「妹たちは幼くて私が大きかったから(軍人たちは)私だけを連れて行った。銃も持っていた。白ニョン島(ペンニョンド)に来て、(ソウル九老区の)梧柳洞(オリュドン)に行ったんだ。梧柳洞にそうして(4年間)いた。(北朝鮮にいる)家族と連絡さえできればそれ以上のものはない。今も(家族を)思い出せば一晩中眠れません」
朝鮮戦争直後の1956年10月、北朝鮮に派遣された3人の韓国工作員によって黄海道沿岸で拉致され、空軍諜報隊で無報酬で4年間労役させられ、その後も韓国で暮らさざるを得なくなったキム・ジュサムさん(85)に、北朝鮮にいる家族と再会する機会を与えなければならないとする「真実・和解のための過去事整理委員会」(チョン・グンシク委員長)の勧告が出た。
真実和解委は10日、キムさんがかかわる「空軍諜報隊の北朝鮮民間人拉致事件」の真実究明を決定したと発表しつつ、「空軍諜報隊が諜報名目で北朝鮮の民間人を拉致し、その後も韓国にとどまらせた行為は、身体の自由、居住移転の自由を侵害した重大な人権侵害だと判断した」と述べた。
キムさんは2020年2月、ソウル中央地裁に国を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしているが、今回の真実和解委の決定はキムさんの被害事実を立証するための重要な証拠資料となるとみられる。真実和解委は、キムさんの拉致に加担した諜報員が国防部特殊任務遂行者補償支援団に対する補償金申請のために、自らの功績としてキムさんの事例を記載した記録を確保したため、実際に拉致されたことを明らかにすることができた。
真実和解委は今回の決定と共に、政府に対してキムさんの名誉回復のための適切な措置および謝罪、北朝鮮の家族との再会の機会の提供を勧告した。この日、ソウル瑞草区(ソチョグ)の民主社会のための弁護士会の事務所で記者団の取材に応じたキムさんは「今の生活は言葉では言い表せないほど大変で困っている。(韓国にも)子どもたちがいるが、北朝鮮にも実妹ら家族がいる。北朝鮮に行きたいのは確か」だと述べた。
真実和解委の調査によると、軍事境界線以北の地域の黄海道に住んでいたキムさんは、北朝鮮に派遣され工作中だった空軍第25諜報団の3人の隊員によって、19歳になる年に韓国に連行された。すでに父親を失っていたキムさんは母親、4人の妹と暮らしていたが、母親が夜遅くまで病院で働いている間に諜報隊に捕らえられた。キムさんは、ソウル九老区梧柳洞にあった空軍諜報隊の基地に移送され、黄海道地域の人民軍部隊の位置や橋梁などの地形情報についての尋問を受けた。その後は報酬も受け取れず、約4年あまり労役に動員された。
キムさんは1961年に基地から解放され韓国国民に編入されたが、何の縁故もなく教育も受けられなかったため、まともな職業につけず日雇いなどを転々としながらかろうじて生計を立ててきた。基地を出た後も、キムさんは警察の査察と監視を受け続けなければならなかった。キムさんは「(退営後)ビニールハウスに住んでいたが、ある刑事などは酒に酔って土足で部屋に入ってきた」とし「大韓民国に来て国民学校にも通えず、食べていく経済的な問題で大変だった」と話した。当時、キムさんと同じ部隊に服務していたイム・ジュンチョルさんは「みんな同じ人間なのに(キムさんは)本当に気の毒だ。部隊でもキムさんがどうやって韓国に来ることになったのか知っていた。(キムさんが)部隊でも鉄条網をつかんで声を出さずに泣く姿を何度も見た。故郷ときょうだいのことを考えていたのか、泣いて歳月を送っていた」と語った。
キムさんの訴訟代理人を務めるイ・ガンヒョク弁護士は「(キムさん事件の)加害部隊に所属していた軍人など、さらに証人を探す必要がある」とし「国軍の北朝鮮派遣工作部隊が、朝鮮戦争の終わった後も北朝鮮住民を南側に拉致してきていたという多数の事例報告があるため、その真相究明が必要だ」と述べた。