本文に移動

利子月55万円、破産…韓国の50代の退職者が経済的死に至るまで(1)

登録:2024-02-01 01:52 修正:2024-02-01 18:58
[家族破産]58歳の自営業者が挫折した社会 
128人の破産申請者にアンケート 
子育てと親の介護のはざまに置かれた中年 
昨年、個人再生申請が35%増
チェ・ギソンさんが昨年12月7日、自身の経営するボングビール仁川黔岩店の店内で座っている。キムさんは2022年に破産を申請し、現在も免責審査中だ=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社

<コロナの余波に高金利が重なり、借金を返済できずに破産する人が急増している。ある人の破産は、その人とつながっている家族をも壊してしまう。家族はその後、共倒れするか解体される。

 ハンギョレは昨年8月16日から3カ月間にわたり、128人の破産申請者にアンケートを実施し、その中から63人を選び出し、対面と電話で深層インタビューをおこなった。家族破産の実態を深掘りする。>

 チェ・ギソンさんは56回目の誕生日だった2022年12月22日、自らに経済的死亡宣告を下した。個人破産を申請したのだ。チェ・ギソンさんはその後1年以上、ソウル再生裁判所の破産免責審査の結果を待っている。免責が決定されてようやく、残りの借金に対する責任が消滅する。

 仁川市黔岩洞(インチョンシ・コマムドン)にあるビアホールで午後5時から翌朝6時まで「1日13時間働き、後片付けをしているうちに椅子に倒れ込んで眠る」チェ・ギソンさんの人生は、どのように破局へと至ったのだろうか。

 チェ・ギソンさんの家計は、コロナ禍による売上げの急落と高金利による利子負担の急増という外部要因によって、打つ手なく破産した。自身の実家と妻の実家はもちろん、成人してはいるものの自立できていない子どもたちまで養わなければならない状況が、家計の崩壊を加速させた。

 チェ・ギソンさんのように、老いた両親と自立していない子どもまで養わなければならない人々の破産を「ダブルケア破産」という。ここに孫の養育まで重なると「トリプルケア破産」となる。

 「妻に『あなたは今まともじゃない。爆発すれば大変なことになる』って、病院に行くように言われるんです。『病院に行く暇がどこにあるんだ』って答えたんですが、自分でも正常ではないって感じます。生と死を分けるラインの上にいる感じです」

個人破産、個人再生の申請数の推移 //ハンギョレ新聞社

自営業者への貸付1052兆ウォン…過去最高

 2024年1月、自営業者と低所得層は崖っぷちに追い込まれている。韓国銀行が先月28日に公開した「2023年下半期金融安定報告書」によると、昨年第3四半期末の自営業者に対する貸付の残高は1052兆6000億ウォンで過去最高額を記録した。特に自営業者に対する貸付の延滞率は前年末(0.69%)から0.55ポイントも上昇し、1.24%を記録した。

 統計庁が先月7日に発表した「2023家計金融福祉調査」では、昨年3月末時点での所得下位20%の平均負債額は2004万ウォンで、前年に比べて22.7%(371万ウォン)も増加。2013年(26.0%)より後の最大の増加幅だ。

 そのため、債務調整制度を利用する人が急増している。昨年の個人破産申請件数は4万1239件で、前年(4万1463件)から小幅に減少したものの、個人再生申請件数は12万1017件で、前年(8万9966件)に比べて34.5%も増えた。この10年間で最多だ。

 20年にわたって破産管財人をしてきたキム・チャンス弁護士は「災害や大きな経済的危機があって消費が落ち込めば、それから1~2年後に個人事業者が破産する」と話した。

母は腎臓病、義母は認知症…また借金が増えた

 チェ・ギソンさんは2017年7月に居酒屋を開業した。自動車会社や保険会社などで20年以上にわたって営業社員として働き、退職した後だった。営業社員として稼いだ金は、生活費と3億ウォン台のマンション購入に使った。居酒屋をはじめるために住宅担保融資で権利金の8000万ウォンを借りた。住宅購入の際に受けた融資を含め、2億ウォンほどの借金を抱えて商売をはじめた。

 最大で70~80人座れる86平米(約26坪)の店を維持するには、月に1000万ウォン(約110万円、1月31日のレートによる。以下同)近くかかる。家賃287万ウォン(約31万5000円)、つまみや酒などの原価600万ウォン(約65万9000円)、管理費と電気料金が80万~100万ウォン(約8万7900~11万円)ほど。これに貸付の利子が150万ウォン(約16万5000円)ほど追加される。それでも最初は一日も休まずに働けば一日50万ウォン(約5万4900円)、月1500万ウォン(約165万円)の売上があり、月に300万~400万ウォン(約33万~44万円)ほどの純利益が出た。

 だが2020年春にコロナ禍が発生し、社会的距離措置(ソーシャル・ディスタンシング)で夜9時以降の営業が制限されたことで、すべてが変わった。一日10万ウォンを売り上げるのも難しくなった。チェ・ギソンさんは、こうして干からびていった売上が最悪となったその日を、はっきりと覚えている。2021年8月7日の売上はわずか7000ウォンだった。ビール2杯分の値段だ。

 その時期にはあらゆる悪条件が重なった。2020年に上の娘(23)、2022年に下の娘(21)が大学に入学し、学費と寮費が必要になった。上の娘がベビーシッターのアルバイトをし、下の娘は学会長などをして奨学金を得たが、娘たちにせめて交通費でも渡そうと思っていたチェ・ギソンさんの手に残った現金は10万ウォンだけだった。

 2020年には79歳だった母親が凍った道で転倒し、股関節骨折と診断された。チェ・ギソンさんは月に数百万ウォンかかる入院費と関節の手術費を出す代わりに、母親を車椅子に乗せて家で看病することにした。母親は糖尿、高血圧、腎臓疾患でも闘病しなければならなかった。チェ・ギソンさんはまた、2019年に軽度の認知症と診断された義母(88)の生活費と病院費も出さねばならなかった。その時、銀行から「小商工人のために、低利で貸し付けます」というショートメッセージが送られてきた。借金を増やす以外に選択肢はなかった。(2に続く)

パク・チュニョン、キム・ジウン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1126586.html韓国語原文入力:2024-01-31 05:00
訳D.K

関連記事