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[ルポ]鉄路の上で35年、今日もガタゴト「ぼっち飯」

登録:2020-01-07 03:29 修正:2020-01-07 08:27
[2020労働者の食卓]
(3)鉄道機関士の4千ウォンの弁当
 

耳をつんざくエンジン・鉄路の騒音…「難聴」に苦しむ機関士たち 
トイレ行けない6時間…飲んだのはスープ数口、コーヒー半杯だけ 
機関士の人生、忍耐との戦い「トイレ行かないように朝食抜きも」
定年退職を1年後に控えた36年目の鉄道機関士ユ・フンムンさんが先月29日午後、大田広域市付近を走るムグンファ号1211号機関車の中で、弁当で昼食を取っている=大田/キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 ユ・フンムン(60)は30年以上、鉄路の上で飯を食べてきた。発車すれば食事を共にする者はいない。時速130キロで走る列車の最前列に座って同じ間隔に置かれた鉄路の下のコンクリート製枕木が足元に延々と消えてゆく場面を見ながら、彼は飯を飲み込んできた。列車同士がすれ違う風景がユ・フンムンの飯の友であり、2坪(6.6平方メートル)あまりの機関室の副機関士席の前に置かれた「列車自働停止装置」が彼の食卓だった。列車自動停止装置は減速や停止などの信号の状態を機関車に伝えてくれるが、飯を食う機関士にはあまり役に立たない。ディーゼル機関車が線路上でガタつくたびに、弁当を手にしたユ・フンムンの体は、床下から上がってくる振動がそのまま伝わり、なす術なく揺れた。

 12月29日午前9時。ソウル機関車車両基地に出勤したユ・フンムンは、乗務準備室に到着し、出勤を記録する「出務的確性検査」を行い、乗務日誌を照会した。この日、ユ・フンムンが運行する釜山行きのムグンファ号1211号列車は午前10時34分に水色(スセク)駅基地を出発し、始発駅のソウル駅に移動する。乗務日誌には、運行予定の線路に問題があるところはないか、どこで徐行運転をしなければならないかなどが書かれている。乗務日誌をプリントアウトして携帯し、状況室に移動。状況室チーム長から線路状況報告を聞いた。

 報告を聞き終わると、ユ・フンムンは構内食堂に立ち寄り、弁当を注文した。30年あまり前からの馴染みの動線だ。構内食堂はもともと配食型だが、「長駆」する機関士には弁当を持たせてくれる。使い捨ての発泡スチロールとプラスチックの汁入れに入れられた4千ウォンの弁当を受け取ったユ・フンムンは、1211号のマスターキーを受け取り機関車へと向かった。新年を3日後に控えた日だった。定年を迎えるユ・フンムンは2020年が終われば人生の半分以上を過ごしてきた機関室を去る。機関室で弁当を食べる日々もあまり残っていない。2人1組で列車を交替で運行する後輩機関士がユ・フンムンの後を追う。

夜間も走り続ける列車の機関士たちが先月29日夜、東大邱駅で交代している=大邱/キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

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揺れる線路上の弁当

 機関室は客室とは異なる。客車とは分離されていて、それだけが揺れ動いているようにガタガタと音を立てた。慣れていないと、体はいともたやすく衝撃に揺れる。カーブでは振幅がさらに大きくなり、左右に揺れたかと思うと、時には上下に押し流されたりもした。鉄路の摩擦音、ガタつくエンジンの騒音、無線通信の声が運行中ずっと鋭く耳をつんざく。耳栓なしではこの機関室に上がることはできない。ほとんどの機関士は耳をやられ、「騒音難聴」にかかる。騒音と揺れの中で、2人の機関士は乱れることがない。無重力に慣れた「宇宙人」のように訓練されたせいか、運行に不必要な感覚が磨耗しているのかはわからなかった。機関士は運転する間、無線を聞きながらまっすぐな姿勢で前方を注視しなければならない。近くの機関士や駅から送られてくるあらゆる無線の騒音の中から、ユ・フンムンは必要な情報だけを聞き取った。右手で列車の動力を上げると、左手は無線通信を交わし、ブレーキをかけ、ときどきアクセルも引く。ディーゼル機関車運転の80%は左手の役目だ。電気機関車は両手で運転する。足でペダルを踏むと汽笛が鳴る。この姿勢は列車が走っている間ずっと保っていなければならない。

