ということまで考えが及んだ。先日特検が捜査した『平壌(ピョンヤン)無人機』報道を見ながら、『自分がしたことが内乱計画の一部だった』と思うと、ヒヤッとした」