原文入力:2009-10-26午後10:30:57
東大門歴史文化公園 東側区域 27日開放
ソウル城郭・分離水門・下都監遺跡など展示
ソンチェ・ギョンファ記者
←上から27日部分開場する東大門歴史文化公園(旧 東大門運動場)の遺構展示場,分離水門. ソウル市提供
分離水門(二間水門)は思ったより雄壮且つ精巧だった。朝鮮時代、南山からソウル城郭内側に流れた水は高さ5mのこのアーチ型水門を抜けて清渓川に流れただろう。
ソウル,中区,乙支路7街,東大門運動場跡地から発掘された分離水門は発掘当時、最上部のアーチ部分を除いて完ぺきな姿を帯びていたという。現場案内を引き受けたソウル市,東大門デザインパーク チェ・ヒョンス学芸研究家は「分離水門の下に堆積物が積もり水路が詰まると、水を流すために朝鮮時代のいつかアーチ上の部分を開いたと推定される」として「分離水門の中間高さから発見された小さい水中堰がその証拠」と話した。
分離水門と繋がる長さ142mの城郭は朝鮮初期から後期まで各時代別の築城技法を生かし復元されていた。城郭が初めて作られた太祖時は、大きな塊石の合間に小さな石を挟んで入れ、世宗時は中位の大きさの長方形石を並べて積む技法を使った。粛宗以後には横・縦60㎝の正四角形の石を積んだ。朝鮮時代城郭の実際の姿は下1~2段にだけ茶色の部分で残っており、残りの上部分は新しい石で復元したものだ。
東大門歴史館両側の東大門遺構展示場には集水池(水を閉じ込めておく所),井戸池,かまど施設,瓦歩道などが時代別に高低を別にして展示されていた。チェ学芸研究家は「東大門運動場跡地は朝鮮時代の訓練都監の一部であった下都監の場所で、主に武器を作り保存した所だったようだ」として「集水池に保存された水は火事が起こった場合に備えた防火水だと推定される」と説明した。片隅には鉄製武器を作るためのかまどが真っ黒に焼けた姿そのままに展示されていた。
←左側から朝鮮初期(太祖)城郭,朝鮮中期(世宗)城郭,朝鮮末期(粛宗以後)城郭の姿. ソウル市提供
ソウル市は来る27日東大門デザインプラザと公園地域から構成される‘東大門歴史文化公園’(6万5232㎡)の内、工事を完了したソウル城郭東側公園地域(1万9597㎡)を開放すると26日明らかにした。今回開放される東大門歴史文化公園は分離水門を含むソウル城郭,東大門遺構展示場,東大門運動場記念館,東大門歴史館,イベントホール,デザインギャラリーなどだ。
当初ソウル市は東大門運動場の場所に東大門デザインプラザとギャラリーなど文化施設だけを備えた公園を作る計画だった。しかし東大門運動場の跡地からソウル城郭と色々な建築物の遺構が発掘されるや計画を変更し、1万9597㎡を歴史文化公園として作ることにした。
ソウル市は「今回開場する東大門歴史文化公園は年中無休で24時間開放される」と話した。
ソンチェ・ギョンファ記者khsong@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/384098.html 訳J.S