1919年3・1運動当時の写真の中には、100年が過ぎても未だに事実誤認された史料がある。万歳デモに繰り出した女性たちの様子を撮ったこの写真もその中の一つだ。キム・ジョンイン春川教育大学教授がハンギョレにこの写真についての誤解と真実を伝えてきた。
1919年3・1運動当時、女性たちのデモ参加を見せる史料の一つが、万歳を叫びながら電車道を行進する女性たちの写真だ。この写真に「妓生デモ」という名前がついたのは、独特のヘアースタイルのためだった。しかし、写真の中の女性たちは、この日万歳デモに繰り出した京城女子高等普通学校の学生たちと見るのが妥当だ。
この写真は「朝日新聞大阪版」1919年3月5日付に初めて掲載された。新聞は、3月1日のソウルの風景を伝えながら「朝鮮人女子学生が万歳を叫びながら電車道を行進している」との写真説明を付けた。当時、電車はソウルにのみあり、写真の中のデモ隊の後方にアップスタイルの女性たちの間に、同じ韓服を着たお下げにリボンを飾った女性も混じっている。
1971年に「女性東亜」が出版した「己未年、たいまつを持った女性、ああ三月」にも同じ写真が登場するが「パゴダ公園と泰和館で万歳のニュースが伝えられると、官立女子高等普通学校(現在の徳成女子中学校の場所)の女性たちも午前の授業を終えてから独立万歳を叫んでデモに入った」と説明した。ここで言う官立女子高等普通学校は、京城女子高等普通学校を指す。その後身の京畿女子高の同窓会が1998年に発刊した『写真で見る京畿女子高90年』にも「3・1独立運動に参加した女子学生」という説明と共にこの写真が載っている。
最近発見された当時の警務総監部の「3・1運動系譜図」によれば、京城女子高等普通学校の学生たちは、民族代表の朴煕道(パク・ヒド)と2月27日に会い、3月1日の万歳デモに参加した。
それでは写真のヘアースタイルはどう説明されるのだろうか。1910年代、京城女子高等普通学校の制服は韓服姿であったし、ヘアースタイルもやはり3・1万歳デモの時と全く同じだった。写真の中のヘアースタイルは、当時「ひさし髪」と呼ばれた日本式ヘアースタイルだった。ひさし髪は、19世紀始めに日本の女優が流行させた髪型で、女子学生たちが熱狂的にまねた。1920年代初めまでは、女子学生を呼ぶ別称がひさし髪だったほどだ。植民地朝鮮でも、主に官立女学校と日本人教師が多い私立女学校の学生たちが1910年代から1920年代初めまで大流行してまねたという。当時、ひさし髪は女性の解放を象徴し、女子学生に最も適したヘアースタイルと受けとめられていた。