「あなたは、民族統一です。憎しみの歳月、互いに向けた銃口を収めて歌われる歌です。誰も止められないもの、誰もが願ってやまないもの、否応なしに迫ってくる山や川です。ああ、あなたは私たちの平和です。私たちです」
6年前、金大中(キム・デジュン)元大統領が死去した時、詩人のコ・ウン氏が詠んだ「あなたは私たちです」という詩の一部です。コ·ウン氏の詩にシン・ヒョンウォン慶熙大学教授が曲をつけて歌にしました。
シン・ヒョンウォン教授とポストモダン音楽学科の学生が歌う歌が追悼式場を包み込みました。涙を拭く人もいました。最近緊張が高まっている南北の対峙状況のため、より一層歌が深く心にしみたようでした。
金大中元大統領逝去6周忌追悼式が18日午前、ソウル銅雀(トンザク)洞の国立ソウル顕忠院の顕忠館で開かれました。顕忠館の入口には、いくつかの弔花が置かれていました。朴槿恵(パク・クネ)大統領、チョン・ウィファ国会議長、「首相ほか国務委員一同」と書かれた弔花が目を引きました。
金大中元大統領6周忌追悼式場を訪れた政治家たち
口を揃えて金元大統領の太陽政策を懐かしむ
イ・ヒホ金大中平和センター理事長とキム・ホンオプ元議員、キム・ホンゴル氏などの遺族、クォン・ノガプ、キム・オクトゥ、パク・ジウォン、ハン・ファガプ、ナムグン・ジン、イ・フンピョンなど、東橋洞系(民主化運動当時からの金大中元大統領の側近たち)の面々が追悼式場を埋めました。金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表、ヒョン・ギファン大統領府政務首席、シム・サンジョン正義党代表の姿も見えました。イ・ジョンチャン元国家情報院長、ハン・グァンオク国民大統合推進委員長も出席しました。新政治民主連合からは、文在寅(ムン・ジェイン)代表をはじめ、キム・ウォンギ、イム・チェジョン、イ・ヘチャン、キム・ハンギル、安哲秀(アン・チョルス)など、常任顧問と元代表がほとんど顔を揃えました。国会議員は、数え切れないほど多かったです。
追悼式はチョ・スンヨン元大統領府政務首席の司会で厳粛ながらも簡潔に行われました。チョン・ウィファ国会議長が追悼委員長の資格で追悼辞を述べました。普段から南北関係に特別な関心を持っているチョン・ウィファ国会議長の追悼時は、南北関係と統一に関する内容で埋め尽くされていました。
「(金大中元)大統領が開いた朝鮮半島の平和の道、統一の道が、暗霧に包まれてしまったことがあまりにも残念です。先日、北朝鮮は一方的に標準時間を変更して、非武装地帯で地雷爆発事故を起こすなど、朝鮮半島の平和に逆行することを続けています」
「光復70周年である今年をこのままやり過ごすわけにはいきません。大統領が常に強調したように、統一は、私たちが必ず歩んで行くべき道です。私たちが、21世紀の文明の時代をリードして、真の先進大国として地位を確立するためにも、私たちは必ず統一への扉を開かなければなりません」
「南北関係を解決するためには対話と交流、人道支援以外に、他の道はありません。南北が互いを認める中で行き来して、そして助け合いながら、小さな信頼を着実に積み重ねて行かなければなりません」
「私もやはり南北間対話チャンネルが梗塞した状況を何とか風穴を開けようという一心で、今年の制憲節(憲法記念日)の祝辞を通じて『南北国会議長会談』を公式提案しました。南北国会議長会談が実現すれば、南北国会の本会談議と政府間の会談までつなげられると思います」
続いて、金大中元大統領の映像が流されました。
「尊敬して、愛する国民の皆さん」
金大中元大統領特有の少しかすれたようで、しっかりした口調の声が響き渡りました。
「我たち皆は、今、汗と涙と...」
金大中元大統領が就任演説で込み上げてくる涙で10秒ほど言葉にできなかったその瞬間です。
「苦痛を求められています」
2000年に北朝鮮を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記に初めて会う場面やノーベル平和賞を受賞する場面が続きました。追悼式場のあちこちでため息が漏れました。
追悼の歌と儀式が終わってから、キム・ホンオプ元議員が遺族代表として挨拶をしました。キム・ホンオプ元議員の挨拶も意味深長なものでした。
キム・ホンオプ元議員は、自分は朝鮮戦争直後、墨湖(ムクホ)の防空壕で生まれたのに、60代半ばになるまで南北が緊張状態に置かれている現実が残念だと、所感を述べました。
「父が南北関係で積み上げた数多くの成果があまりにも簡単に崩れ去っている。90を越した母が北朝鮮を訪問した。これからも誠意ある努力を続けなければならない。父は民族の将来と和合のために、平和統一に生涯を捧げた。これからは皆さんが亡き父に代わって(平和統一を)実現してほしい。第2、第3の金大中が早く出てくることを願う」