 列車がガタつくたびに、機関室の床の上に置かれた弁当からは、ご飯とおかずの香りが油のにおいに混じって上がってきた。食事時を過ぎると匂いはさらに鼻をついた。列車が世宗市(セジョンシ)の鳥致院(チョチウォン)駅に到着した昼12時50分、ユ・フンムンはようやく固定した姿勢を解き、仲間に運転席を任せ、副機関士席に移った。1211号列車はこの日、8両の客車に乗客640人あまりを乗せてソウル駅を出発し、24の駅に停車して釜山駅まで5時間53分のあいだ走り続ける。2人の機関士は東大邱(トンテグ)駅まで運転するが、このような日の昼食は機関室で済ませなければならない。1人は運転しなければならないから、2人は交替で飯を食べる。

 副機関士席の前に置かれた高さ1メートルの群青色の箱の上に、ユ・フンムンは弁当を広げた。目玉焼きをのせた白飯にかまぼこ炒め、豆もやしの和え物、冬白菜の和え物、白菜キムチ、縁豆こんにゃくの5つのおかずが入っている。特に変わった所もない弁当だが、落ち着かない機関室の中で食べるには技術が必要だ。飯を口に運ぶのも困難なほど揺れる列車と騒音に酔ってしまいそうだ。「食べるのも一苦労だよ」とキムチと豆もやしのスープの入ったプラスチックの入れ物を片手に握り、もう一方の手には割り箸を持ったまま、ユ・フンムンは首を左右に振った。その一方で、ユ・フンムンはだいぶ冷めてしまった飯が喉につかえるたびに、すぐプラスチックの筒からあふれ出そうなスープを巧みにズルズルと飲み干した。長い間一緒にやってきた列車と一体であるかのように、彼は列車のリズムに慣れているように見えた。

列車機関士の食卓。目玉焼きをのせた白飯にかまぼこ炒め、豆もやしの和え物、冬白菜の和え物、白菜キムチ、縁豆こんにゃくの5つのおかずが入っている=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

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体が覚えている道、体にしみついた労働

 ユ・フンムンは1985年、鉄道庁(現鉄道公社)に入社した。5年の副機関士業務を経て1991年に機関士となった。ピドゥルギ号やムグンファ号、セマウル号やITXなどの列車を全て経験したにもかかわらず、29年前に初めて列車を運転した時の記憶はいまだに鮮明だ。「真っ黒な石炭を積んだ貨物列車」だった。

 「忘憂(マンウ)駅を出発して首都圏を迂回し、仁川(インチョン)に行くのですが、遠くはないけど道がいくつかに分かれていて複雑な区間です。緊張しすぎて手がぶるぶる震えて汗がどっと出てさ…」。目の前にその日の光景が広がっているかのように、ユ・フンムンは微笑みながら語った。そして、「今は機関車の窓ガラスにコムタン(牛肉を煮込んだスープ)みたいに白く深い霧が立ち込めても、体が覚えてしまっている道」と言った。

 その道と同じように、ユ・フンムンの体も地上より列車の上の暮らしに慣れてしまっている。食事だけではない。機関士の人生は忍耐との戦いだ。トイレに行くことさえ我慢しなければならない。機関車には客車に通じるドアがないからだ。列車が動いている間、トイレに行くことは不可能だ。駅に停車する時に行って来ることはできるが、機関車から降りて客車に乗り込んでトイレに行くには、並の速さでは不可能だ。すばしっこくて経験豊富な者だけが同僚にしばらく仕事を任せてトイレに行く。1人乗務が一般化した最近ではそれすらできなくなった。ほとんどの機関士は可能な限り飲み物を飲まずに我慢する。この日もユ・フンムンは水色から東大邱まで片道6時間走ったが、豆もやしスープ何口かとアメリカンコーヒー半杯のほかは何も飲んでいない。長距離運行の前日には爆弾酒(ビールに焼酎を混ぜたもの)のような過度な飲酒も控えるのが機関士の鉄則だ。「腸に急変事態が起きれば、呼吸法を調節して耐えたり、朝ごはんを抜いてくる機関士もいます。それぞれにこのような日常に対処する方法があるんです」。

