中平健吉弁護士が先月7日に心不全で死亡したと日本のマスコミが先月17日伝えた。享年89。1925年に長野県で生まれた故人は、東京大学法学部を卒業し、東京高等裁判所判事として裁判官生活を終えた後、弁護士として多彩な活動を行った。
故人は1970年「文部省(現、文部科学省)の教科書検定は違憲」として家永三郎・東京教育大教授が検定の取り消しを要求した「第2次家永教科書裁判」の判決に関与するなど、日本の良心と人権精神を守る運動の先頭に立ってきた。事故で殉職した自衛隊員の遺族が、山口県にある護国神社に合祀したことは違憲だとして提訴した事件、神奈川県逗子市にある米軍家族住宅と海軍補助施設の返還を要求した訴訟などでも弁護を引き受けた。
特に家永訴訟は、62年に家永教授自身が執筆した高校用新日本史教科書が太平洋戦争、南京大虐殺、731部隊などのアジア侵略行為を記述したという理由で文部省検定で不合格になると、65年に「検定は検閲に該当し違法」として国家を相手に訴訟を提起し、その後32年にわたり3次訴訟まで行われた。 97年、最高裁判所は「検定は政府の裁量権を越えた違法」として家永三郎教授の手をあげ、日帝の戦争責任と戦後歴史教育の問題に対する日本社会の関心を呼び覚ます契機となった。
故人は80年の光州(クァンジュ)民衆抗争の時に金大中元大統領を支援したという理由で、一時韓国への入国を拒否されたこともある。 彼は脱北住民を支援する非政府機構である「北朝鮮難民救援基金」代表を務め、亡くなるまで活動した。 この団体は北朝鮮を脱出して中国やロシアで生命を脅かされている“北朝鮮脱出難民”を安全なところに移住できるように支援しようという趣旨で98年9月に発足した。