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龍山の希望 明らかにした‘偉大なロウソクのあかり

原文入力:2009-12-31午後06:39:54
連日ミサを捧げ‘風防け’
“真相究明が真に重要だが…”
中途半端妥結の便りに苦さ

キム・ミンギョン記者

←天主教ソウル大教区貧民使牧委員会司祭団が去る30日夕方ソウル,龍山区,漢江路2街南一堂ビル前で ‘龍山惨事犠牲者を追慕する生命・平和ミサ’ を開いている。2009年の最後に開かれたこのミサは1月6日にもう一度開かれる。イ・ジョングン記者root2@hani.co.kr

“もう龍山は私にとってコンピュータと携帯電話を売る所ではありません。世の中の絶望,希望,わめきがある所です。忘却の深淵の中からかろうじて良心,正義,人が人間らしく生きていく世の中を作ることができるという希望を引き上げました。” 去る30日夕方7時。‘龍山惨事’現場のソウル,龍山区,漢江路2街南一堂ビル付近で天主教正義具現全国司祭団の最後の‘生命平和ミサ’が開かれた。チャン・ドンフン神父(天主教仁川教区)のスピーチの合間合間に鋭い寒風が吹きつける度にミサに参加した120人余りはロウソクのあかりを手で覆わなければならなかった。生命平和ミサは惨事現場で去る3月28日から週末を除く毎日開かれた。

戦いが長びき社会的関心が緩くなる時、司祭団と天主教ソウル大教区貧民使牧委員会神父たちは龍山惨事の‘ロウソクのあかり’が消えないよう全身を投じて‘風防け’に出た。278回の生命平和ミサを捧げ260日間のテント座り込みをしながら南一堂ビルを守り、事態解決を要求して断食も行った。

しかし交渉妥結の便りに通常の時よりも多くの人々が駆せ参じたこの日、実際にこちらを常に守ってきたムン・ジョンヒョン神父たちの姿は見られなかった。夕方になり現れたムン神父は‘どこにいたのか’という質問に「寝ていた」とだけ答えた。葬儀を行うことができるようになったのは幸いだが、色々満足できないと語った。「自分の身が痛ければ病院を訪ねるが、人々は社会が痛いことには無関心なようで。人が死んだここをこのように永らく冷遇したことを見ると、この社会がそんなに明るいことはないようで。」

チョン・ジョンフン神父も「真相究明とこうしたことが再び発生しないよう再開発政策を根本的に変えることが本当に重要だったのだが…」として苦々しいといった。それでも来る6日、現場で最後に開かれる追慕ミサは大きくしたくて神父たちに大勢で来いと言ったという。

“神父様が私に‘水トンボンイ’というニックネームを付けられました。圧すと水が出てくる魚です。 よく泣くからって。それで泣かないようにしたけれど….” 遺族クォン・ミョンスク(47)氏はこの話をしながらも泣いていた。他の遺族たちも「神父様,修道女様 ありがとうございます」と言って頭を下げた。去る345日間、遺族たちのそばには常に‘南一堂聖堂’の神父たちがいた。

キム・ミンギョン記者salmat@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/396588.html 訳J.S