政治は結果だ。 その意図がどれほど正しくても結果が悪ければ、結局悪いものになる。 「美しい敗北」など現実政治には存在しない。
選挙は算数。 数学ではない。 公式は簡単で足し算と引き算だ。 一つになれば勝つ。 分裂すれば負ける。
1997年12月の大統領選挙でハンナラ党の李会昌(イフェチャン)候補は絶対に負ける筈がなかった。 ところが負けた。 最も決定的だったのは李仁済(イインジェ)候補の離党と出馬であった。 李仁済候補は何と500万票(19.20%)を得票した。 与党票が割れた。 金大中(キムデジュン)候補と李会昌候補の票差は僅か39万票(1.53%)だった。
2002年の大統領選挙も同様だった。 盧武鉉(ノムヒョン)候補は「第3の候補」だった鄭夢準(チョンモンジュン)候補との劇的単一化で李会昌候補を制した。 政権を逃した人々は二度同じ失敗を繰り返し教訓を骨身に刻んだ。
その後の選挙でハンナラ党やセヌリ党の基本戦略は常に「我々は一つになって相手は分断して叩く」であった。 セヌリ党と親与党指向のイデオロギーは、10年余にわたって「与党勢力団結―野党勢力分裂」のフレームを作り続けた。 特に“湖南”(<ホナム>全羅南北道+光州)と“親盧”を分断した。 湖南は「中道」とか「合理的進歩」と言って褒め称えながら、親盧には従北と活動家集団という否定的イメージを着せた。
4・13国会議員選挙はこうした「与党勢力団結―野党勢力分裂」のフレームの効果が最高潮に達した状態で行われる。 どうなるであろうか。
与党勢力、1997・2002大統領選挙で敗北後
「与党勢力団結―野党勢力分裂」戦略
結局、湖南―親盧の分断に成功
総合編成チャンネル・保守系新聞は
「与党勢力のサポーター」に
野党勢力、首都圏で連帯に失敗すれば
「セヌリ党200議席」阻止も危うい
韓国の国会議員選挙は大統領選挙とは異なり地方区ごとに勝負が決まる。理論的には49%を得票した政党が地方区議席を一議席も取れない可能性がある。 小選挙区制の魔術だ。
金鍾仁(キムジョンイン)非常対策委員長が率いる「共に民主党」と安哲秀(アンチョルス)代表が作った「国民の党」は湖南の民意を巡り角逐している。 湖南は野党の“魂”であるため当然だ。 マスコミも二つの野党の湖南民意争奪戦を中継している。 ところがちょっとおかしい。 今回の選挙を湖南だけが行うのか? 違う。
地方区の議席が現在の246議席から253議席に増えた場合、予想獲得議席を調べよう。 首都圏が122議席(ソウル49、仁川13、京畿道60)だ。 現状よりソウルと仁川が各1議席ずつ、京畿道では8議席増える。 地方区全体のほぼ半分だ。今回の選挙の勝負所は首都圏だという話だ。
湖南の議席数はいくつあるのか。 28議席(光州8、全羅南道10、全羅北道10)に過ぎない。 蝸角之争という言葉がある。 かたつむりの触角の上で戦うということだが、小さな国どうしの争いを意味する。 議席数で見れば共に民主党と国民の党は今、蝸角之争をしている。
目を他の地域に転じてみよう。 嶺南は何と65議席(釜山18、蔚山6、慶尚南道16、大邱12、慶尚北道13)だ。 湖南の28議席と忠清道26席(大田7、忠清南道11、忠清北道8)、江原道8議席、済州道3議席を全て合わせれば嶺南と同じ65議席だ。 現在の地域対立構図がこわれない限り、嶺南と忠清道、江原道で優勢なセヌリ党が圧倒的に有利にならざるをえない。
比例代表の47議席を与野党が半々に分け合うとして、19代国会の地域別政治地形(忠清道・江原道24議席)を反映させて概略計算すれば、セヌリ党は首都圏で30%(37議席)を取るだけでも過半数を占める。