(1の続き)
■可視化した極右の脅威、いかに対処すべきか
イ:韓国社会において、保守の再構成は2度あった。最初は2002年の大統領選挙での保守の敗北後だ。あの時、ニューライトに象徴される理念的保守が登場した。当時はパク・セイル教授の「温かい保守」が示すように、保守の再構成は穏健な色を帯びていた。今回の大統領選は2度目の再構成だ。しかし今回の再構成は非常に右傾化している。ポピュリズムの世界的な流れも影響を及ぼしたと思う。今後の韓国の保守政党の理念、哲学、政策ビジョンをどのように再構成するのかという、大きな課題が課されている。今のように右に移動し続けることが、有権者の地形を考慮すると合理的な選択なのか。保守としては悩むべきことが多いだろう。
シン:保守政治の再構成の失敗が極右化へとつながったという診断には同意する。重要なのは、西部地方裁判所で暴動を起こした者だけが極右ではないということ。反共・反北朝鮮理念団体、退役軍人や将官の団体、ニューライト団体の後身、極右プロテスタント、アンチフェミニズム団体。これらは先の弾劾政局のような状況で、イデオロギー的な連携と接合を通して連帯する優れた能力を示した。彼らはアカ、共産主義者、従北、左派、フェミニズム、同性愛者、中国人、難民などに対する嫌悪感情を李在明(イ・ジェミョン)と民主党という具体化された政治的対象に集中して攻撃を強めた。今後も政治的危機が到来すれば、政治の舞台の水面下に存在していた極右がいつでも浮かび上がりうる。
イ:なぜこのように極右が出現し、人々や民主主義体制、政治を嫌悪するようになったのかを考えてみるべきだ。極右的主張の多くは論理も根拠もない。例えば、戒厳状況で飛び出した不正選挙疑惑などは、かつては許されなかったものだ。ところが、良い大学を出て、稼ぎのよい人が言ってるから、あるいは多くの人がそう言っているから、正しいのではないかと無批判に受け入れる。進歩、保守陣営のいずれにもそのような現象がある。公論の場が失われた無論理の社会だ。このような文化的危機状況が、市民社会における極右の成長を可能にした。
シン:極右のレベルは非常に多層的なので、各レベルに合わせて対応すべきだ。高いレベルの極右に弱く対応すれば極右が隆盛するし、弱いレベルの極右に強く対応すれば基本権の侵害だとの批判を浴びる。対応は過度であっても過小であってもならない。明らかに違法な暴力と人権侵害行為には、厳格な法の適用と公権力による対応が重要だ。メディアと政治や社会のエリート集団は、極右イデオロギーに対して暗黙の共感を示してはならない。とりわけ、極右も私たちと変わりのない人々だという同調的な語りは不適切だ。極右や嫌悪的思考および行動が具体的な人間には、どのような苦しみを生むのかを生々しく示してこそ、極右性向の人々は自らの行動の持つ意味と結果を認知する。
■合法的な権力にも節制が必要
シン:李在明(イ・ジェミョン)大統領と政府に対して有権者が何より望むのは、内乱の完全な終息と民主主義の再強化だろう。内乱の完全な終息は真相究明、厳正な捜査、司法処理を通じて可能となる。民主主義の再強化とは、独裁へと回帰する危険性のない状態で民主主義を堅固にすることだ。二度と12・3戒厳のようなことが発生しないよう、民主主義の制度と政治、文化、社会的土台を固めなければならない。留意すべきは、合法的な権力行使にも自己節制が必要だということ。自己節制を失った瞬間、支持基盤は解体され、改革の動力も失われる。広場から噴出した多様性、平等、民主主義を求める声を花開かせることも重要な課題だ。12・3戒厳と極右による暴力の共通する本質は、多様性と平等な人権の否定だからだ。
イ:合法的な権力の自己節制。これこそ民主主義の最も大切なところだ。改憲のような政治改革も同じだ。ひとまず全面改憲は難しい。いま必要なのは家を壊して立て直すことではなく、リフォームすることだ。光州5・18精神を憲法前文に反映すること、戒厳要件の制限、大統領の権限の縮小、監査院の機能の分離と国会への移転などは、現時点でも与野党が合意できる内容だ。気候危機、地方消滅、人口消滅などは87年の憲法改正時にはなかった問題だが、今は絶対に必要だ。改憲は合意された部分を漸進的に行うべきで、一度にすべてを行おうとすると先送りされてできない。政党政治を正常化することも必要だ。とりわけ、世論調査に依存している現在の公認制度は「第2のミョン・テギュン」を量産するシステムだ。これを改革できなければ、政党政治は改善できない。
シン:12・3非常戒厳は政治制度が問題だから起きたのか、権力行為者が問題だから起きたのかについて、つっこんだ討論ができたら。制度の大きな枠組みを変えたからといってうまくいくものではない。すべての制度は固有の強みと弱みを持っている。他国の良い制度は、数百年にわたって長所を生かし、弱点を補ってきた結果だ。改憲も必要なのは確かだが、目的意識が明確かつ具体的でなければならない。一つは権力の分散であり、もう一つは基本権の強化だ。国家機関がけん制し合う装置を作らなければならないし、国家暴力と国家権力の乱用から市民の基本権を守る改憲が必要だ。