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韓・日 歴史研究委 "任那日本府 用語 不適切"

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/411633.html

原文入力:2010-03-22午後09:41:17(1217字)
両国学者ら意見一致…23日 研究報告書 発表
日本側 "韓半島進出したかもしれないが支配できなかった"

イ・ヨンイン記者

韓・日両国政府が支援する歴史学者らの共同研究委員会で、日本の歴史学者らがこの間 日本側が主張してきた‘任那日本府’という用語が不適切だということで同意したと分かった。韓・日歴史共同研究委は2001年10月の両国首脳会談合意でスタートし2005年に3年間の第1期活動を終え、2007年6月から第2期活動を始めた。

韓・日歴史共同研究委員会(共同研究委)のある委員は22日「韓・日古代史の部分で両国歴史学者らが任那日本府説という用語が不適切だということで意見の一致を見た」と伝えた。共同研究委で日本の歴史学者らは、日本が韓半島南部で一部活動したかもしれないが、任那日本府という公式本部を設置し支配活動をしたと見ることはできないという点を認めたことが分かった。

‘任那日本府説’とは日本の古代国家である大和政権が4世紀後半に韓半島南部に進出し、今日の慶南,金海一帯である任那(伽耶)地域に‘日本府’という本拠地を置き6世紀中葉まで支配したという説だ。日本の歴史学界ではこれを実証する歴史的根拠が貧弱で、最近に入り対外的にはこういう主張を慎んできたが、日本の教科書などには‘大和政権が韓半島南部に進出し影響力を行使した’という式の記述を依然としてしている。教育界だけでなく日本人たちの間でも‘任那日本府説’が支配的な雰囲気を形成している。

これと共に日本の歴史学者たちは朝鮮を侵略した倭寇に朝鮮人が含まれていたという日本側教科書の記述内容は事実でなく、倭寇は対馬と日本本土海岸に居住する日本人中心の海賊集団という事実にも同意したと共同研究委関係者は伝えた。

また今回の2期共同研究委は、教科書分科を別に設置し教科書歴史わい曲に対しても議論を行った。共同研究委関係者は「教科書歴史の記述と関連し意見が一致したわけではないが、歴史対話の可能性を確認したという点で意味がある」と説明した。しかし両国歴史学者らは韓日併合条約など争点となった懸案に対しては異見を狭めることができず、各自の意見を併記したと伝えられた。

両国は23日午後6時、この間の研究結果を報告書の形で発表する予定だ。報告書は古代,中世,近代にかけて24ヶの主題を扱っており計4000ページに達すると分かった。ただし今回の報告書に対し日本の右翼勢力たちが猛反発する可能性が残っており、3期共同研究委のスタートは不透明な状況だと委員会関係者は伝えた。

イ・ヨンイン記者 yyi@hani.co.kr

原文: 訳J.S