追悼式は、イ・ヒホ理事長の献花で終わりました。イ・ヒホ理事長は、体を支えられながら階段を上がり、夫の遺影に花を捧げてから、黙って振り向いた。少し寂しそうに見えました。イ・ヒホ理事長から見た金大中元大統領と韓国政治の話をハンギョレが連載しています。
追悼式を終えて出てくる政治家を記者たちが囲みました。金武星セヌリ党代表は「金大中元大統領は不屈の意志で、韓国の民主化を成し遂げた偉大な指導者であり、南北和解の道を開いた方なので、その功績をもっと大きく評価すべきだ」と話しました。記者たちは「ユン・サンヒョン議員が、オープンプライマリーが現実的に難しいとしたが、どう思うのか」と尋ねました。金武星代表は、「ここで言うことではない。追悼式に来ている」と式場を後にしました。
金武星代表「金元大統領は南北和解の道を開いた方」
チョン・ウィファ国会議長「故金大中大統領の競輪が懐かしい」
文在寅代表「金元大統領がどんなに惨憺たる心情なのだろうか」
文在寅代表は顕忠館の前で簡単なインタビューに応じました。
「金大中元大統領は統一の扉を開く大統領として歴史に記録されるだろう。金大中元大統領は、韓国の政治思想の幅を広げ、またバランスを保てるようにしてくださった方だ。もし金大中大統領がいなかったら、韓国は、政治理念的に一方に傾いた国になっただろう。金大中元大統は太陽政策の名のもと、対北朝鮮政策と北東アジア外交で、韓国の立場を持って主導的に扉を開いていった方だった。李明博(イ・ミョンバク)大統領と朴槿恵大統領に最も不足している点が、まさにその点だと思う。6周忌を迎えて金大中大統領の経綸が改めて思い出される」
墓地に移動し、献花を終えた文在寅代表が再び記者たちに足早に近寄りました。
「先ほど私が言い忘れたことを追加する。光復70周年、分断70周年という特別な光復節なのに、この分断70周年光復節をこのように空しく、南北関係で何の転機も作れないまま、このように過ごしてしまうことについて、金大中元大統領がどんなに惨憺たる心情なのだろうかと思った」
記者たちが、南北対峙局面が深まっている状況について考えを尋ねました。
「非武装地帯の地雷爆発事件は、明らかに北朝鮮の軍事的挑発だ。停戦協定に違反したもので、南北間の不可侵合意にも反するものだ。それに対して、私たち(韓国)が断固として対応する姿勢が必要だと思う。しかし一方で、私たちには、北朝鮮と対話をしながら、このような危機が繰り返されないようにする努力も必要だ」
「歴代政権もこれまで大きな危機を迎えてきた。いつも北朝鮮の挑発で作られた危機的状況なのに、そのような危機的状況の中でも対話を諦めず、朴正煕(パク・チョンヒ)政権では7・4共同声明、盧泰愚(ノ・テウ)政権では南北基本合意書、金大中政権では6・15共同宣言、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権では10・4宣言を行った。朴槿恵政権にもそのような努力が必要だ。断固として対応するとしても、強硬策に強硬策で対抗して、危機を増幅させていくのは望ましくないと思う」
パク・チウォン議員も焼香を終えて記者団に一言残しました。
「金大中元大統領が生きていたら、今日の南北関係をどのように改善したのだろうか、どのように指導力を発揮したのだろうかと、考えざるを得ない。今日の現実がもどかしくて仕方がない。金大中元大統領の国民を尊重する考えと南北関係の改善のために、自分にできる最大限の努力をするつもりだ」
金元大統領が生きていたら、南北関係がここまで...
金大中元大統領は、大統領在職当時に南北首脳会談をしただけでなく、退任後も南北関係の改善のために絶えず努力しました。パク・チウォン議員の言葉通り、金大中元大統領が生きていたら、南北関係が現在のように悪化しないように、何か大きな役割を果たしただろうと、私も思います。 1994年の北朝鮮核危機の時に、ジミー・カーター元米国大統領が平壌を訪問し、金日成(キム・イルソン)主席と交渉してジュネーブ合意を導いたように。
私は2000年、金大中元大統領とともに平壌(ピョンヤン)を訪問し、南北首脳会談を取材した記者です。最近南北関係が悪化することを見守りながら、金大中元大統領の太陽政策について多くのことを考えています。
6年前、金大中元大統領が死去したとき、元側近の秘書たちが、金大中元大統領の最後の日記を小冊子にまとめたことがあります。その中で私が好きな文章をご紹介します」
「人生は考えるほど美しく、歴史は前に向かって発展する」(2009年1月7日)」
「長い人生だった。私は一生を、抑圧された者たちのために献身するというイエス様の教訓を胸に、生きてきた。拉致、死刑宣告、投獄、監視、盗聴など、数知れない迫害の中でも歴史と国民を信じて生きてきた。これからも命ある限り、これまでと同じ道を歩んで行くだろう」(2009年1月15日)
「一日中、妻と一緒に家で過ごした。二人でいることがうれしい」(2009年2月7日)
韓国語原文入力:2015-08-18 15:59