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「クリスマスの旅行だったのに…」韓国、飛行機事故の現場は「慟哭の海」

登録:2024-12-30 09:58 修正:2025-01-14 07:28
29日午後、弟(妹)が帰国のため済州航空の航空機に乗っていたという搭乗者の家族が、全羅南道の務安国際空港の滑走路付近で涙をこぼしている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 「キム○○、チャン○○、キム○○、チョン○○、パク○○・・・」

 年末の寒波を離れて暖かい南国へと旅行に行ってきた家族の名前が、「身元の確認された死亡者」として呼ばれた。5歳から70代までの搭乗者181人のほとんどが「死亡したと推定される」と消防当局は説明した。期待に満ち人々が交差する場所であるはずの空港のあちこちで、嗚咽が響き渡った。

 29日午前9時3分頃、全羅南道の務安(ムアン)空港への着陸時に衝突・爆発したバンコク発「済州(チェジュ)航空」の航空機に家族が乗っていたことを知った人々は、午前から切羽詰った気持ちで空港に押し寄せた。「ソウルから時速130キロで車で駆けつけた」という家族もいた。

■母の面倒を見ていた妹…結婚を控えた娘

 「妹は病気で体調が悪く寒がりなので、義弟が暖かい土地で養生しようと言って旅行に行ったんです」。この日午後、搭乗者である40代半ばの妹夫婦を探しに来た兄のAさんは「搭乗したという名簿だけ確認したが、朝から今まで何も確認できていない」と言い、茫然とした表情を浮かべた。Aさんは「私たち4人きょうだいはみな別々の地域に暮らしているが、妹だけはずっと光州で母のそばに住んで、息子と娘の役割を一人で担っていた。そんな妹にこんなことが起きてしまった」と涙をこぼした。つながらなかった最後の通話が痛恨の後悔として残った。「昨晩電話したけれど出なかったんです。その後『用事があって電話に出られなかった』とカカオトークのメッセージがきたので、『うらやましいな、旅行楽しんでこい』と返信しました。でも、それが最後に……。もう一度電話すればよかった」

 午後遅くまで死亡者の身元はなかなか確認できなかった。事故発生から5時間余りが過ぎた午後2時30分頃になって、身元が確認された5人の死亡者名簿が初めて発表された。続いて30分単位で確認された死亡者が12人、22人と増えていった。家族の名前を確認できていない家族は「身元だけでも早く確認して」と泣き叫んだ。「いったいどこにいるんだ、どこにいるんだ」と空港のロビーを歩き回る人もいた。

 釜山地方航空庁の家族対象の説明会に同行したある警察官は「警官40人余りを投入して身元を確認している。万が一間違って公表された場合、混乱を招く恐れがあるため、所持品、指紋確認などをおこなっている」とし、「遺体の損傷が激しく指紋確認が難しい方々は、遺伝子採取後、家族と比較分析をしなければならないため、さらに遅れる可能性がある」と説明した。32歳の姪の身元確認を待っていたキム・ナムジョンさんは「家族は7~8時間待っている。来年春に結婚を控えたきれいな子だった。親はどんなにつらいことか」と言い、「名前が呼ばれるかどうかばかりを首だけを長くして待っている。こんな状況ってあるか」と心情を吐露した。

■クリスマスパッケージツアーの搭乗者多数

 死亡者の中には仕事仲間や近所づきあい、友人同士で団体旅行に行ったケースが多かった。事故が起きた航空機には、クリスマスの3泊5日のパッケージ旅行に行った人が多数搭乗していたという。70代の両親を待っていたBさんは「前の職場の同僚の集まりで集めたお金で17人が一緒に参加した。クリスマスなので実家に挨拶に行こうとしたら、旅行に行くと言っていた。末っ子の孫が見たいというので動画を送ったのが最後」と言い、涙を見せた。70代の兄の事故の知らせを聞いたキム・ビョンワンさん(68)は、「兄は長興郡長平面(チャンフングン・チャンピョンミョン)でずっと暮らしてきた。その町からだけで5人が一緒に旅行に行った。町内も非常事態だろう」とし、「生涯農業だけで生きてきた兄だった。ようやく少しはお金を使って暮らしを楽しもうとしていたのに、こんなふうに亡くなるなんて」と話した。64歳の弟を待っているという兄のCさんも「弟が友人11人と一緒に行った団体旅行だった。朝、ニュースを見て驚いて駆けつけた」と言いながら「祈ってください」という知人のメッセージで埋まったメッセンジャーの画面を見せた。

 正確な死亡者名簿と事故現場の確認を要請するために必死になっている家族の姿もあった。ある家族は手帳のページをちぎって集まった人々の連絡先を集め「私も兄が亡くなったのに、率先して取り組む人がいない」と涙声で話した。家族が苦痛に満ちた表情で整理に乗り出さなければならないほど、現場は混乱していた。死亡者名簿を読み上げる声が小さくて「聞こえない」と叫ぶ声が繰り返され、政府・地方自治体・消防と警察・航空当局などさまざまな関係機関が入り乱れ、窓口も曖昧だった。この日、空港に駆けつけた政治家と関係機関の責任者に「コントロールタワーを設けてくれ」という家族の訴えと号泣が何度も続いてようやく、国土交通部の担当者が窓口に指定され、死亡者の身元を確認した家族を対象に事故現場の確認が行われた。

 両親が共に事故の飛行機に乗っていたという大学生のPさん(22)は「友達と一緒に年末の旅行に行ってきたところだった」と話した。事故直前、Pさんが両親と交わしたメッセージのやりとりは、母親から買い物を頼まれるという日常的な内容だった。ところが、母親が「ちょっと待って」と会話を止め、「着陸できないみたい」「遺言でも残すべきかしら」と言葉を続けた後、会話は止まった。Pさんは「最初は大したことではないと思った。ニュースの速報を見てからは、何も考えられなかった」とうなだれた。「私はきょうだいもおらず一人っ子。天涯孤独の身になってしまった」

 死亡者の身元が少しずつ確認され増えていく過程は、この日夜遅くまで続いた。名前を聞き取るための静寂、続いて一人の名前が呼ばれる度に「ああ…」「なんてことだ」という断末魔の

悲鳴とともにあふれる家族の泣き声と身悶えは、終わることがなかった。

チョン・インソン、イム・ジェヒ、キム・ヨンヒ、キム・ガユン (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1175375.html韓国語原文入力:

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