 揺れる列車の上で食事をし、行きたい時にトイレに行くことも難しいうえ、不規則な勤務日程まで加わるため、胃腸疾患を患っている機関士も多い。機関士の勤務日程は月単位で決まるが、昼間勤務と徹夜勤務が混ざっている。ユ・フンムンの場合、12月には午後1時から夜11時までの勤務があったり、夜9時から朝9時までの勤務があったりした。機関士席には眠気防止のため機関士が2分ごとに押さなければならない警報スイッチがある。

 鉄道労組の説明によると、鉄道公社の全常用労働者の労働時間は月161時間ほど(2018年)で、休日勤務を積極的にする場合は190時間ほどになる。睡眠時間と食事時間がともに不規則になりがちだ。この日もユ・フンムンは午前の準備後、午前10時34分~午後3時31分の片道運行を終えて、大邱(テグ)列車乗務事業所内の3坪(9.9平方メートル)ほどの広さの宿舎でしばらく仮眠を取り、夜7時37分に再び列車に乗った。夜9時32分に大田(テジョン)駅で運行を終えた後、立ち席の乗客としてKTXに乗ってソウル駅に到着したのは夜10時55分だった。これでも定年を控えて賃金ピーク制の適用を受け、ユ・フンムンのスケジュールは相対的に余裕がある方だ。

鉄道機関士ユ・フンムンさんが先月29日夜、ムグンファ号を運転し、忠清北道沃川付近を通過している=沃川/キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

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35年守ってきた鉄路…変わりゆく鉄路

 ユ・フンムンが鉄道で過ごしたこの35年間で「徹夜勤務が多い」と鉄道を離れていった仲間は多い。不規則な生活がもたらすストレスや病気が機関士たちを鉄道から追いやったのだ。しかし、定年を前にしてもユ・フンムンは依然としてディーゼル機関車の機関室を深く愛している。「電車は真っ暗な地下で2~3分ごとに進んだり停まったりを繰り返しますが、汽車はずっと走っているので余裕があって好きです。天気、日差し、季節によって風景も違って見えるし。そんな風に列車に乗っていれば、30年なんてあと言う間ですよ」。

 食事も同じだ。日替わり弁当が日常だが、要領を発揮して地域ごとの「特食」を食べることもたまにある。ユ・フンムンには、長項(チャンハン)線の乗務に就く時の平澤(ピョンテク)駅近くにある中華料理店がそのような場所だ。それさえも麺は伸びて食べられないので、炒飯を頼んで前もって受け取っておき、食事の時になると弁当のように取り出して食べる。

 そんな小さなロマンすらも、今は次第に消えつつある。線路外の風景が変わるように、一様だった機関士の弁当の食卓も変わった。2006年頃から一般化したKTXなどの新型電気機関車はすべて1人乗務体制だ。機関士1人で機関室を守る。1人乗務に慣れた若い機関士たちは1人で基板を見ながら片手で持って食べられるのり巻きやハンバーガーを買い、列車に持ち込んで乗務する。1人で運行しながら弁当を食べるのも大変だが、弁当の匂いが嫌いだという機関士もいる。食事をしたり眠気に襲われたりするとき、そばで話を聞いてくれる仲間もおらず、音楽やラジオさえ聞けないところで、機関士たちは孤独と戦う。

 人生の半分以上を線路の上でディーゼル機関車を運転してきたユ・フンムンにも、このような変化を避ける道はない。「電気機関車は蛇の頭のように動くんです。私たちの列車(ディーゼル機関車)に情も感じるし、私は高速で走るのが嫌で…」。定年になって鉄道を去るユ・フンムンのように、老朽化したムグンファ号の客車も寿命で廃棄され、鉄道公社は「効率」と「赤字」を理由に僻地路線のムグンファ号の運行回数を毎年減らしている。

 ユ・フンムンも仕方なく、若い機関士のように海苔巻きを買い、たまに「蛇の頭」のような新型電気機関車に乗り込む。「遥か遠い放浪の道を我ひとり行くべきか」。仲間のいない寂寞たる機関室で一人、ぼそぼそと愛唱曲を歌う。

大邱/キム・ミンジェ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/923270.html韓国語原文入力:2020-01-06 05:01
訳D.K

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