1945年の光復(日本の敗戦による植民地からの解放)直後、故国に帰ろうとしていた強制動員労働者の乗っていた輸送船「浮島丸」の沈没事件の被害者名簿の一部が、日本政府から韓国に追加提供された。
外交部は21日、日本側から浮島丸の22冊の被害者名簿を追加受領したとして、「韓国政府は前回入手した資料と同様、綿密な分析を通じて、被害者の救済および浮島丸事件の真相把握などに活用する予定」だと述べた。
日本政府は厚生労働省が保有している浮島丸の75冊の乗船者名簿のうち、昨年9月に19冊、同10月に34冊の計53冊を提供している。今回の追加入手で韓国政府は、日本政府が保有を明らかにした浮島丸の乗船者名簿関連資料をすべて受け取ったことになる。
今回の資料も、昨年受け取った「乗船名簿」、「労働者名簿」などと類似した内容で、乗船者の生年月日、本籍などの内容も記されているという。具体的な内容や分量などは確認できていない。行政安全部は、日帝強制動員被害者支援財団を通じて1回目と2回目に受け取った19冊の名簿の内容を分析している。かなり昔の資料であるうえ、分量が膨大であるため、かなり時間がかかると予想される。政府は、資料分析が終われば、それにもとづいて過去に強制動員被害慰労金の申請が棄却または却下された遺族に対して、申請または職権によって審議(再審議)を進め、積極的な被害者救済に取り組むことを検討すると表明している。
日本海軍の輸送船「浮島丸」は1945年8月22日、朝鮮人強制動員被害者を乗せて青森を出港し釜山(プサン)に向かっていた。その途中、8月24日に舞鶴湾で同船は爆発し、沈没した。日本政府は事件後79年間にわたって乗船者名簿は沈没時に消失したとしていたが、日本のフリージャーナリスト、布施祐仁さんの粘り強い取材と情報請求により、昨年5月に名簿を公開。岸田文雄前首相の訪韓前日の昨年9月5日に、駐日韓国大使館に乗船者名簿の一部を初めて提供した。